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ラブレー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ラブレー
Rabelais, François
[生]1494頃.トゥレーヌ,ラドビニエール
[没]1553頃.パリ
フランスの物語作家。修道院で神学のほかギリシア語を学び,医学を修めたのち各地の大学を遍歴,1532年リヨン市の病院の医師となる。 34年には国王側近の司教の侍医としてイタリアへ同行,のち福音主義に共鳴して当局の迫害を受けた。中世の巨人伝説に取材し,その形式を踏んだ『第二の書パンタグリュエル』を初作とする『ガルガンチュアとパンタグリュエル』 Gargantua et Pantagruel (5巻,1532~64) を著わした。ただし「第五の書」は偽作の疑いが濃い。民衆的な笑いと鋭い風刺のうちに,フランス・ルネサンス期の諸問題を扱い,初期のユマニストとしてエラスムスの思想を敷延 (ふえん) ,頑迷な教会神学者を批判し,人間性の進歩と学問への信頼を表明している。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ラブレー(François Rabelais)
[1494ころ~1553ころ]フランスの作家連作ガルガンチュワとパンタグリュエル」はフランスルネサンス文学最大の傑作とされる。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

ラブレー【François Rabelais】
1483?か94?‐1553
フランス・ルネサンス最大の物語作家,医師。新興ブルジョア地主の末子としてトゥーレーヌ地方に生まれ,修道士となって哲学・神学を学ぶかたわら古代文化への情熱を燃やし,ギリシア語を独習ビュデエラスムスを父とも師とも仰ぐに至る。1527‐28年ころ許可なく修道衣を棄て在俗司祭となり,30年秋には南フランスのモンペリエ大学医学部で得業士bachelierの資格を得,翌年ヒッポクラテスやガレノスの医書を同医学部史上初めてギリシア語原典によって講じ,多数の聴衆を集めた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ラブレー【François Rabelais】
1494頃~1553頃 フランスの作家。ルネサンス期の生命力と自由解放の喜びに溢れた破天荒の物語「ガルガンチュアとパンタグリュエル」で知られる。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ラブレー
らぶれー
Franois Rabelais
(1494?―1553?)
フランスの物語作家、医師。フランス・ルネサンス最大の傑作『ガルガンチュワ‐パンタグリュエル物語』の作者。その影響は同時代の物語作家はもちろん、ラ・フォンテーヌやモリエールからスウィフトやスターン、さらにバルザック、現代のセリーヌ、クノーに及ぶ。トゥレーヌ地方シノンの新興ブルジョア地主で同地裁判所付き弁護士を務めたアントアーヌの末子として、同市近郊ラ・ドビニエールの別荘(現ラブレー記念館として公開)で生まれたとされるが、生涯には不明の点が多く、生年についても最近1483年とする旧説の支持者が増えつつある。いずれにせよ遅くとも1520年には修道士としてポアトゥー地方フォントネー・ル・コントのフランチェスコ会修道院にあり、哲学・神学を学ぶかたわら、当時異端思想の源として危険視されていた古代ギリシア語を独習し、ヘロドトスのラテン語訳を試みたり、フランスにおける古代研究の最高権威ビュデと文通したりしている。ついで20年代なかばには学問的伝統を誇るベネディクト会に移り、ポアチエに近いリギュージェ修道院長の秘書役としてこの地方の学者・文人との交遊を深め、フランス語の詩作を試みている。しかもいかなる理由によるものか、1527~28年ごろには許可なく修道衣を捨てて在俗司祭となり、パリその他で医学修業を始めたらしい。[二宮 敬]

医師ラブレー

生涯の軌跡をいくらかはっきりとたどれるのは、1530年ラブレー36歳(または47歳)以後の後半生に限られる。この年の秋、伝統あるモンペリエ大学医学部に登録した彼は、11月医学得業士(バシユリエ)となり、翌年春学期には同医学部史上初めて古代医書をギリシア語原典に拠(よ)って講じ、聴講多数に上った。ついで32年にはリヨンに現れ、6~9月の間に『ヒポクラテスならびにガレノス文集』翻刻注解など三点のラテン語学術書を公にし、11月同市市立病院医師に任命された。さらに37年にはモンペリエ大学から医学士号と博士学位を相次いで与えられ、死体を用いて解剖学を講じた。当時実際に人体を用いた例はなお珍しく、彼が同時代の詩人・人文主義者たちから当代きっての名医とたたえられたのもうなずける。[二宮 敬]

作家の誕生

人生のなかばを過ぎて古典学者・医学者として認知されたラブレーは、これと並行してやがて大きな連作となるべき物語の最初の一巻『第二之書パンタグリュエル』(1532)を変名で出版し、また医学博士・占星学教授という誇大な肩書付きの本名で『1533年の暦』『1533年のパンタグリュエル占筮(せんぜい)』なる戯作的小品をフランス語で発表した(1532~33)。ラテン語こそは文化と教養の言語であり、フランス語は低次元の俗語にすぎないとする通念がようやく揺らごうとしている時期だった。ラブレーは『第二之書』において民衆的な笑いと人文主義およびスコラ哲学・神学の学殖とを巧みに織り交ぜ、あらゆるレベルのフランス語散文を駆使してその可能性を探っているかに思われる。本書は一般に好評を得たものの、人文主義者のなかにはラブレーが軽率にも学者の正道を逸脱したとして厳しく批判する者もあり、さらにパリ大学神学部の一教授は、本書を「ふとどきな(または猥褻(わいせつ)な)」書物と弾劾した。以後ラブレーが新作を世に問うたびに、神学部は発禁処分に付し、作者は逐電・亡命を余儀なくされる。
 しかし幸いにもラブレーは、自ら人文主義者で宗教的寛容政策の推進者であった国王側近の重臣デュ・ベレー兄弟の庇護(ひご)を受けることができた。1534年、35~36年、47~49年の三度にわたり、弟のパリ司教・駐ローマ大使ジャンJean du Bellayの侍医兼秘書としてローマその他に同行し、51年ラブレーは二つの司祭食禄(しょくろく)を与えられている。また39~40年、41年、42年には北イタリアのピエモンテ地方総督代理となった兄ギヨームGuillaumeに随行してトリノに滞在している。これらの体験はラブレーの視野を政治・文化・宗教・社会の各面にわたって拡大、その思索を刺激し、その後の作品に多大の寄与をすることになった。最初のイタリア旅行後に刊行された『第一之書ガルガンチュワ』(1534)を同工異曲の処女作(第二之書)と比較した場合、その差は明白であり、この第二作において作家ラブレーは真の己をみいだしたといえよう。[二宮 敬]

異端の運命

1530年代後半以後はカルビニズムの成立と発展に伴う異端弾圧激化の時代である。福音(ふくいん)主義信仰を守りつつ、公式文化の硬直と欺瞞(ぎまん)を滑稽(こっけい)化したラブレーは、当然教会権力から危険人物視されたし、彼が壮大に表現した生の賛歌は教条主義化したカルバン派の気に入るはずもなかった。長い沈黙を経て発表された『第三之書パンタグリュエル』(1546)と『第四之書パンタグリュエル』(1552)とは、作家の円熟と同時に、こうした時代を生き抜いた彼の苦渋の影を色濃く宿している。52年秋ラブレー投獄の噂(うわさ)がリヨンに広まり、53年1月彼は二つの司祭食禄を辞退、その後の消息は知られていない。[二宮 敬]
『『ラブレー雑考』上下(『渡辺一夫著作集 増補版 第1、2巻』1976・筑摩書房) ▽M・ラザール著、篠田勝英・宮下志朗訳『フランソワ・ラブレー』(白水社・文庫クセジュ)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ラブレー
(François Rabelais フランソワ━) 一六世紀フランスの物語作家。ルネサンス文学の代表者。批判的精神をもって、滑稽と風刺の物語を書いた。主著「ガルガンチュア‐パンタグリュエル物語」。(一四九四頃‐一五五三頃

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旺文社世界史事典 三訂版

ラブレー
François Rabelais
1494ごろ〜1553
フランス−ルネサンスの代表的人文主義者・医師
博学多才な教養を身につけ,人間性をゆがめるすべてのものを痛烈に嘲笑し,教会や神学を鋭く批判した。特に巨人伝説をたくみにアレンジした『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』を匿名で発表し,豊富な語法卓抜な空想力で多くの読者をひきつけた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
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