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メディチ家【メディチけ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

メディチ家
メディチけ
Medici
15~18世紀フィレンツェを支配したイタリア名門貴族の家系。まず商業と金融業でをなしたコジモ・デ・メディチ(1389~1464)が財力を背景にメディチ家隆盛の基礎を築き,フィレンツェの実権を掌握した。子ピエロ・デ・メディチ(1416~69)を経て,ピエロの子ロレンツォ・デ・メディチ(1449~92)のときにメディチ家およびその支配下のフィレンツェは黄金時代を迎えた。ロレンツォの子ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(1472~1503)のときフランスに接近しすぎてフィレンツェ市民の反感を買い,1494年に市から追放された。しかしロレンツォの第3子ジュリアーノ・デ・メディチ(1479~1516)が 1512年ローマ教皇ユリウス2世の支援のもとに復帰し,さらに第2子ジョバンニ・デ・メディチが教皇レオ10世として即位し家門の再興をみた。1代おいた教皇クレメンス7世もメディチ家出身であったが,神聖ローマ皇帝カルル5世と争い,その間の 1527年にフィレンツェ市民が再びメディチ家を追放した。だが教皇と皇帝の和解が成立すると一門のアレッサンドロ・デ・メディチ(1510/1511~37)が 1530年フィレンツェの支配者に復帰し,1532年に皇帝からフィレンツェ公の称号を与えられた。アレッサンドロの妹カテリーナ・デ・メディチ(1519~89)はフランス王アンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシスとして知られる。2代フィレンツェ公コジモ1世(1519~74)は 1569年にトスカナ大公の称号を与えられ,さらに広い領土の支配者となった。2代トスカナ大公フランチェスコ1世の娘マリア・デ・メディチ(1573~1642)はフランス王アンリ4世の妃マリ・ド・メディシスとなった。7代トスカナ大公のジャン・ガストネが 1737年に嗣子なしに没したとき家系が絶えた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

メディチ‐け【メディチ家】
Mediciルネサンス期のフィレンツェ名家。14世紀に東方貿易と金融業で富をなして台頭。15世紀にはコジモがフィレンツェの事実上の支配者となり、その孫ロレンツォはフィレンツェへの富の集中と文芸の保護に努めた。のち、ローマ教皇やフランス王妃を輩出し、トスカーナ大公となったが、1737年に断絶した。

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世界大百科事典 第2版

メディチけ【メディチ家】
15~18世紀にフィレンツェを中心に栄えたイタリアの財閥(図)。ルネサンス芸術の保護者の家系としても知られる。メディチ家繁栄の基礎を置いたのはジョバンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチGiovanni di Bicci de’ Mediciで,彼は銀行を興し,教皇庁との商取引をてこにこれを一流に育てた。しかしメディチ家がフィレンツェに君臨するのは次のコジモ(C.de’メディチ)の代で,コジモはアビニョン,ロンドンなど国外に多くの支店を出し,政治状況を積極的に利用して莫大な富を築き,メディチ銀行はヨーロッパ屈指の大銀行に成長した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

メディチ家
めでぃちけ
Medici

イタリア、フィレンツェの名家で、ルネサンスの学芸の保護者。この家系の名は13世紀後半の資料にもみられるが、メディチ銀行を創立し、後代の隆盛の基盤を築いたのはジョバンニ・ディ・ビッチGiovanni di Bicci de' Medici(1360ころ―1429)である。その子コジモCosimo de' M.(1389―1464)は、事業を拡張、ヨーロッパ各地に支店を出し、巨万の富を蓄えると同時に土地へ投資し、財政の安定を図った。政治的には表だつことを避け、財力と新興大商人層内での信望を武器に支持人脈網を確立し、フィレンツェ共和国内で隠然たる影響力を行使した。この寡頭体制が、後年への同家の安泰の後ろ盾であった。1433年に共和国より追放されたコジモが翌年早々に帰国できたのも、この布石ゆえである。ミラノ、ナポリとの友好関係を保つのが彼の一貫した外交方針で、共和国の安定と繁栄に大いに貢献し、死後「祖国の父」の称号を贈られた。

 コジモの孫ロレンツォLorenzo de' M.(1449―1492)は、市民ながら若年より他国の君公とも対等に交わり、フィレンツェでも無冠の王のごとく君臨した。祖父の外交方針を継承し、イタリア半島の諸勢力の均衡に努めた。賢明かつ豪胆で、率直な性格と行動ゆえ「イル・マニフィコil Magnifico(偉大なる者)」とあだ名されたが、その資質は、1478年同家を危機に陥れたパッツィ家の陰謀への対処にも発揮された。また、コジモ同様、芸術を保護し、自らも文学作品を残している。しかしロレンツォは経営の才能に乏しく、当時すでにメディチ家の財政は揺らぎ始めていた。彼の長男ピエロPiero de' M.(1472―1503)は凡愚で、南下したフランスのシャルル8世に屈したため、共和国より追放された(1494)。1512年にメディチ家は帰国を許されたが、1527年にもまた追われている。ただし、この間同家は2人の教皇、レオ10世(在位1513~1521)およびクレメンス7世(在位1523~1534)を輩出、フランス王家と婚姻関係を結んだ(アンリ2世の妃カトリーヌ・ド・メディシス、アンリ4世の妃マリ・ド・メディシス)。

 メディチ家のフィレンツェ再復帰がかなうのは1530年で、このときは皇帝カール5世と教皇軍の後押しによった。1532年、アレッサンドロAlessandro de' M.(1512―1537)がフィレンツェ公に叙せられ、メディチ家は名実ともに領主となった。

 次代のコジモ1世Cosimo Ⅰ(1519―1574)は傍系の出身であったが、優れた政治家で、官僚の養成、統治機構の整備など公国の近代化に尽力し、1569年、トスカナ大公位についた。しかし彼以後の大公は、外交に優れた手腕を発揮して農業、商業の振興に努めたフェルディナンド1世Ferdinando Ⅰ(1549―1609)を除くと、おおむね凡庸で、コジモ2世Cosimo Ⅱ(1590―1621)はメディチ銀行を閉鎖した。相続人を残さなかった奇行の主ジャン・ガストーネGian Gastone de' M.(1671―1737)の死により、トスカナ大公=メディチ家は絶える。

[在里寛司]

『中田耕治著『メディチ家の人びと――ルネサンスの栄光と頽廃』『メディチ家の滅亡』(河出文庫)』『C・ヒッバート著、遠藤利国訳『メディチ家――その勃興と没落』(1984・リブロポート)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

メディチ‐け【メディチ家】
(メディチはMedici) イタリアのフィレンツェの名家。大金融業者、商人。のち一門から君主・教皇などを出した。一三世紀末から東方貿易と金融業で産をなし、一五世紀コジモ=メディチは町の政権を握り、ロレンツォ=メディチはルネサンス型君主としてフィレンツェの繁栄をもたらし、その弟は教皇レオ一〇世となった。

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旺文社世界史事典 三訂版

メディチ家
メディチけ
Medici
イタリアの金融業者で,フィレンツェ共和国・トスカナ公国の支配者の家系
ジョバンニ(1360〜1429)のとき,市民階級の支持を集め,商業で得た巨利を背景に都市の政権を握った。その子コシモ(1389〜1464)のとき,銀行頭取とフィレンツェ共和国の国家元首の地位を得,孫のロレンツォ(1449〜92)は独裁的君主となり,内政・外交両面にわたってフィレンツェ市の繁栄をもたらし,文芸保護に力を注いだ。その次男がローマ教皇レオ10世。またローマ教皇クレメンス7世やフランス王アンリ2世の妃カトリーヌも一門の出身。その後,1737年の大公ガストーネの死去により廃絶した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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