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ミラノ公国【ミラノこうこく】

世界大百科事典 第2版

ミラノこうこく【ミラノ公国】
北イタリアのおもにロンバルディア地方を支配地とした公爵領。共和制的政治勢力の多い北イタリアにおいて,一都市(ミラノ)が君主的政体(公国)をとることによって一大強国の形成に成功した好例である。その歩みはビスコンティ家興隆と一致する。1311年マッテオ1世が皇帝に支援されてミラノの領主権確立,30年アッツォーネが市民に自らを〈永遠の支配者〉と呼ばせ,君主制への移行を明確化,95年ジャン・ガレアッツォが皇帝から公爵位を授けられ,公国の歴史が始まる。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ミラノ公国
みらのこうこく
北イタリアのミラノMilanoを中心とした公国。1277年以後、ビスコンティ家がミラノの支配者的存在となり、1349年以降その支配は世襲となった。1395年、同家のジャン・ガレアッツォは神聖ローマ皇帝より公位を得、ミラノ公国が成立した。彼はイタリアの覇権を目ざし、北・中部に領土を拡大し、イタリア随一の強国を形成したが、1402年に没すると、新領土の多くは失われた。彼の下で経済が発展し、ミラノ大聖堂が着工され、パビーア大学が発展した。1447年、同家の男子直系の断絶により一時共和制が復活したが、支配領域が離反した。1450年、同家の庶子と結婚していた傭兵(ようへい)隊長フランチェスコ・スフォルツァが武力で公位についた。スフォルツァ家の支配下でミラノは繁栄の頂点を迎え、その宮廷はルネサンス文化の一大中心となり、レオナルド・ダ・ビンチも身を寄せた。1499年フランス国王の支配下に入り、その後公国は1540年にスペインの属国となった。[斉藤寛海]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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