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ボゴミル派【ボゴミルは】

世界大百科事典 第2版

ボゴミルは【ボゴミル派 Bogomils】
中世のバルカン半島勢力をふるったキリスト教の異端。パウロ派の影響のもとに,10世紀前半のブルガリア西部マケドニア地方の司祭ボゴミルBogomilが興したとされる。世界を善と悪の対立でとらえる二元論的異端で,教会制度や典礼はもとより,世俗の権威や社会制度もサタン(悪魔)の創始したものとして徹底的に否認したため,反体制運動の様相を呈し,支配者および教会の弾圧を招いた。ボゴミル派自体ははっきりした教会制度を持たず,厳格な禁欲主義を実践する〈完全者〉とそれ以外の信徒の別があったにすぎない。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ボゴミル派
ぼごみるは
Bogomils
10世紀以後バルカン半島や小アジアに広まったキリスト教の二元論的異端で、トラキアのパウロ派を通じてマニ教の影響を受けた。この名は創始者ボゴミルBogomil(ギリシア語テオフィロス――神の友の意――のブルガリア語訳)にちなんだもの。彼はマケドニアのフィリッポポリス周辺で、俗世からの離脱、華美な教会儀式の拒否、また財産と権力の放棄こそ真にキリスト教的な生活であると説いて、貴族から農民層に至る広い支持者を得たが、1118年コンスタンティノープル周辺の指導者はビザンティン皇帝アレクシオス1世(在位1081~1118)によって火刑にされ、40年の教会会議では彼らの書物の破棄が命じられた。とくにマヌエル1世(在位1143~80)の激しい弾圧を受けてからは西ヨーロッパにも伝道の方向を向けたといわれるが、ボゴミル派の分枝とされるカタリ派がはっきりその姿をみせるのも同じころである。1167年トゥールーズに近いカラマンでコンスタンティノープルからきた「異端の教皇」ニケタスがカタリ派の教会会議を司会し、同派の教会組織を強化したが、彼もボゴミル派の司祭であったらしい。このころすでに東方では穏健なブルガリア教会と過激なドゥラゴビツァ教会に分裂していて、西欧ではイタリアにそれが強く反映した。13世紀に活動の中心はボスニアに移ったが、1463年オスマン・トルコによるボスニア占領によってこの派の大部分はイスラム教に転向した。[今野國雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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