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フリードリヒ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

フリードリヒ
Friedrich, Carl Joachim
[生]1901.6.5. ライプチヒ
[没]1984.9.19. マサチューセッツ,レキシントン
ドイツ出身のアメリカの政治学者。ハイデルベルク大学で博士号を得て,1926年からハーバード大学に奉職,38年アメリカ市民権を得る。 62~63年にはアメリカ政治学会の会長をつとめた。非行動科学系の学風を守り,権力概念の分析や比較政治学の領域にすぐれた業績を残している。主著『立憲政治と民主主義』 Constitutional Government and Democracy (1937) ,『伝統と権威』 Tradition and Authority (72) 。

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フリードリヒ
Friedrich, Caspar David
[生]1774.9.5. ポンメルングライフスワルト
[没]1840.5.7. ドレスデン
ドイツの風景画家。 1794~98年コペンハーゲンのアカデミーに学び,98年ドレスデンに定住。 1801年 O.ルンゲを知り,C.カールスや作家のノバーリスシュレーゲル兄弟,L.ティークらとともにロマン派のグループを形成,ドイツ・ロマン主義絵画の代表的画家となる。近景から無限の遠方に広がる神秘的な風景画を得意とした。 24年ドレスデン・アカデミーの員外教授。正教授になることなく不遇な晩年をおくったが,20世紀に入ってその人と画業が再発見された。代表作『山中の十字架』 (1808,ドレスデン国立絵画館) ,『海辺の修道士』 (10,ベルリン国立美術館シャルロッテンブルク宮殿) ,『月を見る2人の男』 (19,ドレスデン国立絵画館) 。

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デジタル大辞泉

フリードリヒ(Caspar David Friedrich)
[1774~1840]ドイツ‐ロマン派の代表的画家。象徴的、宗教的意味を担った独自の風景画を描いた。

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世界大百科事典 第2版

フリードリヒ【Caspar David Friedrich】
1774‐1840
ドイツ・ロマン派を代表する画家。ドイツの北限に近い,北海に臨むグライフスワルトGreifswald生れ。1794‐98年にコペンハーゲンの美術アカデミーに学んだ後,ドレスデンに住み,小さな国内旅行を除き,生涯をここですごした。当時のドレスデンはアカデミーや,ザクセン選帝侯が集めた数々の名画(ドレスデン国立絵画館)によってドイツにおける美術の中心地の一つであったが,同時にベルリン,イェーナなどとともにドイツ・ロマン主義運動の中心地でもあり,フリードリヒの芸術もこうした運動の一環としてとらえることができる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

フリードリヒ【Friedrich】
(二世)1712~1786 プロイセン国王(在位1740~1786)。オーストリア継承戦争・七年戦争・ポーランド分割などにより領土を拡大。重商主義・農民保護政策をとり、学芸を奨励、啓蒙専制君主の典型といわれる。フリードリヒ大王。フレデリック。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

フリードリヒ
ふりーどりひ
Caspar David Friedrich
(1774―1840)
ドイツの画家。9月5日グライフスワルトに生まれ、1794~98年コペンハーゲンの美術学校に学ぶ。以後ドイツ・ロマン派の拠点ドレスデンに定住して、画家オットー・ルンゲ、詩人ノバーリス、ティーク、ノルウェーの画家ヨハン・クリスティアン・ダール、医者で画家のカール・グスタフ・カールースらと同志的な交わりを結ぶ。1807年木版および素描(セピア画)から油彩に転じ、風景とロマン派的な宗教感情を融合した『山の十字架』(ドレスデン絵画館)を描いて独得の画風を確立する。24年以後はドレスデン美術学校教授を務めた。彼は「風景における悲劇の発見者」といわれ、主として北ドイツの荒涼とした原野や森や廃墟(はいきょ)やフィヨルドの眺望を、旅愁、憧憬(しょうけい)、悲哀などの情感を込めて描き、ドイツ・ロマン派最大の風景画家とされる。40年5月7日ドレスデンで死去。代表作に『海辺の僧侶』(ベルリン国立美術館シャルロッテンブルク宮殿)、『ウァッツマン山』(ドレスデン絵画館)、『希望号の難破』(ハンブルク美術館)などがある。[野村太郎]

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精選版 日本国語大辞典

フリードリヒ
(Friedrich)
[一] (一世) ドイツのホーエンシュタウフェン朝第二代の神聖ローマ皇帝(在位一一五二‐九〇)。国内諸侯をおさえ、イタリア政策を推進した。第三回十字軍遠征中溺死。赤髭王(バルバロッサ)と呼ばれた。(一一二三頃‐九〇
[二] (二世) ドイツのシュタウフェン朝第六代の神聖ローマ皇帝(在位一二一五‐五〇)。シチリア国王も兼ねる。第六回十字軍をおこしエルサレム王国をたてた。最初のルネサンス人といわれる。(一一九四‐一二五〇
[三] (二世) プロイセン王(在位一七四〇‐八六)。フリードリヒ‐ウィルヘルム一世の子。オーストリア継承戦争・七年戦争によって全シュレジエン(シロンスク)を領有し、ポーランド分割で西プロイセンを獲得。国内的には富国強兵に努めた。「国家第一の下僕」と自称した啓蒙専制君主の典型で、学問・芸術を愛好した。フリードリヒ大王とも。(一七一二‐八六

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