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マレー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

マレー
Marais, Jean
[生]1913.12.11. シェルブール
[没]1998.11.8. カンヌ
フランスの舞台・映画俳優。本名 Jean Alfred Villain-Marais。 1940~50年代に二枚目の人気スターとして活躍。舞台,映画の両分野で J.コクトーと緊密な協力関係を保ち,『美女と野獣』 (1945) ,『恐るべき親たち』 (48) ,『オルフェ』 (49) などをはじめとし,コクトーの映画作品に多数出演した。

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マレー
Marais, Marin
[生]1656.3.31. パリ
[没]1728.8.15. パリ
フランスの作曲家,ビオラ・ダ・ガンバ奏者。パリのサント・シャペルの少年合唱隊員を経て,作曲とガンバを学んだ。 1685年より王室室内楽団のガンバ奏者,独奏者として活躍する一方,ガンバ教師としても多くの弟子を育成した。作品は『ビオラ・ダ・ガンバ作品集』 (5巻) ほかオペラ,ガンバを中心とする室内楽曲など。

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マレー
Marey, Étienne Jules
[生]1830.3.5. コートドール,ボーヌ
[没]1904.5.16. パリ
フランスの生理学者,発明家。パリ大学で医学を学び,1860年に脈拍の性状と血圧の変動を図形的に記録する脈波計を発明した。 67年にコレージュ・ド・フランスの博物学教授。血液循環の研究をはじめとして実験生理学の面で功績を残したほか,地球と大気の運動について研究した。映画の発展史上においても,その先駆者であり,82年に鳥類の飛行を研究するために連続撮影のできるカメラを発明した。 94年には,この映画撮影機を顕微鏡に取付けている。

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マレー
Murray, David
[生]1830.10.15. ニューヨーク,デラウェアカントリー
[没]1905.3.6. ニュージャージー,ニューブランズウィック
明治初期,日本の教育行政に貢献したアメリカの教育家モルレーとも呼ばれる。ユニオン・カレッジを卒業後,アルバニー・アカデミーの校長を経てラトガース大学の数学・天文学の教授になったが,森有との縁で 1873年来日。文部省の最高顧問 (学監) として学制の実施,近代教育の普及発達に多大の功績を残し,特に女子教育の振興,東京大学の創設などに尽力した。各地の教育の実態をつぶさに視察し,その報告と改善策が『学監米人博士ダウヰッド・モルレー申報』 (1873) ,『学監ダウヰッド・モルレー申報』 (74) ,『学監大闢莫爾矣東京府下公学巡視申報』 (78) として公にされている。そのほか『日本教育史略』 (企画編集,77) ,『学監考案・日本教育法』 (77) などの著述がある。 78年解され,翌年帰国した。その後,ニューヨーク大学,ユニオン大学,ラトガース大学で評議員,理事などを歴任するかたわら,日本の紹介に努めた。

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マレー
Murray, Lord George
[生]1694.10.4. パース近郊
[没]1760.10.11. メーデンブリク
スコットランドの貴族。ジャコバイトの最も有能な将軍の一人。十五年の反乱に参加して大陸に逃れ,1724年帰国。四十五年の反乱に際し,ジャコバイト軍指揮官としてプレストンパンズの戦い (1745) ,スターリング攻略 (46) に勝利を収め,政府軍を脅かしたが,カロデンの戦いで敗れて亡命 (46) ,オランダ死没

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マレー
Murray, (George) Gilbert (Aimé)
[生]1866.1.2. シドニー
[没]1957.5.20. オックスフォード
オーストラリア出身のイギリス古典学者。オックスフォード大学に学び,多年母校の教授をつとめた。ギリシア文学,特にエウリピデス戯曲の翻訳と研究を通じて,英語圏の読者に古典の知識を普及させ,とりわけそれまで軽視されていた文学の思想的,哲学的側面の意義を強調した。新しい人類学による原始生活の解明を古代社会に適用,古代文学に秘められた宗教形態の理解に役立てた。主著ギリシア宗教の五段階』 Five Stages of Greek Religion (1925) ,『エウリピデスとその時代』 Euripides and his Age (13) など。また界平和に深い関心をもち,国際連盟の支持者として活躍した。

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マレー
Murray, Henry Alexander
[生]1893.5.13. ニューヨーク
[没]1988.6.23. マサチューセッツ
アメリカの心理学者。歴史学,医学,生物学,生理学,生化学を修めたのち,C.G.ユングの思想に感銘を受けて心理学に深い関心をもち,M.プリンスの推薦でハーバード大学の心理クリニックの助教授となり,1937年准教授,47年臨床心理学の教授。精神分析,K.レビン理論に影響された彼のパーソナリティ理論は著名。また絵画統覚テストの開発に貢献。主著『パーソナリティの探究』 Explorations in Personality (1938) ,『絵画統覚検の手引』 Manual of Thematic Apperception Test (43) 。

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マレー
Murray, James
[生]1721.1.21. スコットランド,バレンクリーフ
[没]1794.6.18. サセックス,バトル近郊
イギリスの軍人,植民地行政官。ケベック総督 (在任 1764~68) 。 1740年軍隊に入り,ヨーロッパや北アメリカでの歴戦ののち,59年 J.ウォルフによるケベック包囲に加わり,ウォルフの死後,イギリス軍の指揮を引継ぐ。 60年ケベックがイギリス領となるや軍政長官となり,続いて 64年軍政の終結とともに総督に任命された。被征服民であるフランス系カナダ人に対し宥和政策をとり,これが 74年のケベック法に結実したが,強硬策を望むイギリス人商人の反発を買い,66年本国へ呼戻された。彼への非難は却下され,68年まで総督職は保持したものの,2度とケベックへは戻らなかった。 74年ミノルカ島総督となり,82年にスペイン=フランス連合軍に敗れて降伏,軍法会議にかけられたが無罪となり,83年大将に昇任した。

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マレー
Murray, Sir James
[生]1837.2.7. デナム
[没]1915.7.26. オックスフォード
スコットランドの辞書編集者。フルネーム Sir James Augustus Henry Murray。『オックスフォード英語辞典』The Oxford English Dictionary (OED)の母体となった英語辞典『史的原理による新英語辞典』A New English Dictionary on Historical Principles (NED)の初代編集主幹を 1879年から務めた。1855~85年,グラマースクールの教師を務め,その間 1878年に『ブリタニカ百科事典』の英語に関する有名な項目を執筆,1878~80,1882~84年言語学会会長を務めた。マレーが手がけた NEDは 12世紀半ば以後の英語(一部はさらに古い)をすべて採録することを目的とした大規模な辞典で,歴史的かつ記述的原則に厳密に基づく構成をとり,語義には用例が使用年代とともに付された。1884年に第1巻がオックスフォード大学出版局から出版された。マレーは 1885年から死去するまでオックスフォードに住んで膨大な資料に取り組み,全体の約半分にあたる項目を完成させた。1908年,ナイトに叙された。

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マレー
Murray, John
[生]1778
[没]1843
イギリスの出版業者。同名の父の事業を継ぎ,G.バイロンなどの作品を刊行する一方,雑誌『クォータリー・レビュー』 The Quarterly Reviewを創刊 (1809) 。

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マレー
Murray, Sir John
[生]1841.3.3. オンタリオ,コブール
[没]1914.3.16. カークリストン
イギリスの海洋学者,海洋生物学者。深海の軟泥,赤粘土の研究で有名。『チャレンジャー号』による世界一周海洋探検である「チャレンジャー探検」 (1872~76) に参加,プランクトン,海洋堆積物,サンゴ礁部門を担当。隊長 W.トムソンの死後は報告書編集の仕事を引継ぎ,50巻にわたる近代海洋学上不朽の古典『チャレンジャー報告』 Report on the Scientific Results of the Voyage of H. M. S. Challenger (80~95) を出版した。 1898年ナイトの称号を授けられた。ほかに J.ヒョルトとの共著深海』 The Depths of the Ocean (1912) がある。

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マレー
Murray, Philip
[生]1886.5.25. ラナーク,プランタイア
[没]1952.11.9. サンフランシスコ
アメリカの労働運動指導者。 1902年スコットランドから,アメリカのピッツバーグに移住し炭坑夫となり,11年アメリカ市民権を取得。のちアメリカ統一炭鉱労働者組合 UMWAに加入し,20年副会長。 35年アメリカ労働総同盟 AFLの J.ルイスとともにアメリカ産業別組合会議 CIO設立に協力,その副議長となり,鉄鋼労働者の組合づくりを担当し,40年 CIO議長。 42年アメリカ鉄鋼労働組合会長。第2次世界大戦中に,F.ルーズベルトの外交政策を支持してルイスと対立し,42年 UMWA副会長を辞任。 49年国際自由労連 ICFTU創立に伴い,その副会長となった。

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マレー
Murray, Joseph E.
[生]1919.4.1. マサチューセッツ,ミルフォード
[没]2012.11.26. マサチューセッツ,ボストン
アメリカ合衆国の外科医学者。フルネーム Joseph Edward Murray。1940年マサチューセッツ州ウースターのホーリークロス大学を卒業,1943年ハーバード大学医学部で博士号を取得。ボストンのピーター・ベント・ブリガム病院(のちのブリガム・アンド・ウイメンズ・ホスピタル)に外科医として勤務,末期腎不全患者の医療チームで E.ドノール・トマスらと研究を行なった。一卵性双生児同士の皮膚移植には拒絶反応がみられないという,それまでの皮膚移植での経験をもとに,1954年末期腎不全患者に一卵性双生児の兄弟からの腎臓移植を試み,数年間の延命に成功した。さらに 1962年アザチオプリンなど免疫抑制剤を使った死体腎臓移植を行ない,1年以上の生存に成功,今日にいたる腎臓移植手術の基本方法を確立した。1970年にはハーバード大学医学部教授に就任。1990年共同研究者のトマスとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。

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デジタル大辞泉

マレー(David Murray)
[1830~1905]米国の教育者。明治6年(1873)文部省顧問として来日。学制改正の指導、東京大学の整備女子師範学校の創設などに貢献した。モルレー。

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マレー(Malay)
東南アジアのマレー半島およびシンガポール島などの島々を含む地域。マライ

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マレー(Marais)
フランス、パリ中心部、セーヌ川右岸の地区名。パリ第3・4区に属する。15世紀末のサンス館、16世紀のカルナバレ博物館、17世紀の王侯貴族の館に囲まれたボージュ広場など、パリ最古の町並みが残っていることで知られる。マレ。

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世界大百科事典 第2版

マレー【David Murray】
1830‐1905
明治初期の文部省顧問のアメリカ人。モルレーとも呼ばれる。1852年ユニオン・カレッジを卒業,63年ラトガーズ・カレッジの数学,天文学の教授となる。駐米弁務使森有礼と知り合い,その推挙により,73年6月来日,以後79年12月まで文部省の最高顧問(当初は督務官,1874年10月から学監)の任にあった。女子教育を重んじて東京女子師範学校(後のお茶の水女子大学)の創設を進め,近代大学としての東京大学の編成を指導した。

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マレー【George Gilbert Aimé Murray】
1866‐1957
イギリスの古典学者。オーストラリアのシドニーに生まれ,オックスフォード大学を卒業。1908‐36年,母校の王立ギリシア文学講座教授。校訂の精密さとともに,文化人類学的な知識にもとづいて,ギリシア劇のなかに祭祀的な要素をみる方法を導入,これが新しい研究方法を生み出すことになる。主著は《ギリシア叙事詩の成立》(1907,再版1924),《ギリシア宗教の五段階》(1925),《における古典的伝統》(1927),《ヘレニズムと近代世界》(1953)など。

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マレー【Henry Alexander Murray】
1893‐1988
パーソナリティ研究で著名なアメリカの心理学者で,TATの創案者。歴史学を学んだ後,1919年コロンビア大学医学部卒業。発生学や生化学の研究に従事した後,27年ハーバード大学心理学講師,50年教授となった。個人やその行動は種々の要求と環境からの圧力との相互作用のなかでとらえるべきであると主張し,それを〈主題〉とよんだ。心理学への転向をもたらしたのはユングとの出会いであり,力学的観点など精神分析の影響は大きいものの,生物学的な大脳過程や個人の歴史性にも力点をおいた独自の理論を唱えた。

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マレー【Hans von Marées】
1837‐87
ドイツの風景画家。ドイツ北西部のエルバーフェルト(現,ブッパータール)生れ。ドイツ,イタリアを転々とし,1873年以降はイタリアに滞在。その間美学者フィードラー,彫刻家ヒルデブラントらの知遇を得る。人物(多く裸像)や樹木,大地などを組み合わせた厳格な構図,陰影に富み豊饒な色彩を用いたモニュメンタルな画面により,造形要素そのもののもつ表現力(精神性も含む)を追究した。【大原 まゆみ】

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マレー【Margaret Alice Murray】
1863‐1963
イギリスの歴史学者。インドカルカッタに生まれ,ロンドン大学に入学後エジプト学を専攻,母校で助教授を務めた。かたわら進められた民俗学研究で,西ヨーロッパに見られる魔女儀礼や悪魔崇拝をキリスト教以前の土着宗教の残滓とする新たな見解達し著書《西ヨーロッパにおける魔女信仰》(1921)で広く世に知られた。その当否は今も議論の対象であるが,秘儀を伝承する団体や魔術実践家に受け入れられ,1970年代の魔術ブームの礎石となった。

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マレー【Philip Murray】
1886‐1952
アメリカの労働運動指導者。スコットランドのグラスゴーで炭鉱夫の子として生まれ,10歳から炭鉱で働いた。1902年に家族とともにアメリカに移民し,西ペンシルベニアの炭鉱町定住。04年にアメリカ炭鉱夫組合(UMWA)の支部長となり,以後UMWAの組合役員の道を歩み,20年に副委員長となる。30年代に,委員長のJ.L.ルイスとともに,産業別組合主義運動を推進し,鉄鋼業の組織化に成功。42年にアメリカ鉄鋼労組(USWA)の委員長となり,46年と49年の鉄鋼ストを指導した。

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マレー【John Murray】
1841‐1914
イギリスの海洋学者。カナダのオンタリオの生れ。のちスコットランドに移り,エジンバラ大学に入る。その学生時代にチャレンジャー号探検に最年少の科学者の一人として参加。博物学者として,プランクトン,海底堆積物,サンゴ礁の調査をおもに分担した。プランクトンの研究においては海洋漁業の科学的調査の面から新しい方法を導入し,海洋地質学を開き,サンゴ礁の研究ではC.ダーウィンの説の欠点を改めた。C.W.トムソン亡き後は,チャレンジャー探検の資料整理および報告書の作成の主任を務め,50巻の報告書(1880‐95)を完成した。

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まれー【マレー】

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367日誕生日大事典

マレー
生年月日:1886年5月25日
アメリカの労働運動指導者
1952年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

マレー
[一] (David Murray デービッド━) アメリカの教育家。森有礼に招かれて来日。学制実施に貢献し、東京大学・東京女子師範学校・学士院の創設や幼稚園の開設を献策、日本の近代教育制度確立に尽力した。(一八三〇‐一九〇五
[二] (Sir James Augustus Henry Murray サー=ジェームズ=オーガスタス=ヘンリー━) イギリスの言語学者・辞典編集者。ロンドン言語学協会会長をつとめ、同協会とオックスフォード大学出版局の依嘱を受けて「NED(新英語大辞典)」を編集。刊行中に他界したが、辞典編纂に功績を残した。(一八三七‐一九一五

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マレー
(Malay) 東南アジア、マレー半島とその周辺のシンガポール島を含む島々の総称。マライ。

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旺文社日本史事典 三訂版

マレー
David Murray
1830〜1905
アメリカの教育家。御雇外国人の一人
1873年来日。'78年の帰国まで文部省学監として,文部大輔田中不二麿を助けて教育制度の整備に尽力した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

マレー Murray, David

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

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