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ブルーインパルス【ぶるーいんぱるす】

知恵蔵

ブルーインパルス
航空自衛隊に所属し華麗なアクロバット飛行(展示飛行)を披露する専門チーム。現在のチームは3代目となり、正式名称は宮城県松島基地の第4航空団に所属する「第11飛行隊」。チーム名の「青い衝撃」の意にちなんで、機体は青と白にカラーリングされている。航空自衛隊の存在を国民に知ってもらおうと、各地の航空自衛隊の航空祭や国民的行事などで演技を披露し、催しに彩りを添えている。
初代ブルーインパルスは1960年8月、浜松基地第1航空団第2飛行機隊内に「空中機動研究班」として誕生した。初代機体はアメリカから供与された5機のF‐86F戦闘機を使い、64年東京オリンピック開会式では五輪の輪を、70年大阪万博開会式ではEXPO’70の文字を空に描いたことで広く国民に知られるようになった。解散までの21年間に545回の公式展示飛行を実施した。
2代目は82年1月、松島基地第4航空団第21飛行隊内に編成された「戦技研究班」。国産のT-2超音速高等練習機を6機使用し、高速性能を重視した機体を生かした力強い演技が好評を博した。94年8月には三沢基地航空祭でアメリカ空軍のアクロバットチーム「サンダーバーズ」と初競演し、14年間に175回の公式展示飛行を行った。その一方で、82年11月の浜松基地航空祭では展示飛行中に会場近くに墜落し、パイロット1人が死亡、住民にも負傷者が出た。また、91年7月に宮城県金華山沖で次世代のT-4機での訓練中に墜落事故が起きている。
3代目は95年に第11飛行隊として発足した現在のブルーインパルス。国産のT-4中等練習機を使用し、最初の公式展示飛行は96年4月に防衛大学の入学式で行った。その後、98年2月長野で開催された第18回オリンピック冬季競技大会の開会式や、2002年6月埼玉で開催された2002FIFAワールドカップ開会式でも展示飛行をした。11年1月には初代、2代目も通算して1000回目となる展示飛行を那覇基地で行った。
11年3月11日、東日本大震災の津波で松島基地の航空機なども大きな被害を受けた。ブルーインパルスは3月12日の九州新幹線全線開通を記念した展示飛行のため、福岡県の芦屋基地に展開中だった。そのため、松島基地にあった1機を除いて津波を免れたが、松島基地には戻れないままとなった。12年度末になって、松島基地の復旧と津波対策が進み帰還が実現。13年3月30日に松島基地に2年ぶりの帰還を果たした。14年5月には、旧国立競技場のお別れイベント「SAYONARA国立競技場 FINAL FOR THE FUTURE」にて、都内の空で半世紀ぶりの展示飛行を披露した。
(金谷俊秀  ライター / 2014年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

デジタル大辞泉

ブルー‐インパルス(Blue Impulse)
航空自衛隊のジェット機の編隊曲技飛行チームの通称。正式名称は、戦技研究班。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

ぶるーいんぱるす【ブルーインパルス】

出典:株式会社平凡社
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