●メスナー
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
メスナー
Messner, Reinhold
イタリアの登山家,極地探検家。父親の影響で登山を始め,13歳の頃からアルプスのさまざまな山に登る。 1960年代には装備を軽量化し,シェルパなど外部のサポートに頼らない新しい登山方法「アルパイン・スタイル」の強力な提唱者の一人となる。 1970年ナンガパルバット (8126m) 登頂に成功。 1975年カラコルム山脈ガシャーブルムI峰 (別名ヒドゥンピーク,8068m) を登攀,初のアルパイン・スタイルによる 8000m峰無酸素登頂を成功させた。 1978年にはペーター・ハーベラーとともに世界の最高峰エベレスト無酸素登頂を史上初めて成功させ,1980年には同無酸素単独登頂を成し遂げた。その後も,1979年 K2 (8611m) ,1983年チョオユー (8201m) に登頂,翌 1984年にガシャーブルムI峰と II峰 (8035m) の世界初の縦走を果たした。 1986年には世界の 8000m峰全 14座制覇という前人未到の偉業を達成。さらに,1990年徒歩による世界初の南極横断 (南極点経由) に成功。
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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)
メスナー
世界大百科事典 第2版
メスナー【Reinhold Messner】
登山家。8000mをこえる高峰14山のすべてを制した世界で唯一人の登山家で,〈無酸素・単独登山〉の提唱者。イタリア北部の村フィルネス(南チロル)で生まれる。1970年,K.M.ヘルリッヒコファーに誘われてヒマラヤのナンガ・パルバット遠征隊に参加。この遠征隊は包囲法をとる大部隊で行われた。しかし,メスナーはこの登山で弟を失い,自らも足の指6本を失う。九死に一生を得て生還したこの体験が契機となって,彼独特の登山が生み出される。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
メスナー
めすなー
Reinhold Messner
(1944― )
ヒマラヤのエベレストをはじめ8000メートル級の14峰すべてを登頂した登山家。オーストリア南部チロールのフィルノース生まれ。ほとんどを単独、無酸素で登攀(とうはん)し、鉄人と称されるほど強い体力と優れた技術をもっている。1965年オルトラー主峰北壁初登攀、67年チベッタ北西壁初登攀など、アルプスやアンデスにおける活動を経て、70年ナンガ・パルバト登頂に始まり、86年のローツェ登頂で、8000メートル峰すべてに登頂した最初の登山家である。またアイガー北壁10時間、マッターホルン北壁8時間登攀など、スピードを主旨とする近代登山の実践家である。『Der 7 Grad』(横川文雄訳『極限の登攀』)など多くの著書がある。
[徳久球雄]
『横川文雄訳『エヴェレスト』(1979・山と渓谷社)』▽『尾崎鋻治訳『K2――7人の闘い』(1982・山と渓谷社)』▽『尾崎鋻治訳『死の地帯』(1983・山と渓谷社)』▽『岡沢祐吉訳『マナスルの嵐』(1978・二見書房)』
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