@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

プドフキン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

プドフキン
Pudovkin, Vsevolod Illarionovich
[生]1893.2.16. ペンザ
[没]1953.6.30. リガ
ソ連の映画監督。モスクワ大学理学部で学び,第1次世界大戦に従軍。帰還後,映画界に入り,L.クレショフのもとでモンタージュ理論の影響を受けた。短編喜劇映画のあと,科学映画『頭脳の構造』 Mekhanika golovnogo mozga (1926) を制作。長編劇映画『』 Mat' (26) はソ連だけでなく世界無声映画史上の傑作と認められた。ほかに『聖ペテルブルグの最後』 Konets Sankt-Peterburga (27) ,『アジアの嵐』 Potomok Chingis-Khana (29) ,『脱走者』 Dezertir (33) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

プドフキン(Vsevolod Illarionovich Pudovkin)
[1893~1953]ソ連の映画監督。モンタージュ理論を唱え、ソ連映画の基礎を築いた一人。代表作「母」「アジアの嵐」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

プドフキン【Vsevolod Pudovkin】
1893‐1953
ソビエトの映画監督,理論家。セルゲイ・エイゼンシテイン,アレクサンドル・ドフジェンコ(1894‐1956),ジガ・ベルトフ(1896‐1954)と並んでソビエトのサイレント映画の4大監督の1人に数えられ,モンタージュ理論の確立に寄与した映画理論家として知られる。 革命直後のモスクワでD.W.グリフィス監督の《イントレランス》(1916)を見て映画作家を志し,モスクワの国立映画学校(1919年に開校)に入る。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

プドフキン【Vsevolod Illarionovich Pudovkin】
1893~1953 ソ連の映画監督・俳優。エイゼンシュテインとは対蹠的に、俳優の演技も重視する独自のモンタージュ論を展開。代表作「母」「聖ペテルブルクの最後」「アジアの嵐」

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

プドフキン
ぷどふきん
Всеволод Илларионович Пудовкин Vsevolod Illarionovich Pudovkin
(1893―1953)
ソ連の映画監督、俳優、理論家。2月6日ボルガ地方のペンザに生まれる。モスクワ大学理学部に学び、第一次世界大戦に従軍、1920年第一国立映画学校に入り、俳優、脚本家、助監督、美術係などを経験する。1922年クレショフ工房に参加、俳優として協力する一方、クレショフのモンタージュ実験に大きな影響を受ける。監督としては短編喜劇『チェス狂』(1925、共同監督)、パブロフ学説の映画化『頭脳のはたらき』(1926)を経て、ゴーリキー原作による長編劇映画『母』(1926)で一躍名声を得る。『母』は、俳優の優れた演技、細かい画面構成と編集、力強い群集シーン、暗示的モンタージュなどによって、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(1925)と並ぶサイレント映画期の古典となった。以後、『聖ペテルブルグの最後』(1927)、『アジアの嵐(あらし)』(1928)と力作を発表、エイゼンシュテインのよきライバルとなって理論的著作でも国際的に知られるようになった。トーキー第一作は『脱走者』(1933)だが、1930年代後半からは社会主義リアリズム路線のため実験色を薄め、『スウォーロフ』(1941)、『ナヒモフ提督』(1946)ほか、もっぱら伝記映画の領域へ移ってしまった。著作の『映画監督と映画の材料』『映画脚本論』(ともに1926)、『映画俳優論』(1934)は各国語に翻訳され親しまれた。6月30日リガに没。[岩本憲児]

資料 監督作品一覧

チェス狂[ニコライ・シピコフスキーとの共同監督] Shakhmatnaya goryachka(1925)
頭脳のはたらき Mekhanika golovnogo mozga(1926)
母 Mat(1926)
聖ペテルブルクの最後 Konets Sankt-Peterburga(1927)
アジアの嵐 Potomok Chingis-Khana(1928)
脱走者 Dezertir(1933)
スウォーロフ Suvorov(1941)
祖国の名において Vo imya rodiny(1943)
ナヒモフ提督 Admiral Nakhimov(1946)
三つの邂逅(かいこう) Tri vstrechi(1949)
ワシーリー・ボルトニコフの帰還 Vozvrashcheniye Vasiliya Bortnikova(1952)
『馬上義太郎訳『映画俳優論』(1952・未来社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

プドフキン」の用語解説はコトバンクが提供しています。

プドフキンの関連情報

関連キーワード

黒田清輝ウィグモア北村透谷東京大学E. ロッドウェルナー内村鑑三ドビュッシーニキシュマイケルソン

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation