●リープクネヒト
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
リープクネヒト
Liebknecht, Karl
[没]1919.1.15. ベルリン
ドイツの左派社会主義運動の指導者。 W.リープクネヒトの子。法律を学び,早くから労働運動に興味をもった。ドイツ社会民主党内では執行部の硬直した官僚主義に反対する左派に属した。第2インターナショナルでの活動において,ロシアとセルビアの社会主義者を除いて,各国の社会主義者が第1次世界大戦遂行を支持したのに対して,それを痛烈に攻撃,国際的な声価を得た。 1908年プロシア下院議員,12年ドイツ帝国議会議員に選出され,13年には政府とクルップとの汚職事件を暴露した。第1次世界大戦の開戦後,社会民主党から追放され,R.ルクセンブルクとともに「スパルタクス団」を結成し,反戦活動に従事,戦争協力の中央と対立,16年帝国議会から追放された。同年のメーデーには帝国主義戦争反対のデモを行い,49ヵ月の強制労働の判決を受けたが,敗戦により 18年釈放された。同年 11月9日,ベルリンでドイツ社会主義共和国を宣言。社会民主党右派の F.エーベルトを中心とする内閣と対抗するため,19年1月1日「スパルタクス団」をドイツ共産党と改め,2週間後に蜂起したが,R.ルクセンブルクとともに逮捕され,殺された。主著『社会発展の運動法則の研究』 Studien über die Bewegungsgesetze der gesellschaftlichen Entwicklung (1922) 。
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リープクネヒト
Liebknecht, Wilhelm
[没]1900.8.7. ベルリン
ドイツの社会主義運動の指導者。ギーセン,ベルリンなどの大学で哲学,言語学を学び,社会主義,ポーランド独立に関心をもち放校された。 1848年の三月革命に参加,スイスを経て,62年までロンドンに亡命。その間マルクスと交際,影響を受けた。帰国後反ビスマルク運動でプロシアを追放され (1865) ,ライプチヒに居住。 A.ベーベルとともに社会主義運動に努力。 67~70年プロシア下院議員,69年アイゼナハで社会民主労働党を創立。普仏戦争では軍事予算採択に棄権,アルザス=ロレーヌ併合に反対し投獄された (72~74) 。 75年ゴータでマルクスの批判を無視してラサール派と合同,ドイツ社会主義労働党を結成。 74年より死ぬまでドイツ帝国議会議員をつとめた。その間 78~90年ビスマルクの社会主義者鎮圧法に対する反対運動を指導し,同法を無効にさせた。同法廃止 (90) 後,合法政党として改名したドイツ社会民主党の中央機関誌『前進』の主筆をつとめ,E.ベルンシュタインらの修正主義派と対決した。 K.リープクネヒトは彼の息子。
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デジタル大辞泉
リープクネヒト(Liebknecht)



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世界大百科事典 第2版
リープクネヒト【Karl Liebknecht】
ドイツの革命家。W.リープクネヒトの次男。ライプチヒおよびベルリン大学で法学を修め,1899年ベルリンで弁護士事務所を開く。1900年父の死の直後その志を継ぎドイツ社会民主党に入党,02‐13年ベルリン市会議員,08‐16年プロイセン邦議会議員,1912‐16年帝国議会議員を務めた。とりわけ反戦活動と青年運動に情熱を傾け,1907年《軍国主義と反軍国主義》を公刊し,そのため1年半投獄される一方で,同年,社会主義青年インターナショナルが結成されるとその会長に推された(1910まで在任)。
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リープクネヒト【Wilhelm Liebknecht】
ドイツ社会民主党の指導者。大学時代に急進化し,1848年革命に参加,スイスを経てロンドンに亡命,マルクス,エンゲルスの強い影響を受ける。62年,恩赦で帰独,65年ライプチヒに移って以来,ベーベルの盟友として活躍,67年,彼とともに北ドイツ連邦議会議員となり,普仏戦争に反対して大逆罪に問われた。74年から短期間を除いて帝国議会議員。社会民主労働者党の機関紙《人民国家》,ドイツ社会民主党の《フォアウェルツ(前進)》の編集者を務め,ゴータ綱領,エルフルト綱領の作成に参与,89年のインターナショナルの復活に努力した。
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367日誕生日大事典
リープクネヒト
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精選版 日本国語大辞典
リープクネヒト
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