●ボルジア
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ボルジア
Borgia, Cesare, Duc (duke) De Valentinois
[没]1507. スペイン,ビアナ近郊
イタリアの政治家。ロドリーゴ・ボルジア(のちのローマ教皇アレクサンデル6世)の息子。ボルジア家の出身。1492年バレンシア大司教,1493年枢機卿,1495年オルビエト総督。1497年の弟フアンの死に関与したとみられ,この頃から政治的野心をみせ始めた。1498年枢機卿の位から降りることを宣言,同年フランス王ルイ12世からリヨン近くのバレンティノア領を授けられ,以後バレンティノア公と呼ばれた。1499年ルイ12世のいとこでナバラ(ナバール)王の妹シャルロット・ダルベールと結婚。フランスの支援を確実としたのち中部イタリアの征服を目指してイモラ,フォルリ,リミニ,ペザロ,ウルビノを次々に手中に収め,1502年にロマーニャ公の地位についた。1503年父アレクサンデル6世が突然病死し,チェーザレ自身重い病に倒れると,後任教皇ユリウス2世によって逮捕され,ロマーニャ公の称号を剥奪された。ナポリに逃れたが再び逮捕されてスペインに流刑の身となり,再度脱出に成功してナバラ王国に身を寄せたが,1507年同地で戦死。権謀術数に富んだ波乱の生涯で,マキアベリがチェーザレの政治的力量をみて『君主論』を執筆したことは有名。
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ボルジア
Borgia, Juan
[没]1497.6.14.
ガンディア公。ロドリーゴ・ボルジア (のちのローマ教皇アレクサンデル6世 ) の息子。ボルジア家の出身。父が 1492年に教皇となると,その権威を背景にスペインのガンディア公となった。 97年ローマ貴族オルシニ家との戦いで教会軍総司令官をつとめたが敗北。父に愛され,要職を与えられたが,それをねたんだ兄チェーザレ (→ボルジア,C.) に暗殺されたとされている。
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ボルジア
Borgia, Lucrezia
[没]1519.6.24. フェララ
フェララ公妃。ロドリーゴ・ボルジア (のちのローマ教皇アレクサンデル6世 ) の娘。ボルジア家の出身。 1493年ペーザロ伯ジョバンニ・スフォルツァと結婚したが,父教皇はアラゴンとの同盟が必要となったためこの結婚を破棄して,98年アラゴン家のビシェリエ公アルフォンソ (17歳) と再婚させた。だが兄のチェーザレ (→ボルジア,C.) が今度はフランスとの同盟が必要となって,1500年ビシェリエ公を暗殺。このためルクレツィアは 01年エステ家のフェララ公アルフォンソと結婚。 03年父である教皇の死後,政争から離れ,フェララ公妃としてその知性と美貌のゆえに多くの芸術家から敬愛された。その宮廷はイタリア・ルネサンス期の芸術の中心となった。
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ボルジア
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デジタル大辞泉
ボルジア(Cesare Borgia)
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
ボルジア Borgia, François de
1850年3月21日生まれ。明治10年(1877)プチジャン司教の要請で来日。岡山から熊本に転任し,玫瑰(まいかい)館(のちの天使園),玫瑰女学校(のちの熊本信愛女学院)を創立,児童福祉や女子教育につくした。昭和8年3月8日長崎で死去。82歳。ソーヌ-エ-ロワール県出身。本名はフィリベルト=マテー(Philiberte Mathey)。
出典:講談社
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世界大百科事典 第2版
ボルジア【Cesare Borgia】
ルネサンス・イタリアの政治家。アルバノ司教で枢機卿のロドリゴ・ボルジア(後の教皇アレクサンデル6世)の庶子。1482年教皇シクストゥス4世の首席秘書官を皮切りに,最初は聖職者の道を歩み始める。父の教皇就任後,92年バレンシア大司教,93年枢機卿となり,教皇最良の相談相手となる。94年シャルル8世がイタリアを簡単に制圧し,力をまざまざとみせつける。この時の政治体制,国際外交や戦争がイタリアと彼に一つの転換の必要を悟らせる。
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精選版 日本国語大辞典
ボルジア
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旺文社世界史事典 三訂版
ボルジア
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