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ラッセル

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ラッセル
Russell, Bertrand
[生]1872.5.18. トレレック
[没]1970.2.2. ペンリンダイドライス
イギリスの哲学者,数学者,評論家。フルネーム Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell of Kingston Russell, Viscount Amberley of Amberley and of Ardsalla。ケンブリッジ大学で哲学,数学を専攻,1916年反戦運動により罷免されるまで同大学で講師を務めた。1950年ノーベル文学賞受賞。初め数学者として出発し,数学は論理学的概念に還元できるとして『数学の諸原理』Principles of Mathematics(1903),『プリンキピア・マテマティカ』Principia Mathematica(3巻,1910~13,アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドと共)を著し,のちの論理学に多大な影響を与えた。以後哲学の研究に入りイギリス経験論に立った認識論(マッハ主義,新実在論)を展開,ここでも数学の研究を通して得られた論理学の成果を取り入れている。社会評論家,社会運動家としても 1950年代の反スターリン運動,パグウォッシュ会議の開催,ベトナム戦争反対の「ラッセル法廷」などを通し,個人の尊厳擁護と世界平和のために貢献主著『西洋哲学史』A History of Western Philosophy(1945)。

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ラッセル
Russell, Charles, Baron Russell of Killowen
[生]1832.11.10. ダウン,ニューリ
[没]1900.8.10. ロンドン
イギリスの法律家,政治家。カトリック教徒でダブリンで学び,故郷の町ニューリの法律事務所に勤めたが,1854年に独立。 59年に法廷弁護士の資格を取得,リバプールで活躍した。 72年に王室顧問弁護士となり,80~94年は自由党下院議員として,議会内外で自由党の政策を促進し,特にアイルランドのために尽力した。 94年には貴族に列せられ,同年最高法院裁判長に就任,法律の改正に貢献した。

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ラッセル
Russell, Charles Taze
[生]1852.2.16. ピッツバーグ
[没]1916.10.31. テキサス,パンパ
アメリカの宗教家。国際聖書学生協会の創立者。長老派,会衆派のプロテスタントとして育ったが,既成教会の信条を捨て,1872年独自の聖書研究会を生地に組織。 77年以降キリストの不可視の再臨を唱え,キリストの世界統治が 1944年に始ると予言,終生キリストの千年統治説を説き続けた。 1879年『ものみの塔』を発刊,84年「ものみの聖書冊子協会 (通称エホバの証者) 」 The Watch Tower Bible and Tract Societyを創設伝道を広く行なった。

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ラッセル
Russell, George William
[生]1867.4.10. ラーガン
[没]1935.7.17. ボーンマス
アイルランドの詩人随筆家ジャーナリスト筆名 Æ。イェーツらとともにアイルランド文芸復興に指導的役割を果した。また政治運動にも興味をもち,「アイルランド農業組織協会」の創設に参加,雑誌『アイリッシュ・ホームステッド』 (1906~23) ,『アイリッシュ・ステーツマン』 (23~30) を編集。主著,詩集家路へ,途上の歌』 Homeward: Songs by the Way (1894) ,戯曲ディーアドラ』 Deirdre (1907) ,エッセー『幻想のあかり』 The Candle of Vision (18) 。

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ラッセル
Russell, Henry Norris
[生]1877.10.25. ニューヨークオイスターベイ
[没]1957.2.18. ニュージャージー,プリンストン
アメリカ合衆国の天文学者。プリンストン大学に学び,連星の相互運動を研究。イギリスケンブリッジ大学に留学,分光連星の運動を研究。帰国後プリンストン大学教授,同天文台台長。連星の運動軌道から質量,相互距離の計算法を案出。また食変光星(→食連星),マゼラン雲(→不規則銀河)の研究にも優れた業績を残した。さらに 1913年には恒星スペクトル型と絶対等級との関係を図表化したヘルツスプルング=ラッセル図を完成。また恒星の化学組成を実験室での研究との比較によって明らかにすることを試みた。恒星進化論や太陽系起源論でも知られ,天文学の優れた啓蒙家でもある。主著『太陽系とその起原』Solar System and Its Origin(1935)。

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ラッセル
Russell, John
[生]1745.3.29. ギルフォード
[没]1806.4.20. ハル
イギリスの画家パステル画を得意とし,1772年ロイヤル・アカデミーの準会員,88年に正会員。 89年以降宮廷画家としてイギリス王をはじめ貴顕高官の肖像を数多く描いた。彼の技法論"Elements of Painting with Crayons"も名高い。

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ラッセル
Russell, John, 1st Earl Russell
[生]1792.8.18. ロンドン
[没]1878.5.28. ロンドン
イギリスの政治家。6代ベッドフォード公の第3子。ホイッグ党名門貴族の家に生れ,1813年下院に入り,ホイッグ党改革派に所属。 30年 C.グレー内閣軍事支払総監。第1次選挙法改正法案成立に貢献。 35~39年メルバーン内閣内相,39~41年陸相および植民相。 R.ピール内閣崩壊後,46~52年首相。在任中各種の自由主義的改革を実現し,48年にはチャーティスト運動高揚に対処。 52~53年アバディーン連立内閣外相,53~54年無任所相,54~55年枢密院議長を経て,59~65年パーマストン内閣外相。 61年伯爵。 65年首相となったが,選挙法改正法案が不成立に終り,66年辞任した。

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ラッセル
Russell, Lillian
[生]1861.12.4. アイオワクリントン
[没]1922.6.6. ピッツバーグ
アメリカの女優,歌手本名 Helen Louise Leonard。 T.パスターやウェーバーフィールズのバラエティー劇場に出演,コミック・オペラを得意とした。美貌とはなやかな雰囲気で「アメリカン・ビューティ」と称され,ショーの世界のスターとして人気を集めた。

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ラッセル
Russell, Morgan
[生]1886.1.25. ニューヨーク
[没]1953.5.29. ペンシルバニア,ブルームオール
アメリカの画家。アート・スチューデンツ・リーグで学んだのち,1906年パリに移り,同地で 40年間を過した。芸術的表現に関する科学的色彩論を追究した初めてのアメリカ人画家。 13~14年 S.マクドナルド=ライトとともに前衛運動としてのシンクロミズムを樹立し,ミュンヘン,パリ,ニューヨークで展覧会を開いた。 19年以後絶対的な抽象主義から離れて具象画に転じた。 46年帰国。主要作品『形成』 (1913~14) 。

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ラッセル
Russell, Odo William Leopold, 1st Baron Ampthill
[生]1829.2.20. フィレンツェ
[没]1884.8.25. ポツダム
イギリスの外交官初代ラッセル伯爵の。父もプロシア駐在公使をつとめた。 1871年ドイツ帝国成立後最初のドイツ駐在大使。 77~78年のベルリン会議にイギリス全権代表の一人として参加。 81年男爵。

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ラッセル
Russell, Lord William
[生]1639.9.29.
[没]1683.7.21.
イギリスの政治家。ラッセル家一員で,初代ベッドフォード公の3男。 1660年から下院議員になり,73年頃から国王チャールズ2世の親フランス的,親カトリック的政策を批判し,新教擁護の運動を展開。 78年の教皇派陰謀事件で危機感を深め,79年の王位継承排除法案には積極的な推進派として活躍,シャフツベリー伯 (初代) とともにのちのホイッグ党の指導者になった。法案通過に失敗したのを機に,81年政界を退いたが,83年ライ・ハウス事件に連座したとして逮捕され,実際にはほとんど関係がなかったにもかかわらず処刑された。

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ラッセル
Russell, Ken
[生]1927.7.3. サウサンプトン
[没]2011.11.27.
イギリスの映画監督。フルネーム Henry Kenneth Alfred Russell。衝撃的でスキャンダラスな作風から,批評家の間でも評価が分かれる。靴屋の息子として生まれ,パングボーンの商船大学を経て空軍で 2年間にわたり電気技師の訓練を受けた。その後は演劇,バレエ,写真などさまざまな芸術活動に挑戦し,映画制作にも着手する。初期の作品がイギリス放送協会 BBCの目に留まり,ドキュメンタリー番組のディレクターの仕事を得る。BBC時代に制作した『フレンチ・ドレッシング』French Dressing(1963),『10億ドルの頭脳』Billion Dollar Brain(1967)の 2本の長編映画で注目を集めたのち,デービッド・ハーバート・ロレンスの小説を映画化した『恋する女たち』Women in Love(1969)で映画監督としての地位を確立。しかしピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの苦悩の生涯を描いた次作『恋人たちの曲/悲愴』The Music Lovers(1970)や,オルダス・L.ハクスリーの小説を題材にした『肉体の悪魔』The Devils(1971)は,あまりに衝撃的な描写により反発を招いた。ロックオペラを映画化した『Tommy/トミー』Tommy(1975)で再び興行的成功を手にした。

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ラッセル
Russell, Bill
[生]1934.2.12. ルイジアナ,モンロー
アメリカ合衆国のバスケットボール選手。本名 William Felton Russell。NBA史上,最も偉大なディフェンシブセンター (守備的センター) と評された。カリフォルニア州オークランドで育ち,サンフランシスコ大学では,2季連続 (1954-55,1955-56年シーズン) でチームを全米大学体育協会 NCAA選手権優勝に導いた。 1956年メルボルン・オリンピック競技大会にアメリカ代表として出場,金メダルを獲得した。同 1956年ボストン・セルティックスに入団,1957年および 1959~66年に9度の優勝を果たした。 1966年アメリカの主要なプロスポーツチームにおける史上初の黒人監督となり,選手兼監督を務めた 1968,1969年にも優勝を達成し,1969年引退。 NBAの最優秀選手 MVPを5度受賞。 1973~77年シアトル・スーパーソニックスの監督兼ゼネラルマネージャーを務めた。バスケットボール界から引退後は,スポーツ番組のアナウンサー,コラムニスト,テレビのニュース解説者などとしても活躍した。 1975年ネイスミス記念バスケットボール殿堂入り。

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デジタル大辞泉

ラッセル(Bertrand Russell)
[1872~1970]英国の数学者・哲学者。記号論理学集大成ホワイトヘッドとともに「数学原理」を著し、分析哲学における人工言語学派始祖の一人となった。平和運動の国際的指導者としても活躍。1950年ノーベル文学賞受賞。著「数理哲学序説」「西洋哲学史」など。

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ラッセル(russell)
[名](スル)《ラッセル車の発明者の名から》
ラッセル車」の
登山で、深雪をかき分け、雪を踏み固めて道を作りながら進むこと。「交替でラッセルしながら登る」

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ラッセル(Russell)
ニュージーランド北島北部、ノースランド半島東岸、ベイオブアイランズの町。19世紀初頭に捕鯨基地が置かれ、同国で最初にヨーロッパ人が定住した地として知られる。かつて近郊のオキアトがラッセルという名を冠する首府だったが、火災を機に同地にその名が移された。同国に現存する最古教会であるクライスト教会をはじめ、歴史的建造物が多く残っている。

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ラッセル
《〈ドイツ〉Rasselgeräuschから》⇒ラッセル音

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

ラッセル Russel', Nikolay Konstantinovich
1850-1930 ロシアの革命家。
1850年12月15日生まれ。ナロードニキ主義にたち各国で活動。日露戦争中の明治38年(1905),日本に抑留されたロシア人捕虜への革命宣伝のため来日した。戦後長崎などにすみ,大正9年日本人妻とともに中国へ移住した。1930年4月30日死去。79歳。白ロシア出身。本名はニコライ=コンスタンチノビッチ=スジロフスキー。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

デジタル大辞泉プラス

ラッセル
《Russell》イギリス海軍の戦艦。ダンカン級。1901年進水、1903年就役の前弩級戦艦。名称は、英蘭戦争、大同盟戦争などで活躍したイギリスの軍人・貴族、エドワード・ラッセルの名にちなむ。1916年、第一次世界大戦中の「ガリポリの戦い」から帰還したマルタの港でドイツ軍の機雷に触れ沈没

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世界大百科事典 第2版

ラッセル【Bertrand Arthur William Russell】
1872‐1970
イギリスの哲学者,論理学者,平和運動家。ノーベル文学賞受賞者(1950)。伯爵。ケンブリッジ大学に学び,幾何学の基礎にかんする研究で母校のフェロー資格を得,のち講師となる。数学の基礎の研究を志したが,一方で新ヘーゲル主義の影響を受け,一時世界は分析不可能な全体だと考える。しかし20世紀初めころから世界を単純なものの複合体と考え,その単純なものとして感覚所与sense‐datumをとるに至る。ここに至るには主語‐述語形式を命題と存在の基本と考えるライプニッツの存在論の批判があずかって力があった。

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ラッセル【Henry Norris Russell】
1877‐1957
アメリカの天文学者。ニューヨーク州出身。プリンストン大学に学び,1897年に〈火星による小惑星エロスの軌道長半径に対する一般摂動〉に関する研究で博士号を取得。卒業後体調をくずし静養していたが,1902年イギリスに渡り,キャベンディシュ研究所,ケンブリッジ天文台に滞在,A.R.ヒンクスと恒星視差の決定に従事した。04年に帰国,05年からプリンストン大学の教職につき,11年教授,12年から47年の退官までプリンストン天文台の台長を務めた。

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ラッセル【John Russell】
1792‐1878
イギリスの政治家。名門のホイッグ貴族,第6代ベドフォード公の三男。1813年に下院議員となり,以後,20年代から60年代にかけてホイッグ,自由党内に重きをなし,数々の自由主義的な改革を推進した。まず28年,カトリック教徒の公職就任をはばんできた審査法に反対,同法の廃止と翌29年のカトリック解放法の成立に尽力,30‐32年の第1次選挙法改正に際しては,法案の作成に参画,同法を下院に上程,これを通過させた。

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ラッセル【William Lassell】
1799‐1880
イギリスの天文学者。初め醸造業をしていたが,独学で天文学を学び,リバプール近郊に私設天文台をたて,反射望遠鏡の製作に従事し,口径121cmに達するものをつくり,観測も行った。1846年海王星の衛星トリトン,48年ボンドG.P.Bondと同時期に土星の第7衛星ヒペリオン,51年天王星の衛星アリエル,ウンブリエルを発見。さらに600個の星雲も発見する。49年王立天文学会ゴールド・メダル,58年ローヤル・メダルを受賞する。

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精選版 日本国語大辞典

ラッセル
〘名〙 (Rasselgeräusch の略) 肺を聴診する時、通常の呼吸音に混じて聞こえる異常音。肺胞や気管支内の分泌物が空気と混じて流れる時に生じる水泡音や、気管支狭窄による乾性ラ音など多くの種類がある。ラッセル音。ラ音。
※ブルジョア(1930)〈芹沢光治良〉二「咳も強いし、〈略〉ラッセルも聞えると云ふから暫く静養したいと」

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ラッセル
〘名〙 (ラッセル雪掻車の発明者、アメリカ人 Russell から)
※雪国(1935‐47)〈川端康成〉「ラッセルを三台備へて雪を待つ、国境の山であった」
② (━する) 登山やスキーで、雪の深い時、道を開きながら進むこと。
※錬成スキーと雪・冬山(1944)〈河上寿雄〉一〇「余り抵抗の多い生地は深雪をラッセルして登る時等に不都合が多いやうである」

出典:精選版 日本国語大辞典
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ラッセル
[一] (3rd Earl Bertrand Russell サード=アール=バートランド━) イギリスの哲学者、思想家、文明評論家。数学者として出発し、大著「数学原理」(ホワイトヘッドとの共著)で今日の記号論理学・分析哲学の基礎を築いた。また、フェビアン主義・平和主義・世界連邦主義の立場から政治・教育・文化の各分野で広範な著作活動を展開するとともに、第二次世界大戦後は核兵器反対運動を指導。一九五〇年ノーベル文学賞を受賞。(一八七二‐一九七〇
[二] (Henry Norris Russell ヘンリー=ノリス━) アメリカの天文学者。スペクトルを研究、恒星の進化段階を推定し、太陽大気の組成を分析するなど天体物理学の基礎を築いた。(一八七七‐一九五七

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旺文社世界史事典 三訂版

ラッセル
Bertrand Arthur William Russell
1872〜1970
イギリスの数学者・哲学者・評論家
数学者として出発し,大著『数学原理』によって数理哲学および記号論理学に貢献した。フェビアン社会主義・世界連邦主義の立場から,政治・社会・文化の各方面について多くの著書を書き,鋭い現状批判を行った。第一次世界大戦に際しては非戦論を唱えて投獄され,また第二次世界大戦後は核兵器反対運動を展開し,ヴェトナム戦争犯罪裁判を行って注目を集めた。1950年にはノーベル文学賞を受賞。著書には『社会改造の原理』『西欧哲学史』などがある。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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