●ユトレヒト条約【ユトレヒトじょうやく】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ユトレヒト条約
ユトレヒトじょうやく
Treaties of Utrecht
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デジタル大辞泉
ユトレヒト‐じょうやく〔‐デウヤク〕【ユトレヒト条約】
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世界大百科事典 第2版
ユトレヒトじょうやく【ユトレヒト条約】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ユトレヒト条約
ゆとれひとじょうやく
スペイン継承戦争(1701~14)終結の際の一連の講和条約の総称。まず1713年4月11日、フランス、スペインとイギリス、オランダ、ポルトガル、サボイア間にオランダのユトレヒトUtrechtで条約が成立。ついで、14年3月6日、フランスとドイツ皇帝(オーストリア)間にラシュタット条約、さらに同年9月7日のバーデン条約、15年11月15日のオランダと南ネーデルラント間の障壁協定と一連の補足の協約が成立した。
この結果、スペインは、フェリペ5世の復位は認められたものの、ネーデルラント、北イタリア、ナポリ、サルデーニャはオーストリアへ、シチリアはサボイアへ譲渡され、決定的に没落した。フランスは、戦前の領地を保持したが、ルイ14世の大陸制圧政策は挫折(ざせつ)した。もっとも有利なのはイギリスで、ジブラルタル、ミノルカ島を得て地中海制圧の足場をつくり、ニューファンドランドほかを得て北アメリカ植民地を拡大し、またスペイン植民地に対する貿易特権を得て、イギリス優位の時代を開いた。
[千葉治男]
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精選版 日本国語大辞典
ユトレヒト‐じょうやく ‥デウヤク【ユトレヒト条約】
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旺文社世界史事典 三訂版
ユトレヒト条約
ユトレヒトじょうやく
Treaty of Utrecht
1713年4月11日,オランダのユトレヒトでフランス・イギリス・オランダ・サヴォイ間に結ばれた。おもな内容は,次のとおり。(1)フランスとスペインは合同しないことを条件に,フェリペ5世をスペイン王と認める。(2)イギリスはスペインからジブラルタルとミノルカ島を,フランスからニューファンドランド・アカディア・ハドソン湾地方を得る。(3)オランダはスペイン領ネーデルラントの数市を,サヴォイはシチリア島を得る。(4)サヴォイとプロイセンは王号を許される。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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