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マウリッツ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

マウリッツ
Maurits van Oranje
[生]1567.11.13. ディレンブルフ
[没]1625.4.23. ハーグ
オランダ (ネーデルラント) 連邦共和国総督 (在任 1584~1625) 。オランニェ公,ナッサウ伯。ウィレム1世 (沈黙公)次男。 1584年父が暗殺されると,若くしてホラントゼーラントなどの総督に任命され,J.オルデンバルネフェルトの後見のもとに共和国をスペイン軍の侵略から解放した。その軍事的才能は全ヨーロッパに知られ,たびたびスペイン軍を破って,1609年スペインとの間に 12年間の休戦を実現し,共和国の事実上の独立に成功。 18年和平派のオルデンバルネフェルトとの対立が激化し,クーデターによって彼を捕え処刑し (19) ,共和国最高の権力者になった。なお,彼は 1612年日本に使節を派遣して徳川家康ポルトガル密謀を告げる書を託し,以後の日本とオランダの関係の端緒を開いた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

マウリッツ【Maurits】
1567‐1625
オランダの総督。ウィレム1世の次男で,ナッサウ伯,オラニエ公(1618年以後)。1584年父の死後国務評議会議長に就任,85年ホラント,ゼーラント,89年オーフェルアイセル,90年ユトレヒト,91年ヘルデルラント,1620年フローニンゲンの各州総督を兼ねた。その間1590年ユトレヒト同盟の陸海軍総司令官に就任,古代ローマの戦術の研究に基づいて軍隊の再編整備につとめ,同盟諸州からスペイン軍を駆逐してオランダ共和国の基礎を築いた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

マウリッツ
まうりっつ
Maurits van Oranje
(1567―1625)
オランダ連邦共和国の総督。ナッサウ伯。1618年以後オラニエ公。オランダ独立の指導者オラニエ公ウィレム1世の子として生まれる。暗殺された父の後を継いでホラント州をはじめ諸州の総督、最高軍司令官に任命された。ライデン大学で数学者ステフィンSimon Stevin(1548―1620)に数学を学び(1583~1584)、戦術の基礎とした。スペイン軍に占領されていた東部、南東部の諸都市を次々に奪回し、ことにニウポールトの勝利により名戦略家としてヨーロッパに名声を馳(は)せた。1609年、共和国の政治を指導したオルデンバルネフェルトJohan van Oldenbarnevelt(1547―1619)がスペインとの休戦条約を締結すると、対スペイン戦争の継続を望むマウリッツはこれに反対し、1618年クーデターを起こしてオルデンバルネフェルトを逮捕、翌1619年裁判にかけて処刑した。政敵を倒して共和国の最高権力者になったが、州分権主義を克服することはできなかった。[栗原福也]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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