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マイケルソン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

マイケルソン
Michelson, Albert Abraham
[生]1852.12.19. スチェルノ
[没]1931.5.9. カリフォルニア,パサディナ
ポーランド生れのアメリカの物理学者。 1854年2歳のときに一家で渡米。アナポリス海軍兵学校卒業後,そこで物理と化学を教えた (1875~79) 。ドイツとフランスへ留学 (80~82) 。帰国してクリーブランドの応用科学ケース・スクール教授 (83) 。クラーク大学教授を経て,シカゴ大学教授 (92) 。 81年マイケルソンの干渉計発明し,それを用いて光速度の厳密な決定を行なったほか,E.モーリーと共同で地球と光の媒体としてのエーテル相対速度の変化を検出する実験 (マイケルソン=モーリーの実験 ) を行なった (87) 。この実験結果はアインシュタイン光速度不変の原理を確立する有力な動機となった。そのほか,長さの基準として光の波長を用いる提案 (93) ,天体直径の測定 (1920) などを行なった。 1907年ノーベル物理学賞を受賞した。

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デジタル大辞泉

マイケルソン(Albert Abraham Michelson)
[1852~1931]米国物理学者ドイツの生まれ。精密な二光線干渉計を発明、マイケルソン・モーリーの実験を行う。1907年ノーベル物理学賞受賞。

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世界大百科事典 第2版

マイケルソン【Albert Abraham Michelson】
1852‐1931
プロイセン生れのアメリカの物理学者。2歳のとき家族とともにアメリカに移住した。1873年海軍兵学校を卒業し,2年間西インド諸島を航した後,海兵学校の物理学,化学の講師となった。その間にJ.ティンダルのアメリカ講演が刺激となって光速度の測定実験に着手し,79年にS.ニューカムに招かれてワシントンの水路部へ移り実験を続けた。翌年さらに研究を続けるために休暇をとって2年間ヨーロッパに留学し,ドイツではH.vonヘルムホルツやG.H.クウィンケに,フランスではM.A.コルニュやG.リップマンに師事した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

マイケルソン【Albert Abraham Michelson】
1852~1931 アメリカの物理学者。精密な干渉計を発明。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

マイケルソン
まいけるそん
Albert Abraham Michelson
(1852―1931)
アメリカの物理学者。プロイセンに生まれ、幼時、両親とともにアメリカに移住。1873年海軍兵学校を卒業し、数回の航海ののち、母校の物理学の講師となる。1880~1882年ドイツ、フランスに留学、ヘルムホルツらに師事した。その後1882年オハイオ州のケース応用科学大学、1889年マサチューセッツ州のクラーク大学、1893年シカゴ大学の物理学教授を歴任した。1920年代に入ると、カリフォルニア工科大学で研究することが多くなった。研究テーマは一貫して光速の精密測定に関連したものであった。ベルリンに留学中、電磁現象の担い手(したがって光の媒質でもある)として宇宙空間に静止してあまねく存在するものと想定されていたエーテルに対する、地球の相対運動を実験的に検出する方法を考え実行に移した。その原理は、地球上の光源からの光を互いに直交する方向に往復させたあと干渉させ、さらに装置全体を水平面内で回転させて干渉縞(じま)の移動を見る、というものであった。実験結果は相対運動がないことを示した。1887年にモーリーと共同して精度を高めた実験を行ったが、結果はやはり否定的であった。のちにミラーDayton C. Miller(1866―1941)が1925~1926年に行った同種の実験で、太陽系の絶対速度が秒速200キロメートルであることを示す結果を得たと発表、マイケルソンらも追試を行ったが、ミラーの結果は再確認されなかった。
 マイケルソンらの実験は相対性理論と一致するものであるが、マイケルソン‐モーリーの実験結果を説明することを直接的契機としてアインシュタインが特殊相対性理論を生み出したとする理解は、近年の科学史研究により否定されている。
 マイケルソンがこうした実験のため改良した干渉計(マイケルソン干渉計)は、それ自体、実験物理学上の重要な功績であり、彼は光速の値そのものの精密測定においても貴重な貢献をした。また、1892~1893年には、パリのメートル原器の長さがカドミウムの赤色スペクトル線の波長の何倍かを測定し、その波長を長さの標準とすることを提案した。干渉計の考案とそれによる分光学およびメートル原器に関する研究で1907年にノーベル物理学賞を受賞した。アメリカ人として初めてのノーベル賞受賞であった。[杉山滋郎]

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精選版 日本国語大辞典

マイケルソン
(Albert Abraham Michelson アルバート=エイブラハム━) アメリカの物理学者。プロイセン生まれ。精密な干渉計を発明し、地球とエーテルの相対運動の検証を試みた。その否定的結果により、特殊相対性理論への根拠が提供された。一九〇七年ノーベル物理学賞受賞。(一八五二‐一九三一

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