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ブランキ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ブランキ
Blanqui, (Louis-) Auguste
[生]1805.2.1. ピュジェテニエ
[没]1881.1.1. パリ
フランスの革命的社会主義者。一生のうち約 40年近くを獄中で暮した革命家。法学と医学を学んだのち,1830年「人民の友協会」会員となり,以後革命運動の指導者となる。秘密革命集団の結成と武装蜂起少数の精鋭分子の指導で行う革命を主張し,秘密結社季節社」を組織した。二月革命のとき,5月 15日反乱計画に関連して逮捕された。 70年普仏戦争戦局が不利になると,『危機に立つ祖国』 La Patrie en dangerという新聞を発刊,対プロシア抗戦と社会変革の必要を説き投獄された。 77年釈放後,機関誌『神の不在』 Ni Dieu ni maîtreを刊行し革命運動を続けマルクス主義に接近した。主著『社会批判』 La Critique sociale (1885) 。

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デジタル大辞泉

ブランキ(Louis Auguste Blanqui)
[1805~1881]フランス革命家・社会主義者。少数精鋭・武装蜂起による革命とプロレタリア独裁を主張。1830年以降、七月革命二月革命パリコミューンなどの革命運動や反乱に参加。生涯の30数年を獄中に過ごした。「社会批判」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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世界大百科事典 第2版

ブランキ【Louis‐Auguste Blanqui】
1805‐81
19世紀パリの民衆蜂起と革命のほとんどすべてに,直接・間接に関与したフランスの革命家。10代で秘密結社カルボナリに加わり,復古王政打倒の運動と1830年の七月革命の民衆蜂起に参加する。七月王政の反民衆的性格をすばやく見ぬいて反体制運動をおこし,共和派の〈人民友の会〉が弾圧された法廷で,逆に雄弁に体制を告発して一躍有名になった。フランス革命のジャコバン主義とバブーフの平等主義の伝統をブオナローティからうけつぎ,少数精鋭の秘密結社運動を開始する。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ブランキ
ぶらんき
Louis Auguste Blanqui
(1805―1881)

フランスの革命家、社会主義者。父はフランス革命のジロンド派議員、兄は高名な自由経済学者アドルフ・ブランキAdolphe Blanqui(1798―1854)。コレージュ在学中から共和派秘密結社「カルボナリ」に加入、復古王政打倒の論陣に加わり、1830年の七月革命の市街戦に投ずる。七月王政の成立に飽き足らず、極左共和派結社「人民の友」の反政府運動に参加して投獄された。獄中でバブーフの平等主義の流れをくむブオナローティと知り合い、少数精鋭の秘密結社による武装蜂起(ほうき)という革命方式に確信を深める。

 1835年以後、「家族社」「季節社」など秘密結社の組織化に没頭したが、1839年の蜂起に失敗してモン・サン・ミシェルの獄につながれた。過酷な獄中生活で病を得てトゥールの病院に移送されるが、1848年、二月革命の報を聞いてパリに戻った。このとき、彼は臨時政府に期待して秘密結社活動を抑制し、公開のクラブを中心とした民衆の政治的啓蒙(けいもう)に重点を置いた。ブランキの革命思想はかならずしもエリート主義に基づく蜂起至上主義ではなく、平等主義的な社会革命実現のために、政権奪取後の民衆教育を格別重視するものでもあった。だが、4月の選挙で左派が後退するなかで、下部の突き上げを抑えきれず、同年5月15日の国会乱入事件に連座して三たび獄につながれた。このため6月の民衆蜂起(六月事件)の指揮をとることができなかった。以後、第二帝政の1860年代なかばまで約2年の小休止を除いて獄中にあったが、ここで若手の共和派の囚人たちに多大の影響を及ぼし、いわゆる「ブランキスト(ブランキ派)」が形成される。

 1865年、脱獄してベルギーに逃れたが、1870年8月プロイセン・フランス戦争の混乱に乗じて帰国。祖国防衛戦争を訴えるかたわら、3次にわたる蜂起に関与し、1871年3月、パリ・コミューンの前日にまたもや逮捕された。コミューン派は74人の政府側捕虜とブランキ1人との交換を申し入れたが、彼の影響力を恐れる政府側はこれを拒否した。コミューン壊滅後も終身禁錮刑を受け、1880年恩赦まで監視下に置かれた。

 こうして生涯蜂起と投獄を繰り返し、総計実に43年と2か月もの間、獄中もしくはそれに準ずる生活を送ったが、1881年1月1日脳溢血(のういっけつ)のためついに死去。「幽閉者」「殉教者」とよばれ、多大の尊崇を集めた彼の葬儀には10万人の会葬者が列を連ねたという。だが、あまりにたびたび獄中にあったため、決定的な大事件に直接指揮をとることができなかったのは、「行動の人」として皮肉であったといわなければならない。

[谷川 稔]

『ジェフロワ著、野沢協・加藤節子訳『幽閉者――ブランキ伝』(1973・現代思潮社)』『ブランキ著、加藤晴康訳『革命論集』上下(1968・現代思潮社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ブランキ
(Louis Auguste Blanqui ルイ=オーギュスト━) 一九世紀フランスの革命家。七月革命、二月革命、パリ‐コンミューンのパリ民衆の革命行動の中核的存在。少数前衛の直接行動によるプロレタリアート独裁政権樹立を主唱。(一八〇五‐八一

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旺文社世界史事典 三訂版

ブランキ
Louis Auguste Blanqui
1805〜81
フランスの革命家
七月革命・二月革命・パリ−コミューンなどの指導的存在で,合計43年2か月を獄中ないしは特別監視下におかれたため「幽閉者」と呼ばれる。季節社という秘密結社を組織し,プロレタリア独裁を主張。少数者の陰謀による暴力革命論(ブランキ主義)は,その後も一定の影響をもった。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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