●ベルサイユ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ベルサイユ
Versailles
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デジタル大辞泉
ベルサイユ(Versailles)
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世界大百科事典 第2版
ベルサイユ【Versailles】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ベルサイユ
べるさいゆ
Versailles
フランス北部、イブリーヌ県の県都。ブルボン王朝時代の宮廷所在地(1682~1789)。人口8万5726(1999)。ベルサイユ宮殿の所在地で、パリ南西21キロメートルと首都近郊にあることから、同宮殿を中心とする観光地となっている。
17世紀までは小寒村で、フランス王家の狩猟場であった。宮殿建設はパリを嫌ったルイ14世によって企画され、1662年に工事が開始された。それは王の「自然を制圧する尊大な楽しみ」(サン・シモン)と評されるように、当地の自然を改造し、旧村落を追い立てる大事業であり、計画都市の建設であった。建設には、ル・ノートル、ルボー、ルブランやマンサールなど、当代第一級の建築家、園芸家、工芸家たちが担当し、左右同形の均斉美を誇る宮殿と幾何学的な構図の大庭園、クラニー宮その他の別館が散在する壮大な宮苑(きゅうえん)が創設された。王は1682年に新王宮に移ったが、増改築が続き、完成まで約40年を費やした。ルイ15世の時代には、さらに北に商工街区、南に貴族・官僚居住区がつくられて都市化が進行し、18世紀末には人口約5万の王都となった。1789年の革命後、一時衰退したが、パリ郊外の衛星都市として蘇生(そせい)した。宮殿は数々の歴史的会議や宣言、条約締結の場となった。なかでも、1789年5月4日には全国三部会の議場となり、革命を誘発した。1871年1月18日、ウィルヘルム1世によって統一ドイツ帝国が宣せられたのも宮殿の鏡の間である。第一次世界大戦の講和条約も1919年6月28日に同じ鏡の間で調印された。
[千葉治男]
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精選版 日本国語大辞典
ベルサイユ
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