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マンダレー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

マンダレー
Mandalay
ミャンマーの中央部にある同名管区および同名郡の行政中心地。ヤンゴンに次ぐミャンマー第二の都市で,エイヤーワディ川沿岸に位置する。 1857年にミンドン・ミン王によって創設され,南郊のアマラプーラに代ってイギリス併合前のビルマ王国最後の首都となった。ラングーン (現ヤンゴン) に首都が移ったあとも,上ビルマ一帯の政治,経済,文化の中心地として繁栄し,仏教の聖地としても知られ,王宮遺跡のあるドゥフェリン城塞の中には多くの寺院パゴダがある。王宮を中心に碁盤目状に街路が造られているが,第2次世界大戦中に日本軍とイギリス軍の激戦地となり,市街大部分が破壊された。主産業は絹織物,搾油,精米,ビール醸造などで,最近,化学,自動車修理工場も建設された。ヤンゴンからの鉄道の終点で,北部のミッチーナー,北東部のラーショウへの鉄道の起点。マンダレー美術工芸大学のほか多くの教育機関が設置されている。人口 53万 2985 (1983) 。

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デジタル大辞泉

マンダレー(Mandalay)
ミャンマー中部、イラワジ川中流の東岸にある商工業都市。旧首都ヤンゴンに次ぐ同国第二の規模をもつ。1857年にコンバウン朝のミンドン王が建設し、1860年から1885年まで都が置かれた。市街は碁盤目状に区画され、旧王宮など歴史的遺跡が多く、マンダレーヒルから一望できる。絹織物・金銀細工などの伝統工業も行われる。人口、行政区136万(2009)。

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世界大百科事典 第2版

マンダレー【Mandalay】
ミャンマー中部の都市。人口53万3000(1983)。上ミャンマーの中心都市で,イラワジ川中流の東岸,北緯21゜59′,東経96゜6′に位置する。東のシャン台地と西のイラワジ川との間に横たわる幅13kmの平地一角を占め,市街地面積は64km2。この地はイラワジ川に流入する大小支流が点在する湿地であったが,1857年ミンドン王によって新都として建設され,翌58年に完成した。王城は高さ300mのマンダレー丘の南西裾にあり,イラワジ川の東2.5kmにある。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

マンダレー【Mandalay】
ミャンマー中部、イラワジ川中流東岸にある都市。米・タバコの集散が盛ん。旧王城や多数の寺院・仏塔があり、古都としても有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

マンダレー
まんだれー
Mandalay
ミャンマー(ビルマ)中部、マンダレー管区の中心都市。イラワディ川中流流路が西に折れる所、ミツゲー川との合流のやや上流の東岸にある。人口114万7400(2003推計)。かつての首都ヤンゴン(ラングーン)に次ぐ第二の都市で、中部ミャンマーの政治、経済、文化の中心地。絹織物、金銀宝飾細工、木彫の伝統工業があり、ビール醸造、製茶など近代的工業も立地する。市の西部、シュウェタ運河に近いゼージョ・マーケットには、遠くからシャン人やカチン人も集まってきて、取引が盛んである。大学、博物館など文教施設も整っている。また鉄道、道路、河川交通、航空路のいずれの交通網においても中部ミャンマーの中心で、ヤンゴンとの連絡もよい。1857年、コンバウン朝のミンドン王によって建設が開始され、1860~1885年の間、同王朝の最後の首都であった。周囲8キロメートルの正方形の王城があったが、第二次世界大戦中に大きな破壊を受け、城壁と外堀だけが残っている。市街地は規則正しい碁盤目状にくぎられ、北のマンダレー丘陵からの展望はみごとである。マハームニ・パゴダ、クトード・パゴダ、シュウェナンドー僧院など史跡や名所が多い。[酒井敏明]

歴史

ビルマのコンバウン王朝後期の首都で、ミンドン王(在位1853~1878)の詔(みことのり)によって、1857年2月王城の建設を開始し、1858年7月に竣工(しゅんこう)。ついで市街地の建設が1859年5月に着手され、1874年6月に完成した。1860年から上ビルマの政治、経済、文化の中心となった。王の殖産興業策により王城内に貨幣鋳造工場、付近には綿織物工場、ガラス工場なども建設された。しかし、ティーボー王(在位1878~1885)の1885年11月28日、イギリス軍によって占領され、以後首都としての機能は失われた。イギリス領下、街は整備され、堀割内には兵舎や司令部が改築され、ダッファリン砦(とりで)Fort Dufferinとよばれるようになった。王城そのものは、1945年日本軍による戦禍のなかで焼失した。[伊東利勝]

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精選版 日本国語大辞典

マンダレー
(Mandalay) ミャンマー連邦中央部、イラワジ川中流左岸にある都市。米、タバコなどの農産物の集散地で、絹織物、銀細工などの伝統的手工業が行なわれる。一八六〇~八五年の間ビルマ王国の首都であった。

出典:精選版 日本国語大辞典
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