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モーガン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

モーガン
Morgan, Charles
[生]1894.1.22. ケントブロムリー
[没]1958.2.6. ロンドン
イギリスの小説家,評論家,劇作家。国際ペンクラブの会長 (1953~58) 。オックスフォード大学に学ぶ。海軍に入り第1次世界大戦に従軍,その体験に基づく小説『』 The Fountain (32) や『スパーケンブルック』 Sparkenbrooke (36) ,『航海』 The Voyage (40) などを発表。評論集に『精神の自由』 Liberties of the Mind (51) 。『輝く流れ』 The Flashing Stream (1938) などの戯曲もあり,『タイムズ』紙の演劇欄を担当した (26~39) 。

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モーガン
Morgan, Conwy Lloyd
[生]1852.2.6. ロンドン
[没]1936.3.6. サセックス,ヘースティングズ
イギリスの動物学者,比較心理学者。ブリストル大学教授。動物行動を研究するにあたり,擬人観に基づく逸話的な方法を排すべきであると主張し,モーガンの公準提唱主著『比較心理学序説』 Introduction to Comparative Psychology (1894) ,『動物行動』 Animal Behavior (1900) ,『創発的進化』 Emergent Evolution (23) ,『動物の心』 The Animal Mind (30) 。

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モーガン
Morgan, Daniel
[生]1736. ニュージャージー,ハンタードン
[没]1802.7.6. バージニア,ウィンチェスター
アメリカ独立革命期の軍人。 1775年バージニア・ライフル連隊の大尉となり,B.アーノルドに従ってカナダ遠征に参加。 76年末ケベック襲撃に際しイギリス軍の捕虜となったが脱走。 77年 H.ゲーツ将軍のもとでサラトガの戦いに参加。 79年いったん除隊したが,80年再びゲーツ将軍の部隊に加わり,准将昇進。 81年1月 17日カウペンスの戦いで B.タールトン将軍の率いるイギリス軍を破り,C.コーンウォリス追撃を振切ってサウスカロライナに逃れた。戦後の 94年 11月西ペンシルバニアの「ウイスキー反乱鎮圧に参加。 97~99年連邦下院議員。

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モーガン
Morgan, John
[生]1735.6.10. フィラデルフィア
[没]1789.10.15. フィラデルフィア
アメリカの医師。 1757年フィラデルフィア・カレッジ (現ペンシルバニア大学) を卒業,フレンチ・アンド・インディアン戦争ではイギリス植民地軍の軍医として従軍,復員後再び学問を志し,エディンバラ,パリ,イタリアに学び,この間 63年にエディンバラ大学学位を取得,65年に帰国してフィラデルフィア・カレッジに最初の医学校を建設し,そこで北アメリカ最初の医学教授に任命された。その頃,外科と内科分離および医薬の分業,医学生の自由な教育を試みたが,時期熟せず成果は得られなかった。アメリカに E.ジェンナー種痘法を導入した医師の一人でもある。主著に『予防接種法のすすめ』A Recommendation of Inoculation (1776) がある。

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モーガン
Morgan, John Hunt
[生]1825.6.1. アラバマ,ハンツビル
[没]1864.9.4. テネシー,グリーンビル
アメリカの軍人南北戦争勃発とともに南軍の騎兵隊長となり,北軍の背後に侵入し,インディアナ,オハイオでゲリラ戦を展開。 1863年7月北軍の捕虜となったが脱走。 64年再度北部へ侵攻し,のちテネシーで北軍部隊と交戦して戦死

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モーガン
Morgan, Lewis Henry
[生]1818.11.21. ニューヨーク,オーロラ
[没]1881.12.17. ニューヨーク,ロチェスター
アメリカの法律家,民族学者。ユニオン・カレッジを卒業し,1844年頃からニューヨーク州ロチェスターで弁護士として活躍。抑圧されていたアメリカインディアンの土地問題解決に尽力し,46年セネカ族に「養子」として受入れられた。以後,大平原のインディアン諸民族の実地調査やイロコイ族の氏族組織を研究し,親族組織と家族,婚姻の形態との関係について進化論上の見解を発表,イギリスの E.タイラーと並んで進化主義人類学権威として知られた。その主張は,「人類根元において一つであり,経験において一つであり,進歩において一つである」という思考を基本とするものであった。アメリカの国立アカデミー会員,80年にはアメリカ科学振興協会会長となり,政治家として 61~68年には州下院議員,68~69年には州上院議員をつとめた。主著『古代社会』 Ancient Society (1877) 。

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モーガン
Morgan, Maurice
[生]1726. ロンドン
[没]1802.3.28. ロンドン
イギリスの外交官,著述家。アメリカ植民地問題の権威で,1782年の独立戦争講和会議には大使秘書として活躍。『サー・ジョン・フォールスタッフの性格についての試論』 Essay on the Dramatic Character of Sir John Falstaff (1777) はフォールスタッフ弁護論としてシェークスピア批評史において重要な地位を占めるもの。

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モーガン
Morgan, Thomas Hunt
[生]1866.9.25. ケンタッキー,レキシントン
[没]1945.12.4. ロサンゼルス,パサディナ
アメリカの遺伝学者,発生学者。ケンタッキー州立大学卒業 (1886) 。 1890年ジョンズ・ホプキンズ大学より学位取得後,ブリンマー・カレッジ教授となり,ここで同僚の J.レープから影響を受ける。発生に対して培養液の塩濃度が及ぼす作用などについて研究。コロンビア大学動物学教授 (1904) 。 H.ド・フリース突然変異説に共感し,動物で突然変異を発見しようと意図して,1908年にショウジョウバエの飼育を開始した。その頃まで彼は G.メンデル遺伝子説に対して批判的であり,また染色体を形質決定要因とみなす T.ボベリらの学説に対しても反論を加えていた。翌年,眼色に関する突然変異体を得,これを用いて交雑実験を行なっているうちに,メンデルの理論を全面的に受入れるようになったばかりか,染色体による形質決定説にも賛同し,両者を結びつけて遺伝の染色体説を樹立した。染色体はメンデルのいう遺伝要素が直線的に配列したものにほかならないとするこの説は,それまで互いに独立に発達をとげてきた細胞学遺伝学とを連結し,細胞遺伝学という新たな研究領域を開いた。 28年カリフォルニア工科大学に生物学教室を創設。それを機に遺伝学の研究から手をひいて,以来発生学に専念。生物学の研究方法に関して彼は,従来の記述的方法を排し,実験的方法をとるべきであると主張し,また,生物学の各分科を統合しようという意図をもち続けた。遺伝の染色体説を確立したことにより,33年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

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モーガン
Morgan, William G.
[生]1870.1.23. ニューヨーク,ロックポート
[没]1942.12.27. ニューヨーク,ロックポート
バレーボールの考案者。マサチューセッツ州ホールヨーク市でYMCAの体育指導をしていた 1895年,老若男女が手軽に楽しめる室内スポーツとして,テニスハンドボールからヒントを得てバレーボールを創案した。

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世界大百科事典 第2版

モーガン【Charles Morgan】
1894‐1958
イギリスの小説家。13歳で海軍兵学校に入り,第1次大戦中はベルギーで捕虜となる。戦後オックスフォード大学を卒業,タイムズに入社して劇評を担当した。妻ヒルダ・ボーンHilda Vaughanも小説家として著名である。若い海軍士官の行動の率直な描写が目だつ《士官次室》(1919)にもこの戦争の捕虜経験が描かれるが,小説《泉》(1932)は大陸で戦うイギリス兵士の内面的苦悩を描いた傑作である。また次作《スパーケンブルック卿》(1936)はイタリアとイギリスの田園を背景にした恋物語であるが,これらは繊細で凝った文体で書かれ,とくにフランスで評判が高かった。

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モーガン【Henry Morgan】
1635?‐88
イギリスの海賊。ウェールズの生れ。はじめ誘拐されて西インド諸島のバルバドス島に売り飛ばされたともいわれる。カリブ海で海賊稼業に従事するうち,仲間は彼を〈提督〉と呼んで頭首に選んだ。スペイン軍のジャマイカ侵攻が伝えられるなかで,同地のイギリス総督は彼にアメリカ本土のスペイン領襲撃を委嘱,よって一統は1668年ポルト・ベロ(現,パナマ領)を攻撃,完全に町を略奪した。奪ったレアル貨は25万枚に上ったといわれる。

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モーガン【John Pierpont Morgan】
1837‐1913
アメリカの金融資本家。モーガン(モルガン)財閥。コネティカット州ハートフォードに生まれ,ドイツのゲッティンゲン大学で学んだ。1857年にニューヨークのダンカン・シャーマン商会に入社して,金融界への第一歩を踏み出した。その後いくつかの会社に勤めたのち,71年にフィラデルフィアの銀行家とドレクセルモーガン商会を設立,95年にはJ.P.モーガン商会J.P.Morgan & Co.に改組した。

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モーガン【Lewis Henry Morgan】
1818‐81
アメリカの人類学者。ニューヨーク州生れ。彼がニューヨーク州のイロコイ族との生活の中から著した《イロコイ連合》(1851)は非ヨーロッパ人に関する初めての完全な民族誌として評価されている。また《人類の血族姻族の諸体系Systems of Consanguinity and Affinity of the Human Family》(1871)は人類学調査におけるテーマとしての親族組織の重要性を明らかにし,とくに親族用語を記述的用語と分類的用語に分けて考察することの必要性を指摘した。

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モーガン【Thomas Hunt Morgan】
1866‐1945
アメリカの遺伝学者。レキシントンの生れ。1886年ケンタッキー州立大学卒,ジョンズ・ホプキンズ大学へ進み,90年学位取得。1904‐28年コロンビア大学教授,28‐45年カリフォルニア工科大学教授。はじめ発生学を研究するが,1900年のメンデルの論文の再発見とともに遺伝学に関心を示すようになり,ネズミを用いた実験を行い,メンデル説を検討する。しかし,明確なものが得られず批判的になる。07年ごろからキャッスルW.E.Castle(1867‐1962)のすすめでショウジョウバエを材料にして遺伝研究を開始する。

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大辞林 第三版

モーガン【Morgan】
Conwy Lloyd M. 1852~1936 イギリスの動物心理学者。動物の行動を説明するにあたり、従来の擬人的類推を排すため「より低次の心的能力の結果として解釈できる行動を、より高次の心的能力の結果として解釈してはならない」というモーガンの公準を提唱。比較心理学の基礎を確立。
Lewis Henry M. 1818~1881 アメリカの人類学者。ネーティブアメリカンの親族名称体系を調査。社会を進化論的に体系づけた学説はエンゲルスなどに影響を与えた。著「古代社会」
Thomas Hunt M. 1866~1945 アメリカの遺伝学者。発生学から出発し、キイロショウジョウバエを使って遺伝の細胞学的研究を行い、染色体地図を作成。メンデルの遺伝因子が染色体上に線状に配列しているとする遺伝子説を提唱。

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20世紀西洋人名事典

モーガン


モルガンをも見よ。

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デジタル大辞泉

モーガン(John Pierpont Morgan)

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モーガン(Lewis Henry Morgan)

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精選版 日本国語大辞典

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