●ラサール
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ラサール
Lassalle, Ferdinand
[没]1864.8.31. ジュネーブ
ドイツの社会主義者,労働運動指導者。富裕なユダヤ商人の子で,ブレスラウ,ベルリン両大学で法律と哲学を学び,ヘーゲル哲学の影響を受け社会主義思想も知るようになる。 1848年の革命にライン地方で参加,逮捕される。このころマルクスと知合う。その後哲学や法学の著作にはしるが,59年ごろから政治的活動を再開。憲法闘争 (1862~63) をはじめプロシアのさまざまな政治闘争に関与,社会主義運動を指導した。 62年「賃金鉄則」を唱える『労働者綱領』 Arbeiterprogrammを発表,63年には『公開答状』を書き,労働者の組織化を目指し「全ドイツ労働者協会」を組織して会長となる。これは現在のドイツ社会民主党の母体の1つとなった。彼は普通選挙の実現と国庫による生産協同組合の実現という,国家を通しての社会主義化を目指した (ちなみに「夜警国家」とは自由主義国家に向けて彼が使った異称) 。彼自身はマルクスを財政的に支援するなど好意的であったが,マルクスらはビスマルクと密談を持つといった彼の政治スタイル,国家観に反発していた。 64年女性問題にからむ決闘により死亡。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
ラサール
La Salle
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ラ‐サール(Jean-Baptiste de La Salle)
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
ラサール【Ferdinand Lassalle】
ドイツの労働運動指導者,社会思想家。絹物商人の息子としてブレスラウ(現,ブロツワフ)に生まれ,同地およびベルリンの大学で哲学など学ぶ。学生時代から民主主義・社会主義思想になじみ,1848年にはライン地方で革命に参加,逮捕された。同じころマルクスと知り合い,その弟子をもって自任するようになった。他方,46年に出会った20歳年上のハッツフェルト伯爵夫人に同情,8年にわたるその離婚訴訟に肩入れし多大の労力を費やした。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
精選版 日本国語大辞典
ラ‐サール
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
ラサール
Ferdinand Johann Gottlieb Las salle
ドイツの社会主義者・労働運動指導者
1848年三月革命に参加。同年,マルクスと接して影響をうけるが,1850年代末より離れる。1862年「労働者綱領」を発表し,63年プロイセンをおもな活動範囲とする全ドイツ労働者同盟を創設し,大衆的な労働運動の基礎を築く。いっぽう,プロイセン国家の熱烈な信奉者でもあり,ビスマルクに接近するなど,マルクス主義とは無縁だった。のちのドイツ社会民主党改良主義派にはラサール派が多い。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「ラサール」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●ラサールの関連情報
関連キーワード
| 産業革命史(年表)| アレクサンドル| ボワソナード| ホイットニー| ムニクー| 岩漿| クリューガー| ニコライ[1世]| サン=シモン| ニコライ1世|