●ミラノ勅令【ミラノちょくれい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ミラノ勅令
ミラノちょくれい
Edict of Milan
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ミラノ勅令
ミラノちょくれい
Décret de Milan
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デジタル大辞泉
ミラノ‐ちょくれい【ミラノ勅令】
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世界大百科事典 第2版
みらのちょくれい【ミラノ勅令】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ミラノ勅令
みらのちょくれい
313年、ミラノMilanoにおいてローマ帝国のコンスタンティヌス大帝とリキニウス帝との両皇帝が発布した、キリスト教公認の勅令。キリスト教迫害の根本的廃止、教団の法人としての認知、迫害中に没収された不動産の原状回復などを内容とする。
厳密にいえば、ミラノでそのような勅令が出された歴史的事実はなく、ただ、両皇帝のミラノでの協定に基づいてリキニウスが同年ニコメディアで両皇帝の名において発した訓令の内容の記録が伝わるにすぎないが、後世の史家がこれをミラノ勅令とよんだのである。ローマ帝国のキリスト教迫害政策は4世紀の初期には行き詰まりがみえ、寛容への動きも出ていた(311年のガレリウス帝の寛容勅令など)。しかし、このいわゆるミラノ勅令は、帝国が単なる寛容の域を超えて、キリスト教との融合の方向へ決定的な一歩を踏み出したことを象徴する点において、歴史の転換点ともいうべき重要な位置を占めている。
[出崎澄男]
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精選版 日本国語大辞典
ミラノ‐ちょくれい【ミラノ勅令】
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旺文社世界史事典 三訂版
ミラノ勅令
ミラノちょくれい
the Edict of Milan
②1807年にナポレオン1世が発布した勅令
当時の西ローマ副帝コンスタンティヌス1世とリキニウスがミラノで会見し,キリスト教徒の信仰の自由を保証するため,両者連名で発布したと伝えられる。キリスト教を帝国統治の上に役だてようとする意図があったという。
前年のベルリンで出した勅令(大陸封鎖令)を補ったもの。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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