●フイヤン派【フイヤンは】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
フイヤン派
フイヤンは
Feuillants
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
日本大百科全書(ニッポニカ)
フイヤン派
ふいやんは
Feuillants フランス語
フランス革命期の立憲・立法両議会における党派。自由主義貴族と上層ブルジョアジーを代表する。初めバルナーブ、デュポール、ラメット兄弟を指導者とする三頭派として発足。1789年9月ごろから議会を支配し、ブルジョア的立憲王政を推進した。1791年6月ルイ16世のバレンヌ逃亡事件を契機に、ラ・ファイエット派と合流し、ジャコバン・クラブから分裂し、別に「フイヤン・クラブ」を結成した。フイヤンは、本部を元フイヤン修道会の建物に置いたことに由来する。シャン・ド・マルスの虐殺(1791)などで人民を抑えて王権と妥協し、「1791年憲法」によって制限選挙に基づく立憲王政を確立した。憲法下の立法議会では、初期の議会を支配したが、まもなくジロンド派に多数を制された。
[樋口謹一]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
フイヤン派
フイヤンは
Feuillants
自由主義貴族やブルジョワ層を主体とし,1791年7月ジャコバン−クラブを脱退したメンバーがフイヤン修道院に本部を置いたので名づけられた。政治的には立憲王政派で,1791年憲法の維持を主張,立法議会では右派となる。しだいに反革命的性格を示し,1792年8月の民衆蜂起による王権の停止宣言以後,衰退した。おもなメンバーとしてバルナーヴ,ラファイエット,シェイエス,バイイらがいる。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「フイヤン派」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●フイヤン派の関連情報
関連キーワード
| 安土桃山時代(年表)| スマラガ| 天荊| 松永久通| 鷹巣城| 七尾城| エル・グレコ| 中国征伐| 亀山(かめやま)城| 上泉信綱|