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ヤナーチェク

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ヤナーチェク
Janáček, Leoš
[生]1854.7.3. フクバルディ
[没]1928.8.12. オストラバ
チェコの作曲家。ブルノプラハライプチヒペテルブルグウィーンなどで音楽を学んだ。 1881~1919年にはブルノのオルガン学校校長をつとめ,民族音楽の研究に従事,1884~88年にそのための機関誌を発行した。 1919年のチェコスロバキア独立後は,新設のプラハ音楽院ブルノ分校の作曲科教授となり,スメタナ,ドボルザークに次ぐチェコの代表的作曲家となった。徹底した民族主義的傾向をもち,民族音楽を組織的に収集,特に故郷モラビア地方の民謡の収集家として知られている。主作品は交響詩タラス・ブーリバ』 (1918) ,オペラ『イェヌファ』 (04) ,『カーチャ・カバノバ』 (21) ,『グラゴル・ミサ曲』 (26) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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朝日新聞掲載「キーワード」

ヤナーチェク
1854~1928。チェコ・モラビア地方出身の作曲家。プラハ、ライプチヒ、ウィーンで音楽を学び、1904年に初演されたオペラ『イェヌーフベで名声を高めた。モラビア民謡の研究成果をもとにした独創的な作曲技法で評価されたが、一般的には管弦楽曲の『タラス・ブーリバ』と『シンフォニエッタ』が有名。
(2009-07-24 朝日新聞 夕刊 ステージ)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

ヤナーチェク(Leoš Yanáček)
[1854~1928]チェコの作曲家。民族音楽と近代音楽語法を統合し、多くの歌劇を発表。作品に「利口な女狐の物語」など。

出典:小学館
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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)

ヤナーチェク
レオシュ・ヤナーチェクが生まれたのは1854年7月3日モラヴィア、カントル(教師・音楽家・教会の合唱指導者などを兼ねる)の家系であった。《イェヌーファ》に代表されるオペラ作曲家として知られるヤナーチ ...続き

出典:(社)全日本ピアノ指導者協会

世界大百科事典 第2版

ヤナーチェク【Leoš Janáček】
1854‐1928
チェコスロバキアの作曲家。モラビア北東部の一小村の小学校教員の家に生まれ,11歳の年から生涯の大部分をモラビアの中心都市ブルノで過ごした。1881年ブルノ・オルガン学校の創立に参画してその校長となり,1919年にはプラハ音楽院のブルノ分校を発足させて,そのマスター・クラスで作曲を教えるなど,モラビア文化の発展に尽くしたが,作曲の基礎になった東モラビアの民俗音楽の特異性――スラブ系の特徴に,ハンガリーからはいった東洋的な特徴が混じり合い,われわれ東洋人にはむしろ親しみやすい――も手伝って,自国でも認められるのが遅れた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ヤナーチェク【Leoš Janáček】
1854~1928 チェコスロバキアの作曲家。故郷モラビア地方の民謡を収集し、自己の音楽創造の源泉としてオペラ「イエヌファ」「利口な女狐の物語」「死の家より」などを書いた。音楽教育家としても活躍。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ヤナーチェク
やなーちぇく
Leo Janek
(1854―1928)
チェコスロバキアの作曲家。7月3日モラビア地方(現チェコ)のフクバルディに生まれる。11歳で生家を出てモラビアの中心都市ブルノの修道院の聖歌隊に入り、1872年同地の師範学校を卒業。その後プラハのオルガン学校、ライプツィヒ音楽院、ウィーン音楽院に学ぶ。1881年ブルノにオルガン学校を創設して校長になったのをはじめ、1881~1888年フィルハーモニー協会の指揮者を務め、1919年新設のプラハ音楽院ブルノ分校で作曲を教えるなど、モラビア地方の音楽文化発展に貢献。早くから創作活動を行っていたが、作曲家として名声が高まったのは1904年のオペラ『イエヌーファ』初演以降で、1916年のプラハ初演とその2年後のウィーン初演でようやく国際的に知られるようになった。それからの晩年10年間が創作の最盛期で、オペラ『カーチャ・カバノバー』(1919~1921)、『りこうな女狐(めぎつね)の物語』(1921~1923)など大作を次々に生み出したのち、1928年8月12日オストラバで没した。
 作風としては、若いころから強い関心を抱いていたモラビア民謡の研究成果に基づいて、民族的要素を単に異国趣味的装飾としてではなく、西欧近代音楽の語法と融合し発展させた点で、きわめて独創的なものをもっている。作品はほとんどすべての分野にわたり、民謡編曲も多い。重要なのは九つのオペラで、話しことばの抑揚を本格的に研究して独自の様式をつくりあげており、前記の三作のほか最晩年の『死の家より』(1927~1928)が優れている。宗教作品のなかでは古代スラブ語のテキストによる『グラゴル・ミサ』(1926)が有名。器楽曲ではスメタナやドボルザークの影響に加えて後年印象主義的傾向がみられるが、とくに管弦楽曲『タラス・ブーリバ』(1915~1918)と『シンフォニエッタ』(1926)が全作品中もっとも親しまれている。[益山典子]
『I・ホースブルグ著、和田旦・加藤弘和訳『ヤナーチェク――人と作品』(1986・泰流社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ヤナーチェク
(Leoš Janáček レオシュ━) チェコの作曲家。モラビア地方の民族音楽を素材に歌劇などを作曲した。オペラ「イェヌーファ」「利口な女狐の物語」など。(一八五四‐一九二八

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