@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

ムーア

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ムーア
Moore, Edward
[生]1712
[没]1757
イギリスの劇作家喜劇『ジル・ブラス』 Gil Blass (1751) ,悲劇『ばくち打ち』 Gamester (53) の作者。いずれもドルアリー・レーン劇場で上演された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, George (Augustus)
[生]1852.2.24. メーヨー,バリグラス
[没]1933.1.21. ロンドン
アイルランドの小説家。父は国会議員。パリで文学者や画家のグループと交わり,フランス自然主義文学,特にゾラの影響を受けた小説をもってロンドン文壇に登場。その後しばらく故国定住イェーツ,グレゴリー夫人らに協力してアイルランド文芸復興運動に参加したが,晩年はロンドンに戻った。代表作は『旅役者の妻』A Mummer's Wife (1885) ,『エスター・ウォーターズ』 Esther Waters (94) など。ほかに『一青年の告白』 Confessions of a Young Man (88) ,『わが死せる生活の回想』 Memoirs of My Dead Life (1906) などの一連自伝や歴史小説がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, George Edward
[生]1873.11.4. ロンドン
[没]1958.10.24. ケンブリッジ
イギリスの哲学者。ケンブリッジ大学教授 (1925~39) として,また哲学雑誌『マインド』の編集主幹 (21~47) としてイギリス哲学界における主導的役割を果した。 1903年『倫理学原理』 Principia Ethicaおよび『観念論の論駁』 The Refutation of Idealismを発表,この2作は当時のイギリス哲学界に流行していたヘーゲル主義的,カント主義的観念論を批判したもので,新実在論と呼ばれるムーア自身の哲学の出発点であった。彼は体系的哲学を否定し,言語分析あるいは論理分析により哲学上の諸問題に光を当てて,さらに新しい問題を発見してゆくという分析的方法を主張した。主著『哲学研究』 Philosophical Studies (22) ,『常識擁護』A Defense of Common Sense (25) ,『哲学の主要問題』 Some Main Problems of Philosophy (53) など。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Gerald
[生]1899.7.30. ウォトフォード
[没]1987.3.13. バッキンガムシャー
イギリスのピアニスト。現代最高の伴奏ピアニストとして世界的に知られた。特にディートリヒ・フィッシャー=ディースカウエリザベスシュワルツコフ伴奏者として知られ,従来の伴奏のをこえた音楽をつくりだした。一方室内楽奏者としても知られた。1967年引退。著書に『伴奏者の発言』The Unashamed Accompanistなどがある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Henry
[生]1898.7.30. ヨークシャー,カッスルフォード
[没]1986.8.31. ハーフォードシャー,マッチハダム
イギリスの彫刻家。炭鉱労働者の子として生れ,第1次世界大戦に従軍し,退役後彫刻家を志し,1919~21年リーズ美術学校,21~24年ロンドンのロイヤル・アカデミーに学ぶ。この間,大英博物館の原始彫刻,古代彫刻に強い影響を受けた。 29年メキシコの雨の神チャック・モールに示唆を受けて最初の『横たわる人』を制作,これは以来ムーアの重要なモチーフとなった。 25年奨学金を得てフランス,イタリアに遊学。 25~32年ロイヤル・アカデミー講師。 28年ロンドンで最初の個展。 32~39年チェルシー美術学校講師。 1930年代ハンプステッドに住み,B.ニコルソン,B.ヘップワース,リードらの前衛芸術家と交わり,作品の抽象化が進んだ。 40年ロンドン郊外のマッチハダムに移住。第2次世界大戦中,従軍芸術家としてロンドンの地下鉄での市民の避難風景を描き,再び具象性を回復し岩や木の根を思わせる人体像を制作。戦後各地の国際展で受賞し,大規模な回顧展も開催され世界的名声を得た。モニュメンタルな構築性となめらかな起伏を伴う有機的輪郭線が特色である。主要作品『北風』 (1928,ロンドン地下鉄本部) ,『聖母子』 (43~44,ノッティンガム,セント・マシュー聖堂) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Henry Ludwell
[生]1869
[没]1958
アメリカの経済学者。ジョーンズ・ホプキンズ大学で学位を取得し,1896年同大学講師,スミス・カレッジを経て 1902年コロンビア大学教授。計量経済学の先駆者の一人であり,賃金論や景気変動論でもすぐれた貢献をし,部分均衡理論に基づく個別的需要関数の統計的導出を初めて行なった。しかし彼を名にしたのは主著『総合経済学』 Synthetic Economics (1929) で,従来の経済学が概して経済変数間の関数関係を抽象的解明にとどめていたのに対し,関数関係を統計的実証的に計測し,理論と実証との結合による総合的な経済学の確立を目指した点で世界の経済界に大きな影響を与えた。ほかに"Law of Wages" (11) ,『経済循環期の統計的研究』 Economic Cycles: Their Law and Cause (14) ,"Forecasting the Yield and Price of Cotton" (17) などがある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Sir John
[生]1761.11.13. グラスゴー
[没]1809.1.16. コルニア
イギリスの軍人。アメリカ独立戦争に参加したのち,一時下院議員をつとめた。 1796年西インド諸島,97~99年アイルランドで軍務につく。 1801年 R.アバークロンビー指揮下のエジプト遠征に参加。 08年イベリア半島に任地が移り,同地区のイギリス軍司令官に昇進したが,当地のフランス軍優勢のため,アストルガからコルニアまで退却し,コルニアでフランス軍と戦ったが,イギリス軍の勝利を目前にして戦死した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Marianne Craig
[生]1887.11.15. セントルイス
[没]1972.2.5. ニューヨーク
アメリカの女流詩人。ブリン・モー・カレッジ卒業後,教職についたりしながら,『詩集』 Poems (1921) ,『観察』 Observations (24) を発表。 1925~29年文芸誌『ダイアル』の編集にたずさわり,29年以後ニューヨークに移って文筆活動に専念し,多くの詩集を出した。なかでも『詩選集』 Selected Poems (35) と『全詩集』 Collected Poems (51) には T.S.エリオットが序文を寄せ,後者はピュリッツァー賞をはじめ文学賞を独占した。知性と機知とで対象を的確にとらえる詩風で,客観主義詩人といわれる。ほかにラ・フォンテーヌの『寓話詩』の韻文訳"The Fables of La Fontaine" (54) ,評論集『偏愛』 Predilections (55) などがあり,68年にはその後の作品を含む『全詩集』 Complete Poemsが出た。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Stanford
[生]1913.9.4. シカゴ
[没]1982.8.23. ニューヨーク
アメリカの生化学者。 1938年ウィスコンシン大学で学位取得。ロックフェラー研究所医学部門研究員 (1939) ,ロックフェラー大学教授 (52) 。各種蛋白質から得られるアミノ酸,ペプチド類のクロマトグラフィーによる分析,特にリボヌクレアーゼの構造決定で知られる。 72年 C.B.アンフィンセン,W.H.スタインとともにノーベル化学賞を受賞した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Thomas
[生]1779.5.28. ダブリン
[没]1852.2.25. ウィルトシャー,デバイジス
アイルランドの人。アイルランド古謡の調べに合せて作詞した抒情詩集『アイルランド歌曲集』 Irish Melodies (1807~35) によって,アイルランドの国民詩人と称された。ほかに東洋的な物語詩『ララ・ルーク』 Lalla Rookh (17) ,摂政の宮に対する風刺詩『2ペンスの郵便行嚢』 The Twopenny Post-Bag (13) ,愉快な書簡詩『パリのファッジ家』 The Fudge Family in Paris (18) などがある。またシェリダンバイロン伝記を書いた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Grace
[生]1898.12.5. アメリカ合衆国,テネシー,スラブタウン
[没]1947.1.26. デンマーク,コペンハーゲン
アメリカ合衆国のオペラ歌手,女優。フルネーム Mary Willie Grace Moore。オペラ界と映画界で人気を博し,批評家にも高く評価された。メリーランド州チェビーチェイスの音楽学校に在学中の 1919年,ワシントンD.C.のナショナル・シアターで開かれたリサイタルに出演し,初めて公の場で歌声を披露。その後,学校を中退してニューヨークに移り住み,ナイトクラブで歌手として働きながらレッスンを受けた。1920年にブロードウェーでデビューしたのち,オペラの修業を積むためフランスに渡る。1927年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の所属歌手となった。1930年ハリウッドに進出し,『恋の一夜』One Night of Love(1934)で主役に抜擢。フルオーケストラを従えたオペラの収録という先駆的な試みにより大ヒットを記録した。他の出演作に『陽気な姫君』The King Steps Out(1936),『間奏楽』When You're in Love(1937)などがある。1947年,コペンハーゲンで行なわれた公演の帰路に飛行機事故で死亡した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Charles Willard
[生]1925.10.31. ミシガン,ベントンハーバー
[没]1993.12.16. テキサス,オースティン
アメリカの建築家。 1947年ミシガン大学を卒業後,プリンストン大学大学院で建築を学んだ。エール大学建築学部長を務めるなど,アメリカの多くの大学で教鞭をとる。 1962年に北カリフォルニアに週末共同住宅シーランチを設計。 24フィートを基本とする立方体群に片流れの屋根をかけた 10戸の住宅が中庭を取囲む緊密な形態で一躍注目を集めた。その後は R.ベンチューリとともにポスト・モダン建築の主導者として活躍。代表作に各種の歴史的モチーフをふんだんに引用したイタリア広場 (1978,ニューオーリンズ) の設計がある。 1991年,アメリカ建築家協会賞受賞。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア
Moore, Gordon
[生]1929.1.3. カリフォルニア,サンフランシスコ
アメリカ合衆国の科学者・技術者で,世界最大の半導体メーカー,インテルの共同創業者。フルネーム Gordon E. Moore。カリフォルニア大学バークリー校,カリフォルニア工科大学大学院を経て,1953年ジョンズ・ホプキンズ大学応用物理学研究所研究員に就任。1956年,トランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞したウィリアム・ブラッドフォード・ショクリー教授の誘いで,シリコンバレーパロアルトに開設されたショクリー半導体研究所に加わった。同僚ら 8人で 1957年に独立しフェアチャイルドセミコンダクターを設立。ロバート・ノイスとともに集積回路 ICの開発に成功した。1968年ノイスとともにインテルをシリコンバレーのサンタクララに創設。副社長(1968~75),社長(1975~79),最高経営責任者 CEO(1975~87),取締役会長(1979~97)を経て,名誉会長。インテルはコンピュータの情報を処理するマイクロプロセッサの開発・生産で急成長し,世界最大手の半導体メーカーとなった。1965年に "Electronics"誌で,半導体の処理能力(集積度)は 1年で倍増すると予測した(1975年には 2年で倍増と修正)。この指摘は「ムーアの法則」として知られ,実際に 1961年からの 40年間で 1年半ごとに倍増してきたことが立証されている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

ムーア(George Edward Moore)
[1873~1958]英国哲学者分析哲学提唱。新実在論を説き、倫理学上のは直接的に自明な本有的価値であり、定義不可能とした。著「倫理学原理」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア(Henry Moore)
[1898~1986]英国の彫刻家。生命感あふれる、有機的形態の抽象彫刻を制作。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア(Thomas Moore)
[1779~1852]アイルランドの詩人。独立運動に参加、国民詩人として名声を博した。「アイルランド歌謡集」、長詩ララ‐ルーク」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア(moor)
湿原のこと。
英国にみられる、ヒースの群生する荒れ地

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

ムーア【Albert Joseph Moore】
1841‐93
イギリス,後期ビクトリア朝を代表する新古典主義の画家。肖像画家の父に手ほどきを受けたのち,生地ヨークのデザイン学校を経て,ローヤル・アカデミー・スクールに学ぶ。ラファエル前派の影響を受け,また,パルテノン彫刻,日本の版画に強い刺激を受けた。彼の興味は常に色彩を追求することにあり,テーマを古代ギリシア婦人に定め,その日常的なポーズの組合せをくりかえし描いた。【湊 典子】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ムーア【Gerald Moore】
1899‐1987
イギリスのピアニスト。1920年代半ばから伴奏ピアニストとして活動を始める。67年に引退するまでおよそ40年にわたってF.I.シャリアピンH.ホッターE.シュワルツコップV.デ・ロス・アンヘレスD.フィッシャー・ディスカウらと組んでステージに上り,シューベルトからウォルフやR.シュトラウスに至るドイツ・ロマン派の歌曲,あるいはフォーレドビュッシーの近代フランス歌曲にすぐれた解釈を示した。レコードも多い。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ムーア【George Augustus Moore】
1852‐1933
アイルランドの詩人,小説家。メーヨー県ムーア・ホールに生まれる。国会議員を務めた地方名士の子。1873年パリに赴き,当時の前衛芸術家たち,マラルメをはじめとする象徴派詩人や印象派の画家たちの間で青春を過ごし,初めは《情熱の花》(1878)などの象徴派風の詩作にふけった。79年に帰国後は小説に転じ,転落した女の悲惨な生活を描いたゾラ風の小説《役者の妻》(1885),《エスター・ウォーターズ》(1894)などでイギリス自然主義の代表的作家となった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ムーア【George Edward Moore】
1873‐1958
イギリスの哲学者。初めF.H.ブラッドリーの新ヘーゲル主義の影響を受けたが,やがて外的事物時空をはじめとして常識で〈ある〉とされるものはみな存在すると考えるようになる。その考察は緻密・執拗で,認識,存在,倫理の諸原理を概念分析によってとらえようとするもので,その方法は日常言語分析の先駆とされる。ラッセルとともに感覚所与理論を提唱し,倫理学においては善を分析不能な単純なもので,自然的事物やその性質とは本質的に異なるものとしながらもその客観性を認め,それは一種直観によってとらえられるとする。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ムーア【Henry Moore】
1898‐1986
イギリスの彫刻家。ヨークシャーのキャッスルフォード生れ。第1次大戦従軍のため,20歳を過ぎてから美術学校へ入学したが,学校よりも大英博物館へ通って原始彫刻や未開彫刻の影響を大きく受けた。とくに関心を寄せたのはメキシコの先コロンブス期の石彫で,それがムーアの出発点となった。1929年トルテカのチャク・モール像の形態に示唆されて人体の横臥像に興味をもち,最初の《横たわる人体》を制作し,これが生涯のモティーフとなった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ムーア【Marianne Moore】
1887‐1972
アメリカの詩人。セント・ルイス生れ。名門女子大学ブリンモアを出て,1925‐29年ニューヨークで前衛的な文芸誌《ダイアル》の編集に携わる。以後,終生ニューヨークに住み,独身を通した。彼女の詩には,英語詩には珍しくことばを音節単位に細分するなど,流動的で,きわめて繊細な音の流れをもつエキセントリックなものが多い。日常の生活語を用い,一見散文のように見えるが,リズム,ことばの色彩,イメージの組合せから起こる機知などによって,高度の詩的緊張を生み出している。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ムーア【Thomas Moore】
1779‐1852
アイルランドの国民詩人。自由,愛,思い出をテーマに美しくもの悲しい旋律の抒情詩を書いた。故郷のポピュラーな民謡に歌詞をつけた《アイルランド歌曲集》10巻(1807‐34)は有名で,なかに日本でも知られている哀愁の詩〈夏の最後のバラ〉(邦題〈庭の千草〉),〈しずかな夜〉〈タラの館に鳴りしハープ〉などがある。このほかエキゾティックな物語詩《ララ・ルーク》(1817)のロマンスや,《書簡詩とオード》(1806),《パリのファジ家》(1818)のような風刺詩に才能を発揮,伝記《バイロン》(1830)や翻訳《アナクレオンのオード》(1800)もすぐれている。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

むーあ【ムーア】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

精選版 日本国語大辞典

ムーア
[一] (George Edward Moore ジョージ=エドワード━) イギリスの倫理学者、哲学者。スペンサー、J=S=ミル、カントらの自然主義を批判し、善を単純で定義できない独自の性質とした。主著「倫理学原理」「倫理学」「哲学研究」「G=E=ムーアの哲学」。(一八七三‐一九五八
[二] (George Augustus Moore ジョージ=オーガスタス━) アイルランドの詩人、小説家。アイルランド文芸復興運動に参加。小説「役者の妻」「一青年の告白」など。(一八五二‐一九三三
[三] (Thomas Moore トマス━) アイルランドの詩人。抒情詩集「アイルランドの歌」、物語詩「ララ‐ルーク」など通俗的ではあるが、情感あふれる詩を書いた。(一七七九‐一八五二
[四] (Marianne Craig Moore メリアン=クレイグ━) アメリカの女流詩人。好んで動物を主題に選び、知性と機知に富んだ作品を書いた。代表作に「観察」など。(一八八七‐一九七二
[五] (Henry Moore ヘンリー━) イギリスの彫刻家。生命感あふれる単純な造形の抽象彫刻を制作。代表作に「横たわる像」など。(一八九八‐一九八六

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

化学辞典 第2版

ムーア
ムーア
Moore, Stanford

アメリカの生化学者.1935年バンダービルト大学卒業.1938年ウィスコンシン大学で学位を取得.その後,ロックフェラー医学研究所(現ロックフェラー大学)に入り,M. Bergmannの助手となる.第二次世界大戦中は化学戦部局などで国防研究に従事した後,研究所に戻り,W.H. Stein(スタイン)とともにタンパク質を構成するアミノ酸の分離定量の研究に携わった.1952年同研究所教授.Steinとともにイオン交換クロマトグラフィー法を開発し,リボヌクレアーゼの一次構造を決定した(1960年).酵素のアミノ酸配列をはじめて決定したこの業績で,1972年C.B. Anfinsen(アンフィンセン),Steinとともにノーベル化学賞を受賞した.

出典:森北出版「化学辞典(第2版)」
東京工業大学名誉教授理博 吉村 壽次(編集代表)
信州大学元教授理博 梅本 喜三郎(編集)
東京大学名誉教授理博 大内 昭(編集)
東京大学名誉教授工博 奥居 徳昌(編集)
東京工業大学名誉教授理博 海津 洋行(編集)
東京工業大学元教授学術博 梶 雅範(編集)
東京大学名誉教授理博 小林 啓二(編集)
東京工業大学名誉教授 工博佐藤 伸(編集)
東京大学名誉教授理博 西川 勝(編集)
東京大学名誉教授理博 野村 祐次郎(編集)
東京工業大学名誉教授理博 橋本 弘信(編集)
東京工業大学教授理博 広瀬 茂久(編集)
東京工業大学名誉教授工博 丸山 俊夫(編集)
東京工業大学名誉教授工博 八嶋 建明(編集)
東京工業大学名誉教授理博 脇原 將孝(編集)

Copyright © MORIKITA PUBLISHING Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ムーア」の用語解説はコトバンクが提供しています。

ムーアの関連情報

関連キーワード

プラッシーの戦白粒岩怪談(妖怪や幽霊にかかわる話)クライブロスバハの戦いまぶ三宅春楼ヘンデルにやこい

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation