●ペルセポリス
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ペルセポリス
Persepolis
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デジタル大辞泉
ペルセポリス(Persepolis)
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デジタル大辞泉プラス
ペルセポリス
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世界遺産詳解
ペルセポリス
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世界大百科事典 第2版
ペルセポリス【Persepolis】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ペルセポリス
ぺるせぽりす
Persepolis
イラン南西部、シーラーズ市の北東約70キロメートルにあるクーフ・アッラフマト山麓(さんろく)に営まれた古代ペルシア帝国の都市。アケメネス朝ペルシアのダリウス1世が帝国の新しい首都として、紀元前520年に建設を始め、その後歴代の王が増改築を継続した。行政府としての政治の中心はスーサに置かれていたので、ペルセポリスは王の儀式や祝祭などを行う神聖な役割をもつ都であった。建造物は山の斜面に造成された広大なテラス上に配置されている。代表的遺構はダリウスの宮殿、100本の列柱があったところから百柱殿とよばれる大広間、柱頭に獅子(しし)や牡牛(ぼぎゅう)を彫った柱がある謁見殿、クセルクセスの宮殿、宝物庫、ハレムなどである。謁見殿の階段に残る朝貢する被征服民族の浮彫りも名高い。前330年マケドニアのアレクサンドロス大王によって帝国は滅ぼされ、ペルセポリスも廃都と化した。1931年からシカゴ大学の発掘調査が行われた。1979年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[吉村作治]
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精選版 日本国語大辞典
ペルセポリス
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旺文社世界史事典 三訂版
ペルセポリス
Persepolis
現在のイラン南部の都市シーラーズの北東に位置する。ギリシア語で「ペルシア人のポリス」の意。行政都市スサに対して,儀式や祝祭を行う神聖都市であった。ダレイオス1世以後,数代にわたって造営されたが,前330年,アレクサンドロス1世の遠征により宮殿は破壊された。遺跡は宮殿,列柱殿,宝庫が並びたち,宮殿の柱は高さ20mにもおよぶ。
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