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ヘルツォーク

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ヘルツォーク
Hertzog, James Barry Munnik
[生]1866.4.3. ケープ植民地ウェリントン近郊
[没]1942.11.21. プレトリア
南アフリカ共和国の軍人,政治家,アフリカーナー (現地オランダ系白人) 民族主義者。アムステルダム大学卒業後,弁護士,次いで判事となったが,1899~1902年の南ア戦争 (第2次ボーア戦争) に司令官として従軍。 10年連邦成立後 L.ボータ内閣の法相となり,12年に反英的立場から辞職。 14年アフリカーナーを基盤とする国民党結成,24年の総選挙に労働党と組んで勝ち首相となった。第2次世界大戦の際中立を主張し,39年参戦をめぐる議会表決で敗れて辞職。 40年に議員辞任した。

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ヘルツォーク
Herzog; duc; duke
もともと古ゲルマンの軍隊統率者ので,ラテン語でドゥクス duxと呼ばれ,戦争の際の人民集会で貴族のなかから選ばれたが,やがて平時においても政治的な指導者をこう呼ぶようになった。その権威は王に準じるものであった。メロビング朝王権衰退期に,バイエルン,アレマンネンなどの諸部族を支配する「部族公」 Stammes-Herzogが出現し,この地方的勢力は,カロリング朝のもとで一度制圧されたのち,10世紀初めに復活し,12世紀中頃までドイツ帝国の土台を形成した。封建制の発達とともにヘルツォーク職は,一般にグラーフの上,王の下に立つ大貴族の位階をさすようになるが,「公 (こう) 」と訳されるこの高級貴族の国制史的な役割は国によって一様でない。

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ヘルツォーク
Herzog, Roman
[生]1934.4.5. ランツフート
[没]2017.1.10. バートメルゲントハイム
ドイツの政治家。大統領(在任 1994~99)。バイエルン州で生まれ,教育を受けた。1958年,ミュンヘン大学で法学博士号を取得。1966年に,ベルリン自由大学で憲法学および政治学の教授に就任した。1969年にシュパイアー行政大学院に移って政治学を教え,翌 1970年に中道右派のキリスト教民主同盟に入党した。シュパイアー行政大学院時代に,ラインラントファルツ州の首相だったヘルムート・コールに出会い,1973年,ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の首都ボンで,ラインラントファルツ州の全権代表となった。その後政府の役職を歴任し,最終的にシュツットガルトに移り 1980年にはバーデンウュルテンベルク州の内務大臣となった。1983年に連邦憲法裁判所副長官に就任。1987年に同裁判所長官となった。1994年5月,1990年の東西ドイツの統一後初めての連邦大統領選挙が行なわれ,3回目の投票で当選に必要な過半数の票を獲得し,勝利した。大統領任期中はドイツ民主共和国(東ドイツ)と西ドイツの相互理解を深めることに努めた。またヨーロッパ統一の推進派でもあった。1999年に任期が満了すると,ドイツ内の複数の大学で非常勤の教授として教鞭をとった。2003年,ミュンヘンにローマン・ヘルツォーク研究センターを設立した。

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世界大百科事典 第2版

ヘルツォーク【Herzog】
フランク王国,ドイツ王国における官職,称号。大公または公と訳されることが多い。古ゲルマン人のもとで,戦時に置かれる最高の軍隊指揮官で,多くの場合有力豪族が選ばれた。フランク王国でも大公の制度が認められるが,これはローマ帝国末期,国境守備軍の指揮官として各地に置かれた将軍(ドゥクスdux)の制度を継承したもので,主として辺境地域に置かれた。メロビング朝末期,王権の弱体化と各地豪族の自立化に伴って,チューリンゲン,バイエルン,アラマン,フリーゼン,アクイタニアに大公が出現する。

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ヘルツォーク【James Barry Munnik Hertzog】
1866‐1942
南アフリカの軍人,政治家。ケープ州ウェリントンに生まれ,ステレンボッシュ大学法学部卒業後,オランダに留学。1893年帰国しトランスバール最高裁判所判事となったが,ボーア戦争勃発とともにボーア軍指揮官として参戦。1910年南ア連邦結成後,ボータ内閣に司法相として入閣。しかし親イギリス的なボータに対抗してボーア人ナショナリズムを提唱し14年国民党を結成。22年のラント金鉱山ストライキ後,労働党と提携して24年第1次ヘルツォーク内閣組閣。

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