●マクシミリアン
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
マクシミリアン
Maximilian; Ferdinand Maximilian Joseph
[没]1867.6.17. ケレタロ
メキシコ皇帝 (在位 1864~67) 。オーストリア大公。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟で,1857年ベルギー王家のシャルロッテ (カルロタ ) と結婚,63年フランス軍のメキシコ占領後,メキシコ保守派およびナポレオン3世から帝位を与えられた。翌 64年これを受諾してメキシコに渡ったが,教会財産の返還拒否などでメキシコ保守派の支持を失い,他方 B.フアレスの率いる革命軍の抵抗にあい,66年フランス軍撤退後,67年革命軍の捕虜となり銃殺された。
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マクシミリアン
Maximilian, Prinz Von Baden
[没]1929.11.6. セイラム城
ドイツの政治家。バーデン大公フリードリヒ2世の従弟。1907~18年バーデン上院議長。第1次世界大戦末期の 1918年10月3日,軍部支配の崩壊とともに不利な戦況に終止符を打つために,その平和主義的・自由主義的傾向を認められてドイツ帝国の首相に就任。連合国との間に休戦交渉を開始した。当初は君主制の維持に尽力したが,軍隊の士気の低下,国内各地の反乱といった状況下に同 1918年11月9日皇帝ウィルヘルム2世の退位を宣言し,同時に首相の地位をフリードリヒ・エーベルトに譲って引退。『回想録』Erinnerungen und Dokumente(1927)がある。
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デジタル大辞泉
マクシミリアン(Maximilian)
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世界大百科事典 第2版
マクシミリアン【Ferdinand Maximilian Joseph】
メキシコ皇帝。在位1864‐67年。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟。ナポレオン3世のメキシコ干渉戦争に際し,こわれて皇帝となる。南北戦争後アメリカの抗議でフランス遠征軍の撤退を迫られると,1866年ナポレオンは受諾するが,皇帝マクシミリアンは残留し,革命派に捕らえられて処刑される。開明的君主を心がけていただけに,このハプスブルク家の悲劇はヨーロッパ知識人の間で同情を買った。【進藤 牧郎】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
マクシミリアン
まくしみりあん
Ferdinando Maximilian
(1832―1867)
メキシコ「皇帝」(在位1864~67)。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟で、メキシコを占領したフランスのナポレオン3世とメキシコ保守派に推され、1864年メキシコ「皇帝」に就任した。保守派の反対をおして自由主義的政策を実施するなどメキシコ人の懐柔に努めたが、民衆の支持を得ることができず、67年自由派のフアレス軍に敗れて捕虜となり処刑された。
[野田 隆]
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マクシミリアン
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