●マオリ戦争【マオリせんそう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
マオリ戦争
マオリせんそう
Maori Wars
第2次マオリ戦争とも呼ばれる。 1860~72年にニュージーランドのマオリ族とヨーロッパ植民者との間に土地売却をめぐって発生した数次の武力紛争。 (1) 第1次タラナキ戦争 (1860~61) 1850年代の大量移住民で植住民地政府は土地を必要としたが,マオリ族は不売を決定した。 59年タラナキ地方の副首長が部族とはからず土地売却を企てたことから武力衝突となり,イギリス軍と民兵は塹壕でマオリ族の砦を包囲。マオリ族は敗れて和を結んだ。 (2) 第2次タラナキ戦争 (63~64) 63年4月総督 G.グレーがタタライマカ地区からマオリを追ったことから勃発,同時にマオリ王運動の中心地ワイカトでも戦端が開かれた。イギリスは砲艦や植民地志願兵を導入,64年4月オラカウ砦が落ちて事実上の終戦となった。 (3) 最終期 (64~72) 戦火は北島全域に広がり,狂信的なハウハウ教団戦士がマオリの主力となった。イギリス政府の意に反して植民地政府は戦争を続行,両者とも戦力を消耗して終息した。北島中西部にマオリ保留地が設けられたが,多くの土地が没収され,マオリ社会は崩壊した。
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世界大百科事典 第2版
マオリせんそう【マオリ戦争】
1860年から72年にかけてニュージーランド北島で,先住民マオリ族と入植者が戦った土地戦争。1840年締結のワイタンギ条約によってニュージーランドはイギリスの植民地となったが,植民地政府の土地政策は入植者とマオリ双方に失望をもたらした。入植者は土地購入権をもつのが政府であるため常に土地の不足を訴え,マオリは政府の買上価格の低さに不満をもった。グレイ総督は農業の振興や伝道活動をマオリ対策にとりいれたが土地の測量などをめぐり殺戮や小競合いが繰り返されるようになった。
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