●メセタ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
メセタ
Meseta
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デジタル大辞泉
メセタ(〈スペイン〉meseta)
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世界大百科事典 第2版
メセタ【Meseta】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
メセタ
めせた
Meseta
ヨーロッパ大陸西部、イベリア半島中央部の広大な高原。ヘルシニア造山運動により生じたイベリア中央山塊がその基盤をなし、アルプス造山運動などにより形成された堆積(たいせき)盆地。全体としてやや西と南に傾斜する。東北東から西南西に走る中央山系(2000~2500メートル)により南北に二分される。北部は平均標高700~800メートルの高位メセタすなわちカスティーリャ・イ・レオン、南部は600メートルの低位メセタでカスティーリャ・ラ・マンチャである。マドリードなど少数の大都市域を除き人口密度は低い。山地に囲まれた内陸のため気温較差が大きく、乾燥する。農業は粗放的であるが、ドゥエロ川、バダホス川流域には集約的な灌漑(かんがい)畑がみられる。
[田辺 裕・滝沢由美子]
歴史
古代にはイベリア人ないしケルト・イベリア人の主要な居住地であった。ローマと西ゴート人の支配を受けたのち、8世紀にイスラム教徒が侵入し、中世を通じてレコンキスタ(国土回復戦争)の主要な舞台となった。この地に形成されたのがカスティーリャ型封建社会で、王室は功績をたてた騎士に土地を信託し、領主・家臣関係は緩やかなものであった。この時期に乾燥した草原の特性を利用した移動牧羊が発達、ヒツジの群れは秋に南下して越冬し、翌年春に北上して旧カスティーリャ(カスティーリャ・イ・レオン)で剪毛(せんもう)され、羊毛は北部諸港から輸出された。その組合であるメスタは大きな権限をもった。近代に入り、カスティーリャを中心にスペインが統一されると、バリャドリード、マドリードなど行政中心地が置かれた。また南部を中心とする土地貴族の支配が20世紀まで強力で、カタルーニャなどの工業地域を抑えてきた。
[深澤安博]
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