●ラファエロ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ラファエロ
Raffaello Sanzio
[没]1520.4.6. ローマ
イタリアの画家。レオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロと並んで盛期ルネサンスの古典的芸術を完成した三大芸術家の一人。画家であった父に学び,1500年頃ペルジーノの工房に入った。1504年にフィレンツェに赴き,巨匠たちの作品から学び『テンピ家の聖母子』などを描き名声を得た。1508年にローマに移り,ユリウス2世のためにバチカン宮殿の教皇署名の間に『アテネの学堂』『パルナッソス』などの傑作を描き,1511年には同宮殿のヘリオドロスの間の壁画を制作した。ドナト・ブラマンテの跡を継いでサン・ピエトロ大聖堂の構築計画や古代遺跡発掘の監督も引き受けた。続いて教皇宮インチェンディオの間の壁面やキージ家礼拝堂の装飾など多面的な活動をした。そのほかの作品に『サン・シストの聖母子』 (1514頃,ドレスデン国立絵画館) など。
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デジタル大辞泉
ラファエロ(Raffaello Santi/Raffaello Sanzio)
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世界大百科事典 第2版
ラファエロ【Raffaello Santi(Sanzio)】
イタリア・ルネサンス期の画家,建築家。英語ではラファエルRaphael。ウルビノに生まれ,ローマで没。古典主義絵画の大成者であり,その後西欧絵画の歴史のうえで,最高の範例と仰がれた。 父ジョバンニも画家で,少年時代に最初父から絵画の手ほどきを受けたとされる。次いでペルジーノのもとに学び,おそらくはペルージアのカンビオの壁画装飾に協力,またペルジーノの影響の強い《聖母の結婚》(ブレラ美術館)を描いた。
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精選版 日本国語大辞典
ラファエロ
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旺文社世界史事典 三訂版
ラファエロ
Raffaello Sanzio
イタリアの画家・建築家
ルネサンスの巨匠のひとり。1504年フィレンツェに行きレオナルド=ダ=ヴィンチ・ミケランジェロの影響を受け,このころ一連の聖母像を描く。その後,ローマ教皇ユリウス2世・レオ10世の寵を受け,ヴァチカン宮殿に多くの壁画を描き,37歳の若さで死んだ。聖母像のほかに「アテネの学園」などが有名。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ラファエロ
らふぁえろ
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