●マッケンジー
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
マッケンジー
Mackenzie, Sir Alexander
[没]1820.3.11. パース
スコットランド出身の探検家。 1779年モントリオールの貿易会社に入る。ロシア人の毛皮市場を奪うため,のちに彼の名にちなんで命名されたマッケンジー川を下り,グレートスレーブ湖から北極海まで足を延ばして調査。 93年にはフォート・チピワイアンからロッキー山脈を越えて,北緯 52°の地点で太平洋にたどり着いた。これは白人としてメキシコ以北における最初のアメリカ大陸横断である。
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マッケンジー
Mackenzie, Alexander
[没]1892.4.17. トロント
カナダの政治家。首相 (在任 1873~78) 。 1842年カナダへ移住。 52~54年改革派系の新聞を編集して G.ブラウンと親交を結び,61年連合カナダ植民地議会に選出されて政界に入る。コンフェデレーションの実現に尽力した。 67年自治領の成立とともに連邦下院に選ばれ,73年カナダ太平洋鉄道建設にからむ収賄事件で失脚した J.マクドナルドの保守党内閣のあとをうけて初の自由党内閣が成立した際,首相に任じられた。在任中,カナダに最高裁判所を設置してイギリスへの上告を減少させ,総督の権限を制限するなど独立国家としての地歩を固めたが,自由党の奉じる自由貿易主義では不況を克服することはできず,78年マクドナルドが返り咲いた。 80年自由党党首も辞任し,政界からは遠ざかった。
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マッケンジー
Mackenzie, (Sir Edward Montague) Compton
[没]1972.11.30. エディンバラ
イギリスの小説家。スコットランド出身。オックスフォード大学で法律を学んだのち文学に転じた。多作家であるが代表作とされるのは『シニスター・ストリート』 Sinister Street (2巻,1913~14) で,写実的伝記小説作家としての名声を確立したもの。ほかに膨大な自叙伝がある。
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マッケンジー
Mackenzie, Henry
[没]1831.1.14. エディンバラ
イギリスの小説家。スコットランド出身。『感情の人』 The Man of Feeling (1771) は繊細な感情の持主に起るさまざまな体験を描き,18世紀後半のセンチメンタリズム文学の代表作の一つとなっている。
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マッケンジー
Mackenzie, Sir Morell
[没]1892.2.3. ロンドン
イギリスの医師。イギリス最初の咽喉疾患専門家。ロンドン大学で医学を修めたのち,パリ,ウィーン,ブダペストに留学し,喉頭鏡の操作を修得してロンドンで開業。 1887年5月ドイツの皇太子フレデリックの侍医をつとめた。
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マッケンジー
Mackenzie, William James Millar
[没]1996.8.22.
イギリスの政治学者。マンチェスター大学,グラスゴー大学の教授を歴任。行政学や選挙を中心として多方面にわたる業績がある。主著"Free Election" (1958) ,『政治と社会学』 Politics and Social Science (67) 。
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マッケンジー
Mackenzie, William Lyon
[没]1861.8.28. トロント
カナダのジャーナリスト,政治家,反乱指導者。 1820年カナダに移住し,商人となるが,24年から革新系の政治的主張を盛った新聞『植民地で主張する者』を刊行し,当時のアッパーカナダ植民地における寡頭政治,「家族盟約」による統治を激しく攻撃した。 28年改革派のなかでも急進的な一員としてアッパーカナダ下院に当選したが,激しい政府攻撃ゆえに5回も除名と再選を繰返した。 35年トロント市の初代市長に選ばれ,議会でも改革派が勢力を増加して,主としてマッケンジーの手に成る「不満についての委員会第7報告」を提出するにいたった。しかし政府側の反撃も鋭かった。 37年イギリス本国議会がカナダ改革派の要求を拒否したことに憤激して反乱を計画,蜂起は失敗し,彼自身はアメリカへ逃亡した。このアッパーカナダの反乱は L.パピノーの指導によるローワーカナダの同年の反乱とともに,マッケンジー自身はその樹立を望んだわけではなかったが,ダラム報告によりカナダにおける責任政府樹立の端緒となった。 49年大赦により帰国し,51年再び下院の議席を得た。 58年引退。
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マッケンジー
McKenzie, Robert Telford
[没]1981
カナダ生れのイギリスの政治学者,社会学者。主著としては政党の構造を分析した『英国の政党』 British Political Parties: The Distribution of Power within the Conservative and Labour Parties (1955) がある。
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マッケンジー
McKenzie, Roderick Duncan
[没]1940.5.6. ミシガン,アンアーポー
アメリカの都市社会学者。都市のコミュニティー研究に人間生態学の理論を展開したシカゴ学派の1人。アメリカの都市人口の膨張が 1900年代に入って急速に顕著となり,都市の成長とともに都市の病理現象を表出させた社会的背景に対して,都市問題の実践的科学としての都市理論に人間生態学のアプローチを適用させ,都市社会学の足場を築いた。主著『メトロポリタン・コミュニティー』 The Metropolitan Community (1933) 。
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マッケンジー
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デジタル大辞泉
マッケンジー(Mackenzie)
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監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
マッケンジー Mckenzie, Fredrick Arthur
ロンドンの「デーリー-メール」紙の特派員となり,1904年から朝鮮・日本を取材。日本の朝鮮支配を告発した「朝鮮の悲劇」や「朝鮮の自由のための闘い」などをあらわした。享年62歳。ケベック出身。
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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。
世界大百科事典 第2版
マッケンジー【Compton Mackenzie】
イギリスの小説家,軍人,実業家。70冊以上の小説がある。初め劇作で出発し,ロンドンの踊子を描いた小説《謝肉祭》(1912)で一応の成功を収めたが,上流階級の私生児マイクルの幼年時代,オックスフォード生活,ロンドンでの遊蕩を生き生きと描写した2巻本《不気味な通り》(1913,14)と,彼の恋愛,結婚などを扱った続編《ガイとポーリン》(1915),《シルビア・スカーレット》(1918),《シルビアとマイクル》(1919)で非常な人気を博した。
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マッケンジー【Frederick Arthur Mckenzie】
カナダの新聞記者,著述家。ケベック生れ。1904年ロンドンの《デーリー・メール》紙の特派員として朝鮮を訪れ,日露戦争の経過,日本の朝鮮支配にふれた《東京からチフリスまで》(1905)を刊行。06年再び朝鮮,中国,日本を訪れ,《ベールを脱いだ東洋》(1907)を著した。07年三たび朝鮮を訪れ義兵闘争の取材旅行を行い,日本の対朝鮮軍事支配を告発した《朝鮮の悲劇》(1908)を刊行した。三・一独立運動が起きると翌20年《朝鮮の自由のための闘い》を刊行して,日本の武断統治の実態と独立運動の姿とを伝えた。
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マッケンジー【William Lyon Mackenzie】
イギリス領北アメリカ,アッパー・カナダ植民地の政治家。スコットランドに生まれ,15歳で移住。商店経営などののち,1824年より《コロニアル・アドボケート》紙を発刊。当時のアッパー・カナダ政界を牛耳る〈家族盟約〉攻撃をはじめとして政治の民主化を訴え,急進的な改革指導者として知られるようになった。28年立法議会に当選。アメリカ型共和制の採用を主張して議会からの追放・当選を繰り返すが民衆の人気は絶大で,35年にはトロント初代市長に選ばれた。
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マッケンジー【Alexander Mackenzie】
カナダの政治家で,自由党としては初めての首相。在職1873‐78年。スコットランドに生まれ,20歳でアッパー・カナダへ移住。1861年連合カナダ植民地立法議会に選出されて政界に入る。改革党(のちの自由党)のG.ブラウンの後継者として73年,政治汚職の容疑で下野した保守党から政権を引き継ぎ,74年の選挙で勝利を得てリーダーシップを確立した。彼の率いる自由党統治は短期間であったが,有能な法相E.ブレークを得てカナダ最高裁判所を設立し,総督の権限が縮小されるなど,カナダの自治権の進展をみた。
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マッケンジー【Alexander Mackenzie】
スコットランドの探検家。現在のカナダを探検,測量したことで有名。ルイス島に生まれ,10歳のとき両親とともにニューヨークに移住。伯父の手引きで毛皮取引に携わるようになり,1787年北西会社社員となってアサバスカ湖近辺に駐在するが,89年,ここから北極海まで,後に彼の名が冠せられるマッケンジー川を下降した。93年,マッケンジー川の西方への支流を遡行しロッキー山脈を越えて太平洋へ到達,陸路北アメリカ大陸を横断した最初のヨーロッパ人となった。
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367日誕生日大事典
マッケンジー
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