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ペレ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ペレ
Pelé
[生]1940.10.23. トレスコラソンエス
「サッカーの王様」と呼ばれるブラジルのサッカー選手。本名 Edson Arantes do Nascimento。 1956年 15歳でサントスクラブに入団,17歳で 1958年ワールドカップブラジル代表チームの一員に選ばれ,4試合で6ゴールを記録,初優勝貢献した。ワールドカップは4回連続出場して優勝3回。 1969年 11月 20日には 1000点目のゴールを決めるなどブラジルの国民的英雄とされ「20世紀最高のサッカー選手」ともいわれる。 1971年7月に代表チームを離れ,1974年に引退。 1975年に一時アメリカでカムバックしたが,2年後正式に引退。通算 1363試合 1281得点は不滅の記録とされる。

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ペレ
Péret, Benjamin
[生]1899.7.4. ロアールアトランチック,ルゼ
[没]1959.9.7. パリ
フランスの詩人。第4インターに加入してスペイン内乱に参加。第2次世界大戦中はメキシコ亡命。ブルトンらとともに最も純粋にシュルレアリスムの立場を貫徹し,絶対的自由を求めてあらゆる既成の体制に反抗した。鋭角的で不合理なブラック・ユーモアが彼の作品の特徴。詩集『大西洋航路の乗客』 Le Passager du transatlantique (1921) ,『大いなる』 Le Grand jeu (28) 。

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ペレ
Perret, Auguste
[生]1874.2.12. ベルギーブリュッセル
[没]1954.2.25. パリ
フランスの建築家。父はブルゴーニュ出身で建築請負会社を経営,その長男として生まれ,1891年エコール・デ・ボザールに入学。ジュリアン・ガデのアトリエに入るが,1901年に退学,弟とともに父の会社に入社し,1905年以降ペレ兄弟会社と改称した。鉄筋コンクリートを石造および木造の伝統的建築の技術のうえで発展させ,鉄筋コンクリートに初めて建築スタイルを与えたとされる。ペレのファサードのモチーフは,水平コーニス,オーダーを思わせる柱列に枠づけられた縦長の窓で象徴されるように古典主義的であるが,フランス合理主義建築の潮流を継承した,最もフランス的建築家であった。作品は,パリのフランクリン街のアパート (1903~04) ,シャンゼリゼ劇場 (1913) ,同市近郊のランシーにあるノートル・ダム・デュ・ランシー聖堂 (1922~23) など,またルアーブルの再開発計画 (1945~50) などにも参加した。

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デジタル大辞泉プラス

ペレ
1987年製作のデンマーク・スウェーデン合作映画。原題《Pelle erobreren》。デンマークの文豪マーティン・アナセン・ネクセ大河小説『勝利者ペレ』の映画化。監督:ビレ・アウグスト、出演:マックスフォン・シドー、ペレ・ベネゴー、エリック・ポスゲほか。第60回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。同主演女優賞(シェール)、助演女優賞(オリンピア・デュカキス)、脚本賞受賞。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

ペレ【Auguste Perret】
1874‐1954
フランスの建築家。ベルギーのブリュッセル生れ。パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)を中退し,2人の弟とともに父親の経営していた施工会社に加わる。パリのフランクリン街に建てた集合住宅(1903)は彼の設計,自身の会社の施工によるもので,初めて鉄筋コンクリートを全面的に用いた建物として知られる。彼の技術は,それまで構造家エンヌビックFrançois Hennebique(1842‐1921)や建築家ボドーAnatole de Baudot(1834‐1915)らが発展させてきたコンクリート構法を,機能性,経済性の側面から大規模に実用化したもので,20世紀の新しい建築の流れを方向づけた。

出典:株式会社平凡社
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ペレ【Benjamin Péret】
1899‐1959
フランスの詩人。ナント近郊生れ。1920年にパリに出て,ブルトンと生涯にわたる親交を結び,1924年以後,シュルレアリスム運動に加わる。《大西洋横断旅行者》(1921)以来の詩集,《サン・ジェルマン大通り125》(1923)以後のコント集で,まれに見るユーモアと反抗精神と言語遊戯の融合を示しただけでなく,その妥協のない政治的言動においても,最も忠実なシュルレアリストの一人であることを立証した。【巌谷 国士

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大辞林 第三版

ペレ【Auguste Perret】
1874~1954 フランスの建築家。弟のギュスターブとともに近代的な建築を鉄筋コンクリート構造によって実現した。代表作にパリのフランクリン街のアパート、ランシーのノートルダム教会など。

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知恵蔵mini

ペレ
ブラジルの元サッカー選手。1940年10月23日、ブラジルのミナス・ジェライス州に生まれる。本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメント(Edson Arantes do Nascimento)で、ペレは幼少時の愛称。56年、15歳でFCサントス(ブラジル)に入団しプロデビュー。58年、17歳にしてFIFAワールドカップ・スウェーデン大会でブラジル代表に選ばれ、4試合で6得点を記録、ブラジルの初優勝に貢献した。ワールドカップにはその後も、チリ大会(62年)、イングランド大会(66年)、メキシコ大会(70年)と4大会連続で出場し、うち3大会で優勝した(ワールドカップで3度の優勝経験者は史上唯一)。FCサントスでは得点王に11回輝き、チームをサウスアメリカ・カップで世界一に導いた。74年10月、現役引退を表明したが、75年6月には北米リーグのニューヨーク・コスモスに入団し2年余りプレー、米国のサッカー人気を高め、現役引退。生涯通算成績は、1364試合1282得点。81年、世界の主要新聞へのアンケートで「今世紀で最も偉大なスポーツ選手」に選ばれ、99年には各国五輪委員会の投票により「20世紀最高の選手」に選ばれるなどし、「サッカーの神様」「サッカーの王様」と称されている。
(2014-12-1)

出典:朝日新聞出版
(C)Asahi Shimbun Publications Inc
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20世紀西洋人名事典

ペレ
Pelé


1940.10.23 -
ブラジルのサッカー選手。
ミナス・ジェライス州トレスコラソンエス生まれ。
本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント〈Edson Arantes do Nascimento Pelé〉。
サッカー選手の子で、サッカーの神様または黒い魔術師といわれる名選手。15歳でプロチーム、サントスFCに入り、1958年のストックホルム・ワールドカップには最年少の17歳で出場。以後ワールドカップには’62年、66年、’70年に出場し66年以外は優勝、ただ一人のワールドカップ3度優勝経験者となる。’71年国際試合引退を声明。’74年現役引退。’75年アメリカ・プロサッカーチーム・コスモスに復帰。’78年公式試合1700ゴールを達成。著書「ペレのサッカー」(’75年)。

出典:日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
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367日誕生日大事典

ペレ
生年月日:1940年10月23日
ブラジルの元・サッカー選手

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ペレ
(August Perret オーギュスト━) フランスの建築家。鉄筋コンクリートを素材に用いた教会堂建築に新しい様式を創造し、近代建築の確立に貢献した。(一八七四‐一九五四

出典:精選版 日本国語大辞典
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現代外国人名録2016

ペレ
Pelé
職業・肩書
元サッカー選手 元ブラジル・スポーツ相

国籍
ブラジル

生年月日
1940年10月23日

出生地
ミナス・ジェライス州トレス・コラソンエス

本名
エドソン・アランテス・ド・ナシメント〈Edson Arantes do Nascimento〉

学歴
サントス大学

勲章褒章
大英帝国勲章

受賞
国際平和賞〔1978年〕,WHOメダル〔1989年〕,国際スポーツ記者協会表彰選手〔1999年〕,20世紀の世界スポーツ賞〔1999年〕,FIFA20世紀最優秀選手〔2000年〕

経歴
“ペレ”は幼い頃に付けられた愛称。168センチと小柄ながら、1955年FCサントスに入って頭角を現し、16歳でブラジル代表入り。’58年W杯スウェーデン大会に17歳で出場、4試合で6得点を挙げてブラジルの初優勝に貢献、一躍有名に。同年シーズン最多ゴール53を記録。その後、’62年チリ大会、’66年イングランド大会、’70年メキシコ大会と背番号10を付けて4回連続でW杯に出場。’66年は優勝を逃したものの、W杯3回制覇という世界で唯一の存在となった。’71年7月に国際試合からの引退を表明。数々の記録を残して、’74年10月一旦現役を引退。’75年6月から2年余、米国のプロチーム、ニューヨーク・コスモスでプレーし、サッカー未開の地・米国で知名度と人脈を得る。以後はニューヨークを足場にサッカーの宣伝活動に従事。’81年にフランスのスポーツ紙「レキップ」による世界の主要新聞へのアンケートで“今世紀で最も偉大なスポーツ選手”に選ばれる。’91年8月サンパウロ航空(VASP)の宣伝担当最高責任者に就任。’92年6月国連環境開発会議(地球サミット)親善大使。’93年米国サッカー殿堂入り。’95年1月ブラジルの広告塔としてカルドゾ政権のスポーツ大臣に就任(’98年6月スポーツ省は教育省に吸収される)。’99年12月国際オリンピック委員会(IOC)の「オリンピック・レビュー」で各国五輪委員会の投票による“20世紀最高の選手”に選ばれる。ブラジルのオリンピック招致委員会メンバーで、2016年リオデジャネイロでの夏季五輪開催に尽力。著書に「ペレのサッカー」や小説「ワールドカップ殺人事件」(’88年)がある。生涯通算1364試合1282得点、ブラジル代表としては110試合97得点。“20世紀最高の選手”の他、“サッカーの神様”“サッカーの王様”と称され、ブラジルでは名前に王の称号“ヘイ”を冠して“ヘイ・ペレ”と呼ばれる。サッカーにおける功績やボランティア活動から世界各国の多くの勲章を授かっている。

出典:日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」
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