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モスクワ芸術座【モスクワげいじゅつざ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

モスクワ芸術座
モスクワげいじゅつざ
Moskovskii Khudozhestvennyi Akademicheskii Teatr
ロシア,モスクワ劇場劇団名。 1898年スタニスラフスキーネミロビッチ=ダンチェンコによって創設された。 V.カチャーロフ,I.モスクビン,L.レオニードフらの名優を擁し,チェーホフゴーリキーらの作品を上演,革命後もしばしば海外巡演を行い,その緻密なリアリズムの舞台は世界の演劇に大きな影響を与えた。しかし次第にスタニスラフスキーによる伝統は官僚主義に支配されて形骸化,1971年首席演出家,87年芸術監督に就任した O.エフレーモフが改革を試み斬新な演出で刷新した。

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デジタル大辞泉

モスクワ‐げいじゅつざ【モスクワ芸術座】
モスクワにある劇場および劇団。1898年、スタニスラフスキーらがリアリズム演劇をめざして創設。

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世界大百科事典 第2版

モスクワげいじゅつざ【モスクワ芸術座】
ロシアの劇場。正称はゴーリキー記念国立モスクワ芸術アカデミー劇場Moskovskii khudozhestvennyi akademicheskii teatr imeni M.Gor’kogo。頭文字をとってムハト(MKhAT)と略称される。1898年10月にスタニスラフスキーネミロビチ・ダンチェンコによりモスクワに創立された。設立の動機は,低俗な出しもの,場当りと紋切型の芝居,粗雑な装置や背景,主演者中心の安易な興行など,当時の演劇界の通弊因習を断ちきり,演劇本来の社会的使命をまっとうしようというものであり,一方また,おりから西欧を風靡(ふうび)した演劇革新の声に呼応して,ロシア演劇のリアリズムの伝統をふまえ,高度の理念と生活の真実につらぬかれた舞台を創造しようというものであった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

モスクワ芸術座
もすくわげいじゅつざ
Московский художественный академический театр Moskovskiy hudozhestvenny akademicheskiy teatr
ロシアの代表的な劇団および劇場。正式名は「モスクワ芸術アカデミー劇場」といい、「ムハト」MXATと略称する。モスクワのトベリ(旧ゴーリキー)通りのカメルゲル(旧芸術座)横町にある。1898年、スタニスラフスキーとネミロビチ・ダンチェンコが官僚や興行主の支配する演劇界の旧弊、スター主義、芝居がかりの演技を排したリアリズム演劇を目ざして創立、「芸術公衆劇場」という名称で(1907年まで)、カレートヌイ通りの「エルミタージュ」を本拠地にして公演活動を始める。10月にA・K・トルストイの『皇帝フョードル・イワノビチ』で旗揚げした。12月にはアレクサンドリンスキー劇場の初演(1896)で失敗したチェーホフの『かもめ』を上演して絶賛を博し、カモメがモスクワ芸術座の標章となった。1902年に現在地に劇場を新築。作家チェーホフ、ゴーリキーとの出会いによって進歩的知識人たちの魂のよりどころとなり、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』(1899)、『三人姉妹』(1901)、『桜の園』(1904)、ゴーリキーの『小市民』『どん底』(ともに1902)で沈滞した劇界に新風を送り、またイプセンやハウプトマンら西欧近代劇を紹介した。1906年の最初の国外巡演で世界的な名声を得、カチャーロフ、モスクビン、クニッペル・チェーホワら多数の名優を輩出した。
 第一次革命(1905)後の反動期にはメーテルリンク、アンドレーエフ、メレジコフスキーらの作品の上演で神秘主義・象徴主義的傾向を強めたり、十月革命(1917)後メイエルホリドから保守性を批判されたりしながら、ソビエト時代にふさわしい演劇を模索し、革命と現代を扱うブルガーコフの『トゥルビン家の日々』(1926)やイワーノフの『装甲列車14‐69号』(1927)などの成功で揺るぎない地位を占めた。
 社会主義リアリズム演劇の指導原理となった「スタニスラフスキー・システム」の本家という甘えなどから1950年代以降停滞ぎみとなったが、70年にエフレーモフを主任演出家に迎えて指導部の若返りを図り、演目にも斬新(ざんしん)なものを加えるようになった。87年にはカメルゲル横町の旧館、モスクビン通りの付属劇場、75年に開場したトゥベルスコイ・ブールバールの新館、それに小舞台をもつ、総員400名(うち俳優157名)の大世帯に膨れ上がったため、新館を諸民族友好劇場と改称、旧館のグループをエフレーモフ、付属劇場、新館のグループを女優ダローニナが指導し、全体をエフレーモフが統轄することになった。58年、68年、88年に来日公演を行っている。89年、エフレーモフの率いる「チェーホフ記念モスクワ芸術座」と、ダローニナの率いる「ゴーリキー記念モスクワ芸術座」の二つの独立した劇団が生まれた。[中本信幸]
『ネミロビッチ・ダンチェンコ著、内山敏訳『モスクワ芸術座の回想』(1952・早川書房)』

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精選版 日本国語大辞典

モスクワ‐げいじゅつざ【モスクワ芸術座】
ロシア連邦、モスクワにある劇場・劇団。正称はゴーリキー記念国立モスクワ芸術アカデミー劇場。一八九八年スタニスラフスキーとネミロビチ=ダンチェンコが創立。チェーホフとゴーリキーの戯曲を中心に演劇改革を達成。略称MHAT

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