●ラミア戦争【ラミアせんそう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ラミア戦争
ラミアせんそう
Lamian War
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世界大百科事典 第2版
ラミアせんそう【ラミア戦争】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ラミア戦争
らみあせんそう
紀元前4世紀のギリシア諸ポリスとマケドニアとの戦い。「ギリシア人の戦争」ともよぶ。ラミアLamiaはギリシア中部、テッサリアとの境界に近い小邑(しょうゆう)。紀元前323年のアレクサンドロス大王の死を機に、同年秋アテネを中心とするギリシア諸ポリスはマケドニアに対して蜂起(ほうき)、アンティパトロス麾下(きか)のマケドニア軍をラミアに包囲したが、翌年海陸に敗れて諸ポリス最後の解放戦争はついえた。扇動した弁論家ヒペレイデスやデモステネスは刑死ないし自殺した。
[金澤良樹]
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