●ブハラ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブハラ
Bukhara
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デジタル大辞泉
ブハラ(Buxoro)
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世界大百科事典 第2版
ブハラ【Bukhara】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ブハラ
ぶはら
Бухара/Buhara
中央アジア、ウズベキスタン共和国ブハラ州の州都。ボハラBokharaともいう。ゼラフシャン川が流れる低地に位置し、運河に面する。人口23万7900(1999)。ブハラ州の地形はだいたい平坦(へいたん)で、降水量は少なく、カラクール種ヒツジの飼育地帯であり、養蚕も盛んである。それゆえブハラ市にその関連産業が発達している。とくに上等の巻毛羊皮、帽子、外套(がいとう)など、カラクール種ヒツジの加工製品は世界的に有名である。金糸・絹糸の伝統美術工芸品の製造でも知られている。また、天然ガスが産出し、ロシア中央部、ウラル、南カザフスタンにパイプラインで輸送されるとともに、工業の発達も顕著である。首都タシケントやトルクメニスタンの首都アシガバートに通ずる中央アジア鉄道の駅がある。シルク・ロードの重要地点として栄え、いまでも古い町並みが残る。1993年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[山下脩二]
歴史
イスラム時代以前の歴史には不明な点も多いが、遅くとも西暦1世紀には、現在の地に町が建設されていた。7世紀の中国文献で、ブハラは安国と記され、イスラム文献にブハール・フダートBukhār Khudātとみえる、イラン系ソグド人王朝の支配下にあった。アラブ軍の占領後、8世紀初頭から徐々にイスラム化し、9~10世紀にはサーマーン朝の首都となって、イスラム学術・イラン文化の中心地となった。1220年にチンギス・ハンによって破壊されたが、まもなく復興し、16世紀からブハラ・ハン国の首都として、西トルキスタンの政治・経済・文化の中心地となっていった。18世紀以降ロシアとの通商関係が緊密化するなかで、一大商業都市として発展した。革命によってブハラ人民ソビエト共和国(1920~24)の首都となったが、ウズベク・ソビエト社会主義共和国(1924~91)成立後、1928年にブハラ州の州都となった。1991年のソ連崩壊によるウズベキスタン共和国の独立によって、同国領となった。
[堀川 徹]
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精選版 日本国語大辞典
ブハラ
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旺文社世界史事典 三訂版
ブハラ
Bukhara
西トルキスタンにおける代表的なオアシス都市。1世紀ごろより史書に登場。隋・唐では安国として知られ,ソグド人が活躍。西突厥 (とつけつ) の支配下にあったが,8世紀初めにイスラーム勢力の侵攻を受け,9世紀にはサーマーン朝の首都となり,長くイスラーム文化が栄えた。16世紀にブハラ−ハン国が成立し,1866年帝政ロシアの保護国となったが,ロシア革命に伴って革命政権が樹立された。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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