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ムラビヨフ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ムラビヨフ
Murav'ëv, Mikhail Nikolaevich
[生]1845.4.19. ペテルブルグ
[没]1900.6.21. ペテルブルグ
ロシアの外交官,政治家。伯爵。ロシアの極東政策を推進し,日露戦争勃発を招いた。 1864年外務省に入り,97年外相。満州 (現中国東北地方) への進出のためには遼東半島旅順大連制圧が先決としてこれを奪取する政策を実施。 98年中国と協定結び,旅順-ハルビン,ハルビン-ウラジオストク間の鉄道を敷設。イギリスとは互いに勢力範囲を設定して事なきを得たが,ロシア朝鮮半島に対する脅威を恐れた日本とは関係が悪化,日露戦争を招来した。

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ムラビヨフ
Murav'ëv, Nikita Mikhailovich
[生]1796.7.30. モスクワ
[没]1843.5.10. イルクーツク,ウリコフスカヤ
ロシアの軍人,近衛大尉,デカブリスト。 1813~14年ヨーロッパにおける対ナポレオン戦に参加。 16年デカブリストの最初の秘密結社「救済同盟」の設立者の一人となり,21年「北方結社」のメンバーとなった。 22~25年未来のロシアの憲法の草案 (N.ムラビヨフの憲法) を起草,立憲君主制を意図した。デカブリストの蜂起のとき首都に不在で参加しなかったが,捕えられてシベリア流刑となり,この地でした。

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ムラビヨフ
Murav'ëv, Nikolai Nikolaevich
[生]1809.8.23. ペテルブルグ
[没]1881.11.30. パリ
ロシアの軍人,将軍。伯爵。 1847~61年イルクーツク,エニセイ県知事,東シベリア総督。 54~55年アムール川遠征隊を指揮し,58年中国との間に愛琿条約を結んだ。この功績によりアムールスキー伯の称号を受けた。

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デジタル大辞泉

ムラビヨフ(Nikolay Nikolaevich Murav'yov-Amurskiy)
[1809~1881]ロシアの軍人・政治家。1847年、東シベリア総督となり、アムール川地方を占領し、河口にニコライエフスク‐ナ‐アムーレを建設。また、1858年、愛琿(アイグン)条約を結んでアムール川以北をロシア領とし、ロシアの極東進出に尽力した。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

ムラビヨフ Murav'yov, Nikolay Nikolayevich
1809-1881 ロシアの軍人。
1809年8月23日生まれ。東シベリア総督。アムール川(黒竜江)地方を占領し,1858年清(しん)(中国)と愛琿(あいぐん)条約をむすんで露清国境を画定した。翌年(安政6)日露修好通商条約の批准書交換のため,品川に来航。このとき樺太(からふと)全島領有を主張し,幕府に拒否された。1881年11月30日死去。72歳。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ムラビヨフ【Nikita Mikhailovich Murav’yov】
1796‐1843
ロシアの貴族出身のデカブリスト。モスクワ大学に学んだあと,1813年からナポレオン戦争に参加した。16年デカブリストの最初の秘密結社である〈救済同盟〉の設立に参加,のち,それに代わる〈北方結社〉の有力なメンバーとなり,将来のロシアの憲法ともいうべき〈ムラビヨフの憲法Konstitutsiya N.Murav’yova〉の草案を作成した。これは立憲君主制,農奴解放,法の前での万人の平等,言論・出版・信教の自由などをうたったものであった。

出典:株式会社平凡社
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