●ペテーフィ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ペテーフィ
Petöfi Sándor
[没]1849.7.31. フェヘールエジハーザ
ハンガリーの詩人。貧窮のために 15歳で家を出て,旅役者の一座に加わったり,軍隊に入ったりした。この間,各地の民謡に触れ,その素朴で直截な表現を自分のものにした。作品はチョコナイらのハンガリー詩の伝統の頂点に立ち,特に『9月の終りに』 Szeptember végén (1847) などの恋愛詩に彼の真価が現れている。 1848年3月 15日ブダペスト市民蜂起の先頭に立ち,『民族の歌』 Nemzeti dalを朗読。革命に参加し,革命をうたう国民詩人として民衆の敬愛を集めたが,戦場で短い生涯を終えた。代表作,処女詩集『詩集』 Versek (44) ,叙事詩『勇士ヤーノシュ』 János vitéz (45) ,抒情詩『雲』 Felhök (46) 。
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デジタル大辞泉
ペテーフィ(Petōfi Sándor)
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世界大百科事典 第2版
ペテーフィ【Petöfi Sándor】
ハンガリーの詩人。ハンガリー平原のキシュケーレシュで小商人の父と女中の母の間に生まれる。各地の学校を転々とし,やがてシェムレツの高校で自主サークル活動や劇場通いに熱中し,試験に落第する。そのため父から勘当され,放浪生活が始まる。初め旅役者の一座に加わり,その後2年ほどの軍隊体験の後,短期間学業生活に戻るが,再び旅役者としてハンガリー平原の町を巡回する。その間書きためた詩を持って,詩人ベレシュマルティを訪ね,彼の推薦で《詩集》(1844)を刊行。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ペテーフィ
ぺてーふぃ
Petőfi Sándor
(1823―1849)
ハンガリーの詩人。小商人の息子として生まれ、教育熱心な父の方針により各地の学校を転々としたが、やがて旅役者の一座に身を投じた。短い軍隊生活ののち復学するが、家の没落などでふたたび旅の一座に加わり、ハンガリー平原を放浪する。この間の作品を、詩人のベレシュマルティの援助で『詩集』(1844)として発表、民衆のなかで学んだ素朴な民謡風の詩は多くの人の心をとらえ、一躍文名をはせた。『アルフェルド』(1844)など郷里のハンガリー平原と家族への思いを歌った詩や、のちに妻となる女性を歌った『九月の終りに』(1847)などの恋愛詩は比類ない叙情詩として人々に愛された。また、保守主義者を風刺した『パトー・パールさん』(1847)などの作品、さらにハプスブルク政権に抗議する『王たちを絞首台に!』(1848)などの詩を発表。民族的自由を渇望するこれらの詩は、当時のハンガリーの民族意識の高揚の機運と相まって、彼の人気は真に国民的なものとなった。独立戦争のきっかけをなした1848年3月15日のブダペスト市民蜂起(ほうき)の際、彼は自作の詩『起て、マジャル人!』を市民の前で朗読し、独立戦争に参加したが、翌年の敗戦直前、シェゲシュバール付近の戦場で倒れた。ときに26歳。ほかに民話風の長編叙事詩『勇士ヤーノシュ』(1844)が有名であり、現在もオペレッタとして上演されている。
[岩崎悦子]
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精選版 日本国語大辞典
ペテーフィ
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