●ラフォルグ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ラフォルグ
Laforgue, Jules
[没]1887.8.20. パリ
フランスの詩人。ウルグアイに生れ,6歳のときタルブのリセ (高等中学校) の寄宿生となり孤独な幼少年時代をおくった。 1873年パリに出て,ブールジェらの文学者と交遊。 81年ドイツ皇后アウグスタの講書係となってベルリンにおもむき,5年間滞在。帰国後,処女詩集『嘆き歌』 Les Complaintes (1885) を発表。 86年『母なる月のまねび』L'Imitation de Notre-Dame la Luneを出版,同年末イギリス女性と結婚したが,すでに結核におかされていた詩人は,まもなく 27歳の若さで世を去った。死後出版に,詩集『善意の花々』 Des Fleurs de bonne volonté (88) ,シェークスピアの『ハムレット』をはじめ,フローベールやワーグナーをパロディー化した散文集『伝説寓意集』 Moralités légendaires (87) など。ショーペンハウアーや E.ハルトマンのペシミズムと仏教の影響を強く受け,道化のハムレットへの転換として自己の神話を表現,コルビエール,ランボーにならって詩語の変革に努め,G.カーンとともに自由詩を創始して象徴主義に重要な貢献をし,アポリネールなどの近代詩の先駆となった。
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ラフォルグ
Lafforgue, Laurent
フランスの数学者。1990年にエコール・ノルマル・シュペリュールを卒業し,1994年にパリ大学で博士号を取得。2001年にフランス高等科学研究所 IHÉSの教授に就任。2002年に中国の北京で開催された国際数学者会議で,整数論と解析学を結びつける業績によりフィールズ賞を受賞した。1990年のフィールズ賞受賞者ウラジーミル・ドリンフェルトの業績を基礎として,ラングランズ予想(ラングランズ・プログラム)のある重要な事例について証明した。ラングランズ予想とは,1967年に数学者ロバート・ラングランズがアンドレ・ベイユに宛てた書簡に端を発する数学理論である。ラングランズは,それまでに知られていた代数的数と,古典的なリーマンのゼータ関数に関連したある種の複素関数との深い関係を,可能なかぎり一般化し,非可換な場合に拡張することを提唱した。ラングランズ予想の研究には,代数学,整数論,解析学の幅広い分野を統合することが必要である。ラフォルグは,関数体上の一般線形群の場合におけるラングランズ予想を解決した。
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デジタル大辞泉
ラフォルグ(Jules Laforgue)
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世界大百科事典 第2版
ラフォルグ【Jules Laforgue】
フランスの詩人。ウルグアイ生れ。たえず倦怠感に浸されながら,ささやかな事象への優しい愛を忘れず,不可能と知りつつ夢想へと身をささげた彼は,まさしく世紀末的感受性の一典型であった。詩集《嘆きぶしLes complaintes》(1885)は,伝統的詩法に言葉遊びや俗語や意識的破調を導入した自由詩のかたちで憂鬱な泣き笑いを平明な調子で歌ったものである。一種の短編集ともいえる《伝説的教訓劇Moralités légendaires》(1887)はハムレットやサロメなどの物語をラフォルグ独自の世界へと転生させた語り直しであり,とくに〈ハムレット〉は《最後の詩Les derniers vers》(1890)とともに世紀末的感受性と意識の結晶といえる。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ラフォルグ
らふぉるぐ
Jules Laforgue
(1860―1887)
フランス19世紀末の詩人。8月16日、南米ウルグアイの首都モンテビデオに生まれた。6歳のときフランスへ渡り、少年時代をタルブで送る。1876年、ウルグアイから帰郷の家族とともにパリに転居、翌春の母の死は彼の心に深い傷痕(きずあと)を残した。バカロレア(大学入学資格試験)に失敗して、進学を断念せざるを得ず画商エフリュシCharles Ephrussi(1849―1905)の秘書を務めるかたわら、文学カフェーにも出入りして、若い詩人たちと交わった。ブールジェの紹介で、1881年から5年間、ドイツにおいて皇后アウグスタの侍講(じこう)を務める。その間、精妙な反語精神に満ちた詩集『なげきうた』(1885)、『聖母なる月のまねび』(1886)を相次いで刊行、また1886年からは、友人カーンGustave Kahn(1859―1936)の主宰する雑誌『ラ・ボーグ』に詩や散文を発表して注目を集めた。1886年、イギリス人の妻を伴いあこがれのパリへ戻ったが、結核に冒され、1887年8月20日、27歳の若さで世を去った。
遺稿として、神話・伝説の「古いカンバス」に「新しい魂」を盛った小説集『伝説的教訓劇』(1887)、自由詩の成立史上重要な位置を占める『最後の詩』(1890)などが残された。近代の悲愁を破格の韻律に託し、多彩な言語遊戯を駆使しながら歌い上げた彼の作品は、ごく最近まで、本国でよりむしろ英米で高く評価され、アメリカの詩人E・W・L・パウンドやイギリスの詩人T・S・エリオット、また日本でも、三富朽葉(みとみくちは)、中原中也(ちゅうや)、梶井基次郎(かじいもとじろう)などがこれを愛読した。
[森茂太郎]
『吉田健一訳『ラフォルグ抄』(1977・小沢書店)』▽『広田正敏訳『ラフォルグ全集』全3巻(1981・創土社)』▽『広田正敏著『ラフォルグの肖像』(1984・JCA出版)』
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精選版 日本国語大辞典
ラフォルグ
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