●マジャパヒト朝【マジャパヒトチョウ】
デジタル大辞泉
マジャパヒト‐ちょう〔‐テウ〕【マジャパヒト朝】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
マジャパヒト朝
まじゃぱひとちょう
Majapahit
1293年から1520年代まで、インドネシアの東部ジャワ州を中心に存続したジャワ人の古王国。1292年、トゥマプル(マランの近く)に都したシンゴサリ王国の王クルタナガラを殺害し、その国を奪ったダハ(ケディリの近く)のクディリ朝の王ジャヤカトワンが、93年に元(げん)軍とシンゴサリ軍の連合軍によって撃滅されると、クルタナガラの女婿ビジャヤは元軍を討ち、これをジャワから退散させ、マジャパヒト(モジョクルトの近く)に都して新王国を創始した。彼の即位名はクルタラージャサ・ジャヤワルダナ。第4代のハヤム・ウルク(在位1350~89。即位名はラージャサナガラ王)のときがこの国の黄金時代で、プラパンチャの手で有名な史詩『ナーガラクルターガマ』が書かれた。そこには都城の構造、宗教、政治など当時の記述が多い。たとえば、大王は神格化され、その支配はジャワの東部と中部に及び、各地の城はすべてその王族によって占められ、一時はその支配が周辺の島々まで及んだ。第7代のクルタウィジャヤ(在位1447~51)の死後は、イスラム教がジャワ北岸の海港都市デマクを中心に広まり、混乱のなかに滅亡した。この国では東部ジャワ州のカウィ山南西麓(ろく)のパナタラン寺院(1369造営)がとくに石造建造物として有名である。
[仲田浩三]
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