●フリードリヒ2世【フリードリヒにせい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
フリードリヒ2世
フリードリヒにせい
Friedrich II
[没]1250.12.13. アプリア
ホーエンシュタウフェン朝のドイツ王 (在位 1212~50) ,神聖ローマ皇帝 (在位 20~50) 。ハインリヒ6世とシチリア王女コンスタンスとの子。フェデリーコ1世として 1198年シチリア王となり,1212年末マインツでドイツ王に戴冠。即位直前,ドイツ皇帝位をめぐって対立皇帝が出現し,政局は紊乱したが,彼はこれらの勢力を破って帝位を獲得した。十字軍にも出征し (28~29) ,エルサレムにも入城している。しかしイタリア生れの彼は,主としてイタリア,特にシチリアに関心を向け,ここに当時のヨーロッパでも類を見ない近代的な官僚制国家をつくり上げたが,その反面ドイツの統治をおろそかにし,在世中ドイツに滞在したのは 10年にも満たなかった。 1220年に教会諸侯に対し,教会領に国王が干渉しないことを約束する特権状 (教会諸侯との協約) を与え,次いで 31年世俗諸侯に領内の最高裁判権と貨幣鋳造権を認めた特権状 (→諸侯の利益のための協定 ) を発した。これはドイツ諸侯の事実上の独立を合法化したことにほかならず,領邦国家の発達はこれによって大いに促進された。彼のイタリア政策はローマ教皇との対立を生み,27,39,45年と3度教皇から破門され,45年には廃位され,ドイツ帝権は著しく弱体化した。没後に大空位時代を招来した。
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367日誕生日大事典
フリードリヒ2世
プロシア王(在位1740〜86)
1786年没
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フリードリヒ2世
ヘッセン・ホンブルク地方伯(在位1681〜1708)
1708年没
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フリードリヒ2世
ドイツ王(在位1212〜50),神聖ローマ皇帝(在位20〜50)
1250年没
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