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ヤンゴン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ヤンゴン
Yangôn
ミャンマー最大の都市。旧称ラングーン Rangoon。エイヤーワディ川デルタ東端のヤンゴン川左岸に位置する。 1948年のビルマ独立から 2006年まで首都。ヤンゴンは「戦いの終わり」という意味で,1755年にコンバウン朝アラウンパヤーが,この地を占領し,商業,港湾都市として築いたときに与えた名称。 1824年のイギリスによる占領から 1989年までラングーンと呼ばれた。中心部は 1852年の都市計画により建設された。ヤンゴン川河岸から北部に広がる碁盤目状の街区で,ミャンマーで最も美しいとされるスーレー・パゴダがある。街区はインド人,イスラム教徒,中国人,ビルマ人と民族別に居住区が分かれ,それぞれ寺院,店舗などが並んでいる。商事会社や銀行が集中する商業中心地で,製鋼,製薬,麻,綿紡績,精油などの近代工業のほか,製材,精米などの在来工業も立地する。ヤンゴン川の河港ヤンゴン港は,国の貿易の 80%以上を扱い,特に米の輸出額が大きい。全国の鉄道,内陸航路が集中し,国際空港もある。市街地北部には,森林公園として整備されているロイヤル湖 (カンドージー湖) および動物園,植物園があり,インヤー湖とともに市民の憩いの場となっている。ロイヤル湖の西方にある高さ 112mの金色仏塔シュエダゴン・パゴダは仏教の聖地として知られる。芸術科学大学 (前身は 1920年創立のラングーン大学) ,国立美術考古学博物館など文教施設も多い。人口 445万 4500 (2004推計) 。

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デジタル大辞泉

ヤンゴン(Yangon)
ミャンマー連邦の旧首都。イラワジ川分流ヤンゴン川に臨み、18世紀から貿易港として発展。米・チーク材を輸出する。金色のシュエダゴンパゴダスーレーパゴダなど多くの仏塔がある。1989年にラングーンを改称。2005年ネーピードー遷都。人口387万(2003)。

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世界大百科事典 第2版

ヤンゴン【Yangon】
ミャンマーの首都。北緯16゜36′,東経96゜10′に位置し,北西から流れてくるフライン川(ラングーン川)と北東から流れてくるペグー川との合流点河口からは34kmさかのぼった地点にある。人口385万(1995)。1989年6月に国名がミャンマーと変更された際,ラングーンRangoonもヤンゴンと改称された。市街地北部のティンゴウタヤ丘の上に高さ約100mのシュウェダゴン・パゴダがあり,古くから聖地ダゴンDagonとして知られていた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ヤンゴン
やんごん
Yangon

ミャンマー(ビルマ)連邦第一の都市。2006年10月までは同国の首都。正式呼称はヤンゴンであるが、英語風になまったラングーンで知られる。人口434万4100(2003推計)。ペグー山脈から流れるフライン川(ヤンゴン川)とペグー川の合流点に位置する。合流点から約30キロメートル下るとマルタバン湾に達する。熱帯モンスーン気候に属し、年平均気温は27.2℃。12月から2月までは比較的しのぎやすいが、4月と5月はきわめて暑い。年降水量は2574.2ミリメートルで、その80%は6月から9月までに降る。ミャンマーの政治の中心地であるとともに経済の中心地で、ヤンゴン港は同国の貿易の80%を取り扱う。ただし、各省庁など行政機能は新首都のネピドーにある。工業は以前から精米、製材工場が多数あったが、独立後は産業国有化政策により鉄鋼、薬品、ジュート紡績、造船などの国営工場が新設され発展が著しい。また、ヤンゴン大学、ヤンゴン工科大学など各種教育機関もここに集中する。交通面でも同国の中枢をなし、ヤンゴン港は運河によりイラワディ水系やシッタン水系と結ばれる。鉄道はマンダレー、プローム、マルタバンの各市への起点で、北部のミンガラドン空港はこの国の空の玄関である。市内にはロイヤル湖やインヤ湖などの水道用人工湖があり、緑に包まれた市街地や公園が多い。また都心部の広場にある優美なスーレー・パゴダ、ヤンゴン丘陵にある金箔(きんぱく)を施した巨大なシュエダゴン・パゴダなど、仏教国の主都にふさわしく多くの仏塔がある。

[酒井敏明]

歴史

18世紀までは、シュエダゴン・パゴダ(伝承によれば紀元前6世紀ころの建立の仏塔)を擁する一寒村にすぎず、聖地ダゴンとして知られるのみであった。王朝時代の都は、もっぱら上ビルマに置かれ、下ビルマの中心はペグー(現、バゴー)にあった。また、海港として栄えたのも対岸のダラ、シリアムや、ペグー、マルタバンなどの港であった。ダゴンが重要性をもつのは、18世紀にアラウンパヤー王が全ビルマを統一して以降のことである。1755年、モン人と戦ってダゴンの町を占領したアラウンパヤー王は、この地に城砦(じょうさい)を築き対モン人戦争の軍事基地とし、敵の根絶を願ってこの地をラングーン(「戦いの終わり」の意。現代ビルマ語でヤンゴンYangon)と命名した。モン人制圧後、この町は下ビルマ統治の中心として機能し、また、王国最大の貿易港として発展していった。しかし、ヤンゴンが一大発展を遂げるのは、1852年の第二次ビルマ戦争後のイギリスによる一方的な下ビルマ併合以降のことである。

 ヤンゴンはイギリス領ビルマの中心として再建拡張され、ほぼ現在のヤンゴンの原型が築かれた。20世紀に入るとその重要性は高まり、1870年代には約10万であった人口も、1901年には25万、1931年には40万と急増していった。この人口増加にはインド人労働者の移民が大きな部分を占めていた。ビルマ人は人口の30%弱を占めるのみで、インド人、華僑(かきょう)が経済活動を握るなど、典型的な植民地都市の様相を示していた。第二次世界大戦中の日本軍による占領、イギリス軍の再占領によって、都市の大部分が破壊されたが、1948年にビルマが独立すると、独立国家の首都として面目を一新した。1988年のクーデターにより政権を掌握したミャンマーの軍事政権は、2005年11月以降同国中部の都市ネピドーへの首都機能移転を進め、2006年10月にはヤンゴンにかえて、ネピドーをミャンマーの首都とした。

[渡辺佳成]

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精選版 日本国語大辞典

ヤンゴン
(Yangon) ミャンマー連邦の首都。同国南部、イラワジ川の分流、ヤンゴン川の左岸にある。米、チーク材の輸出港。一九八九年ラングーンを改称。

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