●ホフマン
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ホフマン
Hoffmann, Ernst Theodor Amadeus
[没]1822.6.25. ベルリン
ドイツの小説家,作曲家,音楽評論家,画家,法律家。モーツァルトへの傾倒から本名 Wilhelmを Amadeusと改めた。ケーニヒスベルク大学で法律を学んだのち,上級裁判所判事,音楽家などとして暮しを立てながら文学活動に入り,傑作『黄金のつぼ』 Der goldne Topfを含む短編集『カロー風の幻想画集』 Phantasiestücke in Callots Manier (4巻,1814~15) で一挙に文名を高めた。 1816年以後,昼間はベルリン大審院の勤勉な判事,夜は酒場に入りびたる放恣な幻想作家という二重生活はそのまま彼の作風の特徴をなし,後期ロマン派の代表であると同時に,リアリズムの先駆ともみられている。無理な生活がたたって 46歳で病死。小説『悪魔の霊薬』 Elixiere des Teufels (15~16) ,『牡猫ムルの人生観』 Lebensansichten des Katers Murr (20~22) などをはじめ多作。
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ホフマン
Hoffmann, Friedrich
[没]1742.11.12. ハレ
ドイツの医学者。 17世紀末~18世紀前半に活躍したいわゆる医学の体系学派の一人で,医物理学派と医化学派の思潮をともにふまえたうえに G.ライプニッツの唯心論を加味して生命や病気の解釈に折衷派の体系を立てた。彼の主張は,生命は運動であり,血液循環はその基本で,これを動かすものを生命の特質「張力」とした。そしてこの力源をエーテルに求め,呼吸とともに脳に入り,神経エーテルになって各筋,線維に張力を与えるとした。また,ホフマンの鎮痛薬といわれるものなど,多くの新薬を創案した。イェナ大学で学位を得,フランス,イギリスで学び,1694年から没するまでハレ大学教授。その間,3年間はベルリンでプロシア王フリードリヒ1世の侍医であった。
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ホフマン
Hoffmann, Hermann
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ホフマン
Hoffmann, Johann Joseph
[没]1878.1.23.
ドイツの日本学者。 1830年 P.シーボルトに会い,その助手として日本の研究に従事。オランダ東インド会社書記を経て,35年にはライデン大学日本講座担当教授となり,シーボルトとともに,『ニッポン』 Nippon (1832~54) を公刊するなど,ヨーロッパの日本研究の基礎を築いた。
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ホフマン
Hoffmann, Josef
[没]1956.5.7. ウィーン
オーストリアの建築家。ウィーン美術学校で O.ワーグナーに学び,最も信頼される弟子となる。ワーグナーの合理主義的な設計に影響を受けるが,装飾を軽視せず,優雅で洗練された作風が特徴。 1897年ウィーン・ゼツェッシオン創立に参加,アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受け,1903年ウィーン工房 (1933閉鎖) を設立,以後 30年間活発な建築活動を展開。主な作品はプルカルスドルフ療養所 (03) ,ブリュッセルのストックレー邸 (05~11) など。
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ホフマン
Hoffmann, Stanley Harry
アメリカの政治学者。 1952年ハーバード大学で修士号,53年パリ大学で博士号を得た。 60年アメリカ国籍を取得。その後ハーバード大学国際問題研究所所員,同大学政治学教授。研究分野は国際政治学,国際法,政治学,フランス思想史,歴史社会学など広範で,アメリカ,フランスの政治,外交に関する著書,論文も多い。フランスの社会学者 R.アロンの系譜をひいており,特に国際関係の理論的探究では早くから「国際政治における安定性と力の崩壊」を指摘し,国際関係の体系的・科学的研究と国際関係の哲学との合流の問題を主張している。主著"The State of War" (1965) ,"Primacy or World War" (78) 。
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ホフマン
Hoffmann, Theodor Eduard
[没]?
ドイツの軍医。ブレスラウおよびベルリンの軍医学校に学び,明治4 (1871) 8月 L.ミュラーとともに東校の教師として来日。内科学を担当した。 1874年任期終了後宮内省お雇いとなって 75年秋に帰国した。著作に『日本の脚気論』がある。
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ホフマン
Hoffman, Dustin
アメリカ合衆国の俳優。サンタモニカ・シティー・カレッジで音楽を専攻したが,19歳で中退して俳優の道に入った。ニューヨークに移り住み,職を転々としながら下積み生活を送る。数年後,ようやくテレビドラマの端役やオフ・ブロードウェーの主役を演じるようになり,オビー賞を 1回受賞した。映画出演 2作目となったマイク・ニコルズ監督の『卒業』The Graduate(1967)で,大学を卒業し将来を模索する 21歳の主人公を好演してスターの仲間入りを果たしたが,このときの実年齢は 30歳であった。ジョン・シュレシンジャー監督の『真夜中のカーボーイ』Midnight Cowboy(1969,アカデミー賞作品賞)では結核を患うホームレスを演じ,予想外の反響を呼んだ。3回のノミネートを経て,『クレイマー,クレイマー』Kramer vs. Kramer(1979)でついにアカデミー賞主演男優賞を獲得。『レインマン』Rain Man(1988)では特殊な能力をもつ自閉症の中年男性をみごとに演じ,再びアカデミー賞主演男優賞に輝いた。他の代表作は,『トッツィー』Tootsie(1982),『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』Wag the Dog(1997)など。
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ホフマン
Hoffmann, Jules
フランスの生理学者。ルクセンブルクの中等学校に学んだのち,フランスのストラスブール大学で生物学と化学を学び,1969年に同大学で生物学の博士号を取得。長くフランス国立科学研究センター CNRSに務め,1993年から 2005年まで同センター分子細胞生物学研究所の所長を務めた。2007年から 2008年までフランス科学アカデミー会長。リンパ球や抗体など獲得免疫が存在しない昆虫の生体防御機構を研究していたが,1996年にショウジョウバエの体つくりにかかわる遺伝子 Tollが生体防御にもかかわっていることを発見した。この発見を契機に,翌 1997年にはヒトにも Toll様受容体 TLRと相同の遺伝子 TLR4があることが発見され,免疫活動の引き金を引くとわかった。2011年,同じく生体が生まれながらにもっている細菌などのセンサ機構を解明,自然免疫の仕組みを解明したブルース・A.ボイトラー,外敵に対する獲得免疫応答の鍵となる樹状細胞を発見したラルフ・M.スタインマンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。(→免疫)
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ホフマン
Hoffman, Philip Seymour
[没]2014.2.2. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の俳優。ニューヨーク大学ティッシュ芸術校で演技を学び,舞台の仕事についた。映画『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』Scent of a Woman(1992)で注目を集める。ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』Boogie Nights(1997)で熱演して評判を呼び,同監督の『マグノリア』Magnolia(1999),『パンチドランク・ラブ』Punch Drunk Love(2002)にも出演。2005年,『カポーティ』Capoteで作家トルーマン・カポーティが代表作『冷血』In Cold Bloodを書きあげるまでを巧みに誠実に演じきり,アカデミー賞主演男優賞ほか数々の賞を手にした。その後も『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』Charlie Wilson's War(2007),『ダウト~あるカトリック学校で~』Doubt(2008),『ザ・マスター』The Master(2012)などで高く評価される。『ジャック,船に乗る』Jack Goes Boating(2010)で監督デビュー。舞台俳優としても活躍し,サム・シェパード原作『トゥルー・ウエスト』True West(2000),ユージン・グラッドストン・オニール作『夜への長い旅路』Long Day's Journey into Night(2003)やアーサー・ミラー作『セールスマンの死』Death of a Salesman(2012)に出演した。また演劇界でも制作者,監督として活躍した。
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ホフマン
Hoffmann, Roald
ポーランド生れのアメリカの化学者。 1949年,家族とアメリカに移住しコロンビア大学を卒業 (1949) ,ハーバード大学で博士号を取得し (62) ,65年コーネル大学に転じた。同年 R.B.ウッドワードとの共同研究で,ウッドワード=ホフマン則を提唱。独自に化学反応過程の電子状態研究に業績をあげた福井謙一とともに 81年ノーベル化学賞を受賞した。
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デジタル大辞泉
ホフマン(Albert Hofmann)
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ホフマン(August Wilhelm von Hofmann)
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ホフマン(Johann Joseph Hoffmann)
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
ホフマン Hoffmann, Theodor Eduard
1837年10月17日生まれ。ベルリン大などでまなぶ。新政府のドイツ医学採用で,明治4年(1871)B.ミュラーとともに来日。大学東校(東大医学部の前身)で内科学,病理学,薬物学をおしえた。のち宮内省にうつり,8年帰国。1894年4月1日死去。56歳。フリートベルク出身。
出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。
ホフマン Hohuman, Amerigo
明治37年(1904)東京帝大農科大学の教授としてまねかれ来日。砂防ダムを中心とするオーストリアの高山系砂防技術を日本に紹介した。42年帰国。享年70歳。
出典:講談社
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ホフマン Hoffmann, Johann Joseph
1805年2月16日生まれ。1830年ベルギーのアントワープでシーボルトにであい,その助手となり「日本」の編集,刊行に協力。1855年オランダのライデン大日本学初代教授となった。1867年日本語文法書「日本文典」をあらわした。一度も来日しないまま1878年1月19日死去。72歳。ビュルツブルク出身。
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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)
ホフマン
世界大百科事典 第2版
ホフマン【August Wilhelm von Hofmann】
ドイツの有機化学者。ギーセン生れ。法律を学ぶつもりでギーセン大学に入学したが,リービヒの感化を受けて化学に転じ,リービヒの助手を経て,1845年ロンドンに新設された王立化学大学に招かれ,20年間教授をつとめる。65年ドイツへ呼び戻されてベルリン大学教授となり,そこで没するまで研究を続けた。アニリンの本体をきわめ(1843),アミン類をアンモニア型の有機化合物として体系づけた(1850)。そのほか,〈ホフマン則〉(1851),〈ホフマン分解〉(1881)の発見,フクシンの研究に基づく合成染料〈ホフマンバイオレット〉の合成(1863),酸アミドを次亜塩素酸塩あるいは次亜臭素酸塩の作用でアミンに変える〈ホフマン反応〉の発見(1882)などの業績がある。
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ホフマン【Ernst Theodor Amadeus Hoffmann】
ドイツの小説家,また作曲家でもあった。東プロイセンのケーニヒスベルク(現,ロシア領カリーニングラード)に生まれる。同地の大学で法律を学び,司法官の道を進むが,音楽と絵画に熱中,また遺伝的に神経症を背負う。1802年高等官として任官,しかしナポレオン軍侵攻の動乱で失職,08年以降,バンベルクその他で音楽指揮者をつとめ,音楽評論も執筆。それらの評論はロマン派的音楽把握の頂点をなすと同時に,近代的音楽批評の先駆となる。
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ホフマン【Josef Franz Maria Hoffmann】
オーストリアの建築家,工芸デザイナー。O.ワーグナーの弟子でウィーン分離派(ゼツェッシオン)の創立者の一人。1903年モーザーK.Moserとともにウィーン工房を設立し,建築,室内装飾,家具調度品の多方面にわたる創作活動をし,アール・ヌーボー以後のデザインに深い影響を与えた。代表作ストックレー邸(ブリュッセル,1905‐11)には画家クリムトらが協力し,合理主義建築の空間造形をふまえながら細部には豊かな装飾を残している。
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ホフマン【Johann Joseph Hoffmann】
ドイツのビュルツブルク生れのオランダ人で,初期の日本学者。1830年アムステルダムでP.F.vonシーボルトに会ってその助手となり,のちライデン大学教授として日本学の講座を担当した。彼はシーボルトの大作《日本》(1832‐51)の編集・刊行に協力したほか,日本書のオランダ訳の刊行にも尽力したが,とくにその著《日本文法Japansche Spraakleer》(1867)は,この方面における画期的な労作として記憶さるべきものである。
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ホフマン【Theodor Eduard Hoffmann】
ドイツの医師で,御雇医師としてL.B.C.ミュラーとともに1871年来日した。ブロツワフ,ベルリンの両大学に学び,トラウベL.Traubeについて内科学を修めた。海軍軍医となり,普仏戦争のため当初の予定より来日が2年遅れた。日本がドイツ医学を採ることを決したときの最初の招聘(しようへい)者の一人で,東校(東京大学医学部の前身)で内科学,病理学,薬物学などを教授した。74年より宮内省御雇に転じ,翌75年帰国した。
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367日誕生日大事典
ホフマン
ドイツの日本学者
1878年没
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ホフマン
ドイツの海軍軍医
1894年没
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精選版 日本国語大辞典
ホフマン
出典:精選版 日本国語大辞典
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化学辞典 第2版
ホフマン
ホフマン
Hofmann, August Wilhelm von
ドイツの化学者.ギーセンに生まれる.1836年法律を学ぶために同地の大学に入学するが,J. Liebig(リービッヒ)の分析化学にひかれ化学に進む.1841年学位を取得し,コールタール中に得られた塩基性物質にアニリンの名称を与えた.1845年Liebigの推薦を受けてロンドンに新設された王立化学カレッジの教授になった.その後20年もの長い間,ロンドンで研究し,教育の面で多くの業績を残した.とくにコールタールとその誘導体の研究が重要である.かれの弟子の数は多く,W.H. Perkin(パーキン),S.E. Frankland(フランクランド),W. Odlingなど,のちのイギリスの化学に貢献する人材を輩出した.1865年ベルリン大学の教授となり,ドイツ化学会を創立し,機関誌Berichteを創刊するなど,ドイツ化学会,工業会の発展に尽力した.かれの研究室からは900の報告がなされており,アニリンの塩素化による置換説の実証(1845年),ヒドラゾベンゼン(1863年),ジメチルアニリン(1873年)の研究など,多くの発見があげられる.ホフマン反応(ホフマン転位)やホフマン分解もかれにちなむ.これらの研究の成果は,純理論的というよりは化学工業に顕著な貢献をした.1877年に出版された“近代化学入門”は好評を博した.1872~1874年,わが国の薬学の開祖長井長義が指導を受けている.
出典:森北出版「化学辞典(第2版)」
東京工業大学名誉教授理博 吉村 壽次(編集代表)
信州大学元教授理博 梅本 喜三郎(編集)
東京大学名誉教授理博 大内 昭(編集)
東京大学名誉教授工博 奥居 徳昌(編集)
東京工業大学名誉教授理博 海津 洋行(編集)
東京工業大学元教授学術博 梶 雅範(編集)
東京大学名誉教授理博 小林 啓二(編集)
東京工業大学名誉教授 工博佐藤 伸(編集)
東京大学名誉教授理博 西川 勝(編集)
東京大学名誉教授理博 野村 祐次郎(編集)
東京工業大学名誉教授理博 橋本 弘信(編集)
東京工業大学教授理博 広瀬 茂久(編集)
東京工業大学名誉教授工博 丸山 俊夫(編集)
東京工業大学名誉教授工博 八嶋 建明(編集)
東京工業大学名誉教授理博 脇原 將孝(編集)
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ホフマン
ホフマン
Hoffmann, Roald
ポーランド生まれのアメリカの理論化学者.第二次世界大戦下,ユダヤ人として収容されていた収容所から母と逃れ,解放後,各国のキャンプを経て,1949年にアメリカに渡る.1955年コロンビア大学に入学し,1958年ハーバード大学大学院に進学し,1962年学位を取得.在学中に9か月間モスクワ大学に交換学生として滞在.1965年にコーネル大学に移り現在に至る.大学院時代に理論化学を専攻し,W.W. Lipscomb(リプスコム)のもとで拡張ヒュッケル法プログラムを開発し,ホウ素化合物など無機化合物に応用したが,エタンの内部回転障壁が計算できたことから,有機化学への理論化学の応用を本格的に進めた.R.B. Woodword(ウッドワード)とともに化学反応における軌道対称性の保存則(ウッドワード-ホフマン則)を見いだし,電子環化反応における異性体の生成機構などの説明に成功した.さらに有機金属化合物や無機化合物,結晶系などの性質を軌道概念にもとづいて研究し,化学反応経路に関する理論的研究の業績で,1981年福井謙一とともにノーベル化学賞を受賞.近年は詩集や哲学的随筆も著している.
出典:森北出版「化学辞典(第2版)」
東京工業大学名誉教授理博 吉村 壽次(編集代表)
信州大学元教授理博 梅本 喜三郎(編集)
東京大学名誉教授理博 大内 昭(編集)
東京大学名誉教授工博 奥居 徳昌(編集)
東京工業大学名誉教授理博 海津 洋行(編集)
東京工業大学元教授学術博 梶 雅範(編集)
東京大学名誉教授理博 小林 啓二(編集)
東京工業大学名誉教授 工博佐藤 伸(編集)
東京大学名誉教授理博 西川 勝(編集)
東京大学名誉教授理博 野村 祐次郎(編集)
東京工業大学名誉教授理博 橋本 弘信(編集)
東京工業大学教授理博 広瀬 茂久(編集)
東京工業大学名誉教授工博 丸山 俊夫(編集)
東京工業大学名誉教授工博 八嶋 建明(編集)
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旺文社世界史事典 三訂版
ホフマン
Ernst Theodor Amadeus Hoffmann
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
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