●ラング
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ラング
Lang, Andrew
[没]1912.7.20. バンチョリー
イギリスの古典学者,民俗学者,詩人,小説家。スコットランド出身。セントアンドルーズ,オックスフォード両大学で学び,オックスフォードで教えたのち,1875年にロンドンに定住し『デーリー・ニューズ』紙その他に寄稿。詩や小説のほか,民話収集で知られた。民俗学者としては一神教の原始的起源を説き,古典学の分野ではホメロスの翻訳と研究で著名。主著『風習と神話』 Custom and Myth (1884) ,『ホメロスの世界』 The World of Homer (1910) 。
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ラング
Lang, Fritz
[没]1976.8.2. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ロサンゼルス
ドイツの映画監督。1919年に脚本家から監督となる。神秘的雰囲気の作品『死滅の谷』 Der müde Tod (1921) で名をあげ,以後『ドクトル・マブゼ』Dr. Mabuse,der Spieler (1922) ,『ニーベルンゲン』Die Nibelungen (1924) ,『メトロポリス』Metropolis (1926) ,『M』 (1931) と秀作を発表,ドイツ映画界を代表する一人となったが,1933年にフランスへ亡命。1936年からアメリカ合衆国で多くの映画を撮った。アメリカでの主作品は『激怒』Fury (1936) ,『暗黒街の弾痕』You Only Live Once (1937) 。
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ラング
Lang, (Alexander) Matheson
[没]1948.4.11. 西インド諸島,ブリッジタウン
イギリスの俳優。 1897年デビュー。 F.R.ベンソンの劇団その他に加わってアメリカなどを巡業していたが,1900年ロンドンに現れ,ベドレン=バーカー時代のロイヤル・コート劇場で G.B.ショーや H.イプセンの作品に出演。また劇団を結成し,シェークスピア劇などを世界各地で上演した。当り役はオセロ,ロミオ,ミスター・ウーなど。自伝『ミスター・ウーの回想』 Mr. Wu Looks Back (1940) がある。
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ラング
Lang, Pearl
[没]2009.2.24. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の舞踊家。1942年から 10年間にわたってマーサ・グラハム舞踊団のソリストとして活躍し,『心の洞穴』『世界への手紙』などに主演した。1952年自身の舞踊団を組織し,『デボラの歌』『夜の飛行』などを発表,その間グラハム舞踊団の客演を務め,またブロードウェー・ミュージカルにも出演した。
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ラング
Lange, Dorothea
[没]1965.10.13. サンフランシスコ
アメリカの女性記録写真家。 20歳のときサンフランシスコに移って写真館を開き,大恐慌下の失業者の悲惨な実態の記録『白い天使のパンの行列』 (1932) を発表。 1934年カリフォルニアの移住労働者の貧しい生活の記録を依頼され,これが官立キャンプ設立のキャンペーンに発展した。その後 W.エバンズと南部の荒廃した農村を撮り,『出アメリカ記』 (1939) などが反響を呼んだ。日系アメリカ人の強制収容所の記録 (1941) なども著名。事実に対する誠実,正確な作風は,記録写真の典型として大きな影響を与えた。
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ラング
langue
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デジタル大辞泉
ラング(〈フランス〉langue)
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ラング(Fritz Lang)
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岩石学辞典
ラング
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世界大百科事典 第2版
ラング【Andrew Lang】
イギリス(スコットランド)の文筆家,文学者で,児童読物,昔話集,文芸批評,詩,随筆,スコットランド史などについて多くの著作があるが,ことに神話研究の先駆者として知られる。《習慣と神話》(1884)や《神話,儀礼,宗教》(1887)において,当時さかんだったF.M.ミュラー提唱の,すべての神話を太陽神話とし,かつ神話が言語の疾病から発生したという説を痛烈に批判し,神話は原始的な文化段階において,慣習を反映して発生したと論じた。
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ラング【Dorothea Lange】
アメリカの女性写真家。ニュージャージー州ホボケンに生まれた。フォト・セセッションの創立メンバーの一人であるC.H.ホワイト(1871‐1925)の下で写真を学んだ。のちにサンフランシスコでスタジオを開き,E.ウェストン,A.アダムズらの〈f64グループGroup f64〉の写真家たちと親交を結ぶ。1935年からFSA(農地保全管理局)のスタッフ写真家となり,大恐慌で荒廃した農村地帯(特に移住労働者)のすぐれたドキュメントを撮った。
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ラング【Fritz Lang】
ドイツおよびアメリカの映画監督。戦前のドイツの〈表現主義映画〉の代表的監督として,また戦後のハリウッドのスリラー映画の名匠として知られる。ウィーン生れ。建築と美術を学び,第1次世界大戦で負傷して入院中に書いた脚本がヨーエ・マイJoe May監督(1880‐1954)によって映画化されたのち,プロデューサーのエーリヒ・ポマーに認められて映画界に入り,1919年にデッカ社の監督となる。敗戦後の〈時代の一つの記録〉といわれる《ドクトル・マブゼ(《マブゼ博士》)》(1922),民族的伝説を壮大に映画化した《ニーベルンゲン》(1924),未来都市を空想的に描いてSF映画の古典となった《メトロポリス》(1926)が世界的に注目され,また,少女殺しの実話をもとにした最初のトーキー作品《M》(1932)は,音と画面との対位法を効果的に用いた歴史的傑作とされているが,公開されてから3年後には,ナチスの禁止映画のリストに載せられた。
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精選版 日本国語大辞典
ラング
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