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マンスール

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

マンスール
al-Mansūr, Abū Ja`far `Abd Allāh ibn Muḥammad
[生]? フマイマ
[没]775.10. メッカ
アッバース朝第2代のカリフ (在位 754~775) 。第1代カリフ,アブル・アッバースの兄で,同朝の事実上の創始者。その後 35代の同朝カリフはみな彼の子孫である。カリフ就任に際して,叔父であり,ザーブ河畔でウマイヤ朝軍を破った将軍アブドゥッラーが反旗を翻したが,マンスールはアブー・ムスリムを派遣してこれを破った。続いて同朝創設の功臣アブー・ムスリムを謀殺し,イランの宗教反乱を押え,シーア派のイブラーヒームとムハンマド兄弟が起した乱を鎮圧,内乱によって混乱していたイスラム世界を再統一した。一方外交政策では,ビザンチン帝国に繰返し攻撃をかけ,ササン朝の勢力が残存していたカスピ海南方の山岳地方を征服し,インドのカシミール地方までも手を伸ばした。カリフ就任後,クーファの近くにハーシミーヤの町を建設して首都としていたが,762年チグリス川の西岸に新城の建設を始め,完成した町を「平安の都 (マディーナ・アッサラーム) 」と名づけた。これがのちに人口 100万をこえる大都市に発展したバグダードである。マンスールは広大な帝国の統治のため,ウマイヤ朝カリフ,ヒシャームのつくった官僚制度を継承,整備し,行政・財政上の改革を行なった。またホラーサーン地方の軍人を中心に常備軍を創設して身辺を固めさせ,強力な常備軍と整った官僚制度をもって帝国を統治する,というアッバース朝政治構造の骨組みを築いた。

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マンスール
Mansūr
インド,17世紀のムガル絵画宮廷画家。ジャハーンギール帝に仕え,アブル・ハサンと並び称されるミニアチュール画家で,ロマンチックな花鳥画を得意とした。主要作品『』 (1619頃,ボストン美術館) 。

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世界大百科事典 第2版

マンスール【al‐Manṣūr】
713ころ‐775
アッバース朝第2代のカリフ。在位754‐775年。異母弟の初代カリフ,サッファーフの4年間の治世の後を受けた,アッバース朝体制の実質上の創設者。精力的で冷酷無残な人物とされていて,自己の権力確立に障害となる人物は,アッバース朝の成立に貢献した叔父アブド・アッラーフや功臣アブー・ムスリムのような者でも抹殺し,またアッバース家カリフ位に反対するシーア派を弾圧した。続いて762年から766年にかけて新都バグダードを建設し,帝国支配の理念としての神権的カリフ観念の確立と権力の中央集権化に努めた。

出典:株式会社平凡社
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