@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

ムッソリーニ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ムッソリーニ
Mussolini, Benito
[生]1883.7.29. プレダッピオ,ドビア
[没]1945.4.28. コモ湖畔ドンゴ
イタリアの政治家。師範学校卒業後,1900年社会党入党。 01年小学校教員。 12年党機関誌『アバンティ』の編集長をつとめ,当初反戦を唱えたが,第1次世界大戦勃発後,戦争支持に転じ党から除名された。大戦に従軍して負傷,19年復員兵などを集め戦闘者団 (戦闘ファッシ ) を創立,武装私兵 (黒シャツ隊) を組織し,社会主義者などを襲撃した。 21年国会議員に当選し,同年戦闘者団を国家ファシスト党に改組,その党首となった。 22年ローマ進軍を経て政権の座につき,最初から首相のほか内相,外相をつとめ,一時は7つの大臣を兼務した。また政権を掌握したほぼ全期間にわたり,陸・海・空の3軍の省をみずから押え,25年以降立法,司法両権も掌握,全体主義体制を固めた。また 35年のエチオピア侵略,36~39年のスペイン内乱への干渉など,帝国主義的政策を推進。 39年ドイツと軍事同盟を締結,40年イギリス,フランスに宣戦したが,各地の戦闘で敗れ,43年失脚,逮捕,監禁された。同年9月ドイツ軍に救出され,ナチス・ドイツの傀儡政権を組織したが,45年パルチザンに愛人クララ・ペタッチとともに逮捕され,即決裁判を受け銃殺された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

ムッソリーニ(Benito Mussolini)
[1883~1945]イタリアの政治家。社会党左派に属したが、第一次大戦主戦論をとったため除名戦後ファシスタ党結成し、1922年に独裁体制を樹立エチオピアを侵略しアルバニア併合スペイン内戦ではフランコを援助し、ヒトラーと結び、1940年に第二次大戦に突入した。1943年の連合軍のイタリア上陸で失脚、のちパルチザンに北イタリアで処刑された。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

ムッソリーニ【Benito Mussolini】
1883‐1945
イタリアの政治家,ファシズム指導者。ロマーニャ地方のフォルリ近くに生まれ,鍛冶職人でアナーキスト系社会主義者の父,小学校教諭の母のもとで育ち,師範学校を出て教員資格を取得。1902年から約2年間スイスで過ごし,社会主義者との交わりを深める。帰国後,兵役教職を経て,一時オーストリア領トレントの労働会議所書記を務めた。10年社会党フォルリ支部書記となり,翌年イタリア・トルコ戦争(リビア戦争)に反対する行動で5ヵ月間投獄された。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ムッソリーニ【Benito Mussolini】
1883~1945 イタリアの政治家。第一次大戦後ファシズム運動を開始し、1919年ファシスト党を結成。22年ローマ進軍による政権獲得後、首相などの要職を独占し独裁体制を確立。エチオピア併合を機にナチスと結び、第二次大戦に参戦。43年に失脚、一時ドイツ軍の支援を受けたがパルチザンに処刑された。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

ムッソリーニ
むっそりーに
Benito Mussolini
(1883―1945)
イタリアの政治家、ファシズムの創始者。ロマーニャ地方プレダッピオ村の鍛冶(かじ)職人の息子として生まれる。無政府主義者で反教権的社会主義者であった父親の強い影響の下で青春期を過ごした。師範学校卒業後、1902年から約2年間スイス各地を放浪。亡命者の集まるこの国で社会主義運動の生活体験を積み、弁説やジャーナリストの才能に目覚める一方、のちに彼のうちで発酵することになる種々の思想的酵母(ソレル、ブランキ、ニーチェ、パレート)を知った。帰国後、兵役についた(1905~1906)が、除隊して各地で教師生活をしながら社会主義地方新聞に寄稿する(1908)。その後オーストリア領トレントの労働会議所書記となったが、まもなくロマーニャに帰り、フォルリの社会党連盟書記になった(1910)。ここで『ロッタ・ディ・クラッセ(階級闘争)』紙を創刊、反教権主義と革命的社会主義を宣伝し、リビア戦争が起こると反戦行動を扇動し、5か月間投獄された(1911)。この事件以来、党内で過激主義者として多少知られるようになるが、1912年の党大会では右翼改良主義者の追放演説で脚光を浴び、一躍指導部に選出された。まもなく党機関紙『アバンティ(前進)』の編集長(事実上の党委員長)になると、彼の指導下に執行部と党機関で非妥協的左派が多数となり、同紙は党外の旧サンジカリストを含めた革命的左派の論壇となった。第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)(1914)当時、彼は党是である絶対中立の立場を擁護したが、戦局の展開とともに、戦争を通じて革命を展望するサンジカリストの論理に共鳴し、1914年10月、参戦論を機関紙に発表し、党を追われた。翌11月、イタリア工業家などの融資を受けて日刊新聞『イタリア人民』紙を発刊したが、これは左翼および民主的参戦運動の組織化に貢献しただけでなく、戦後ファシズム運動の機関紙にもなった。1915年8月に応召して前線勤務につき、重傷を負って除隊した。
 大戦後、参戦派と反戦派の反目・対立が激化する1919年3月、ムッソリーニは参戦勢力の一部とともにミラノで「戦闘ファッシ」を結成。この運動は1920年末から社会党に敵対する勢力として急速に膨張し、1921年秋にはファシスト党に改組された。彼は党首としてこの党をてこにアナーキーなファシスト運動を統制し、旧支配層との政治的取引に運動を利用しながら、1922年10月ローマ進軍を行い、組閣して権力に到達した。以後20年以上も首相の座を守ることになる。当初連立政権から出発したが、1924年のマッテオッティ暗殺後、反ファシズムの世論の沸騰を前に危機に陥ったムッソリーニは民主主義の装いをかなぐり捨て、ファシズム以外のあらゆる政党と組織を解体し、いわゆる一党独裁体制を樹立した(1925~1926)。階級闘争の凍結と経済の安定化、さらに教会とのラテラン協定調印(1929)により旧支配層との妥協政策を完成し、国民の同意を得ることにも成功した。この体制の頂点にあってすべての権力を掌握したムッソリーニは、公式にドゥーチェ(首領)とよばれた。
 1935年10月エチオピア侵略に乗り出したが、これに抗議する国際世論と国際連盟に対抗するためドイツへの接近を余儀なくされた。スペイン内戦への介入(1936)はこの接近をますます促し、ベルリン・ローマ枢軸の形成(1936)、国際連盟脱退(1937)、反ユダヤ主義の導入(1938)を行い、ドイツとの軍事同盟(1939)に達した。第二次世界大戦にドイツに遅れて参戦(1940.6)したが、1940年10月に始まるギリシア侵攻の敗北により、ドイツへの従属は決定的となった。敗色濃厚の1943年7月ムッソリーニは、軍部のクーデターによって一夜のうちに失脚し、グラン・サッソの山中に拘置された。ドイツ軍は彼を救出し、同年9月北イタリアに傀儡(かいらい)国家(イタリア社会共和国)を樹立。1945年4月パルチザンの蜂起(ほうき)により、ナチ・ファシストの支配は一掃され、スイスに逃亡を図った彼は、コモ湖畔でパルチザンに捕らえられ、同月28日処刑された。[重岡保郎]
『ローラ・フェルミ著、柴田敏夫訳『ムッソリーニ』(1967・紀伊國屋書店) ▽ポール・ギショネ著、長谷川公昭訳『ムッソリーニとファシズム』(白水社・文庫クセジュ) ▽マクス・ガロ著、木村裕訳『ムッソリーニの時代』(1987・文芸春秋) ▽R・ムッソリーニ他著、谷亀利一訳『素顔の独裁者――わが夫ムッソリーニ』(1980・角川書店)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ムッソリーニ
(Benito Mussolini ベニト━) イタリアの政治家。独裁者。一九二二年、クーデターにより政権を獲得、ファシスタ党党首、首相となり、議会制民主主義を否定して、一党独裁体制を完成。ナチスのヒトラーと結んで第二次世界大戦に突入したが、四三年反対派により罷免、逮捕され、四五年パルチザンに殺された。(一八八三‐一九四五

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社世界史事典 三訂版

ムッソリーニ
Benito Mussolini
1883〜1945
イタリアのファシスト独裁者
小学校教師をつとめ,のちイタリア社会党にはいり,1912年同党機関誌主筆となったが,第一次世界大戦の勃発に際し,参戦を主張して除名された。戦後,戦闘ファッシを組織し,1921年ファシスト党に改組してその党首(ドーチェ)となり,22年有名なローマ進軍によって,王命で政権を獲得した。選挙法改正・労働組合弾圧・言論取り締まりなどによって民主主義を否定し,1925年初頭からファシスト独裁政治を行ういっぽう,スペイン内戦を機にナチス−ドイツと枢軸外交を結び,エチオピア戦争(1935〜36),国際連盟脱退(1937),アルバニア併合(1939)など侵略的な外交政策を行った。また,ドイツ・日本と防共協定を結び(1936),第二次世界大戦では枢軸国側に参戦した(1940)。連合軍のシチリア上陸後,反対派によって罷免 (ひめん) ・拘禁され(1943),一時ドイツ軍によって救出されたが,コモ湖畔でパルチザンに捕らえられて銃殺された。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

ムッソリーニ
Benito Mussolini
1883〜1945
イタリアのファシズム政治家
初め社会主義運動に従事したが,1919年ファシスト党を結成。政権を掌握し,ファシズム政治を行った。エチオピア戦争など対外侵略を行い,日本・ドイツと枢軸国を形成して,第二次世界大戦を誘発。'43年敗戦で失脚し,'45年パルチザンに銃殺された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムッソリーニ」の用語解説はコトバンクが提供しています。

ムッソリーニの関連情報

関連キーワード

アルマン条約ガルシンサンフランシスコ・ジャイアンツ電気事業フィラデルフィア・フィリーズユーイング(Sir James Alfred Ewing)ポンキエリアモンウィンチェスターウェルクマイスター

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation