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リッチモンド(伯・公家)【リッチモンド[はく・こうけ]】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

リッチモンド(伯・公家)
リッチモンド[はく・こうけ]
Richmond, Earls and Dukes of
イギリスの貴族の家柄。伯家は中世に創始。サボイ(サボイア)生まれで 1240年訪英してヘンリー3世によって叙任されたピーター・オブ・サボイ(1268没)が有名で,ロンドンのサボイ宮にその名を残している。15世紀にはチューダー家(→チューダー朝)のエドマンド(1430?~56)が,1453年にリッチモンド伯に叙され,その子ヘンリーはヘンリー7世として即位した。公家は 16世紀からで,ヘンリー8世がエリザベス・ブラウントとの間にもうけた庶子ヘンリー・フィッツロイ(1519~36)に授けたのに始まる。しかし,彼は若年で死没し(アン・ブリンに毒殺されたともいわれる),1代で断絶。次いで 1623年スコットランドの貴族リュードビック・スチュアート(1574~1624,スコットランド貴族としては 2代レノックス公)に与えられた。彼はスコットランドの王位継承権をもつ名門貴族で,海軍長官,枢密顧問官などの要職を歴任。この公家も彼の死でとだえたが,その甥ジェームズ・スチュアート(1612~55,4代レノックス公)が,清教徒革命前夜の対立と緊張のなかで国王を支持した功により,1641年チャールズ1世からあらためて初代公に叙された。その甥の 3代公チャールズ(1639~72,6代レノックス公)は,清教徒革命中フランスに難を避け,王政復古後帰国してチャールズ2世に仕えた。1667年宮廷の侍女で,「美姫スチュアート」と呼ばれたフランシス・テリーザと宮廷から駆け落ちし,のち宮廷に戻ったが,彼をもってこの公家が絶えた。1675年チャールズ2世は愛妾クルーアルとの間に生まれた庶子チャールズ・レノックス(1672~1723)を公爵に叙し,レノックス家のリッチモンド公家を創設,その家系が現在にいたっている(→レノックス〈伯・公家〉)。初代公はアン女王やジョージ1世の時代に侍従長や枢密顧問官を務めた。3代公チャールズ(1735~1806)は軍人として七年戦争で武功を立てたのち,パリ特派大使(1765),国務大臣(1782~95)を務めた。5代公(1791~1860)も 1810~14年の半島戦争中ウェリントン公の副官を務めた軍人で,晩年は王立農業協会の総裁に就任した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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