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ルター

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ルター
Luther, Martin
[生]1483.11.10. アイスレーベン
[没]1546.2.18. アイスレーベン
ドイツの宗教改革者。初めパウロの「神の義」の解釈をめぐって内面的葛藤に陥ったが,突然啓示を受け,これを神の贈り物としての「信仰による義」であると確信した。ローマ教会の贖宥状 (→免罪符 ) 発行を攻撃し,1517年 10月 31日九十五ヵ条の提題を発表,キリスト教の内面性を強調し,これがプロテスタント宗教改革のさきがけとなった。ウォルムス国会により放逐されたがワルトブルク城潜伏 (1521~22) ,その間ギリシア語新約聖書をドイツ語に訳した。ウィッテンベルク騒動 (1521~22) ,ドイツ農民戦争 (1524) ではしだいに急進派から離れ,またエラスムスとも論争した (1525) 。以後年まで教会の組織化に努力した。彼は聖書神学の基礎におき,万人祭司,「信仰のみ」の立場に立った。

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ルター
Luther
イギリスの劇作家 J.オズボーン戯曲。3幕。 1961年6月ノッティンガムのシアター・ロイヤルで初演。 1506~30年のドイツとイタリアを舞台に,宗教改革者 M.ルターを主人公とした作品。様式化された舞台,叙事演劇的構成,ナレーションの活用などに,B.ブレヒトの影響がみられる。

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デジタル大辞泉

ルター(Martin Luther)
[1483~1546]ドイツの宗教改革者。1517年、教皇庁による免罪符発行を批判する「九五か条の意見書」によって教皇から破門されたが、これが宗教改革運動の発端となった。ザクセン選帝侯の保護下に完成したドイツ語訳聖書は、ドイツ語史上重要とされる。聖書に基づく信仰のみを説く福音主義に立ち、すべての信仰者は等しく祭司であるとする万人祭司思想を主張した。キリスト者の自由」など。ルッタールーテル

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デジタル大辞泉プラス

ルター
1961年初演のジョン・オズボーンによる戯曲。原題《Luther》。宗教改革の指導者マルティン・ルターの生涯を描いた作品。1964年に第18回トニー賞(演劇作品賞)を受賞

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世界大百科事典 第2版

ルター【Martin Luther】
1483‐1546
ドイツの宗教改革者。農民の出で鉱夫であったハンス・ルターHans Lutherの子として中部ドイツのアイスレーベンに生まれる。のちマンスフェルトに移住し,事業に成功を収めた父の期待を受けて,同地,さらにマクデブルク,アイゼナハの学校を経て,1501年エルフルト大学に入学し,02年教養学士,05年修士となり,法学を学び始める。その年の7月2日シュトッテルンハイムで落雷に会い,そのおりの誓願に従ってアウグスティヌス隠修修道会に入る。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ルター【Martin Luther】
1483~1546 ドイツの宗教改革者。1517年、ローマ教皇による免罪符販売に反対して、九十五箇条の論題を発表し、宗教改革運動の発端をつくった。破門されたがザクセン選帝侯の保護を得て聖書を独訳し、現代ドイツ語の基礎を築いた。信仰のみによって義とされること、教会ではなく聖書のみが規範であること、信仰者はすべて神の前に等しく祭司であることなどに代表されるその神学思想は、プロテスタント諸教会の原理として大きな影響を及ぼしてきた。ルッター。ルーテル。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

ルター
るたー
Martin Luther
(1483―1546)
ドイツ宗教改革の指導的神学者。

生涯と活動

1483年11月10日アイスレーベンに生まれる。農民出身の父はマンスフェルトで鉱夫になり、のちに鉱山業を営む。ルターは単純厳格な両親によりカトリックの信仰を学び、マクデブルクとアイゼナハで学校教育を受ける。1505年エルフルト大学で文学得業士となり、さらに法学部に進学する。同年旅行中に雷雨に突然襲われ、死の恐怖のため修道士になる誓願をたて、2年後に父の意志に反して修道院に入る。オッカム主義の神学教育を受け、1508年、当時新設のウィッテンベルク大学で一般教養科目を、さらに1512年神学博士となってから聖書学を担当する。この間、彼は自己の善行をもってしても心に平和を得ることができずに、己の罪に絶望するが、ただ信仰によってのみ神から授与される「神の義」を発見する。これが宗教改革的認識とよばれる新しい神学の出発点となる。このような認識に基づいて聖書の講義を行い、罪の赦しのために制定された悔い改めの礼典に疑問を抱き、ドイツのザクセン地方に販売され始めていた教皇の免罪証書(免罪符)について学問上の討論を開く目的で、1517年10月31日、有名な「九十五か条の論題」を当時大学の掲示板でもあった城教会の扉に提示した。この論題はたちまち全ドイツに広まり、宗教改革運動の発端となった。
 改革運動の初期はルターの人格を中心にして展開した。重要な事件をあげると、彼が所属する修道会の総会が1518年にハイデルベルクで開かれ、討論がなされ、アウクスブルクで教皇の使節カエタヌスの審問を受け自説の撤回を求められたが拒否し、1519年にはライプツィヒで神学者エックと討論し、教皇も過ちを犯しうると認めたため、ローマ・カトリックと分裂し、1520年教皇から破門勅令を受けるも焼き捨てた。1521年ウォルムスの国会に召喚され、自説の撤回を拒否したため、帝国追放処分を受けた。しかしザクセン選帝侯によりワルトブルク城にかくまわれたが、急進的革命家の騒擾(そうじょう)を抑えて福音(ふくいん)主義教会の確立に努める。その間、ドイツ農民戦争(1524~1525)に巻き込まれ、ヒューマニストのエラスムスと自由意志論争をなし、さらにマールブルク会談では聖餐(せいさん)について一致が得られず、スイス宗教改革者ツウィングリとも決裂し、プロテスタント同盟の夢が破れた。1530年アウクスブルクの国会で宗教問題がふたたび討議され、メランヒトンが代行となり、「アウクスブルク信仰告白」を提出したが、皇帝との対立は激化した。ルターは最後まで説教、講義、勧告、著述に携わり、貴族たちの紛争和解のため郷里アイスレーベンに赴き、1546年2月18日同地で病を得て死去した。享年63歳であった。[金子晴勇]

著作と聖書講義

ルターの著作は空前絶後のもので、600ページ以上の大冊が100巻を超えている。そのなかで改革文書として重要なものをまずあげると、宗教改革の全プログラムを提示した『キリスト者の身分の改善についてドイツ国民のキリスト教貴族に』(1520)、カトリック教会の礼典について批判した『教会のバビロン捕囚』(1520)、および信仰と愛にたつ自由な人間の本質を論じた『キリスト者の自由』(1520)がある。またエラスムスとの論争で神の恩恵の絶対性を力説した『奴隷意志論』(1525)や、皇帝への抵抗権を説いた『愛するドイツ人への勧告』(1531)、教義を平明に説いた『大教理問答書』(1529)、信仰から生じる倫理を解明した『善いわざについて』(1520)などが優れている。
 次に、彼の本業である聖書講義は改革文書の母胎となっている重要なものであり、初期では「詩篇(しへん)」「ロマ書」「ガラテヤ書」「ヘブル書」と続き、完成期に入ると「ガラテヤ書」と「創世記」の講義がもっとも重要である。とくに「ロマ書」講義においては、宗教改革的認識にたつ思想がみごとに結実し、オッカム主義との対決のうちに信仰義認論が確立されている。[金子晴勇]

思想

ルターの思想は、プロテスタントの三原理といわれているものに要約されている。それは「信仰によるのみ」「聖書のみ」「万人祭司性」であり、教皇主義者をさしていった「ローマ主義の三城壁」を攻撃するためにたてられたものである。そのなかでも「信仰によるのみ」の原理こそルターの信仰義認論を表明するもっとも重要なものである。彼はオッカム主義に従って義認のために諸々の準備をし、善いわざの功績を積んで救済に達しようと苦闘したが、「神の義」というのは、神が私たちに求める正しさではなく、信仰によって神が授与したまう正しさであることを知り、それがキリストの恩恵として与えられていることを理解した。こうして行為による義認に対決する、「信仰によるのみ」の義認が説かれた。したがって、もはや教会の授ける「免罪」はまったく不要であり、「悔い改め」も儀式ではなく、「心の転換」を意味すると主張された。この新しい神学は聖書を最高の権威とみなし、聖書に立ち返って宗教を改革してゆくもので、中世カトリック教会が定めた七つの礼典(洗礼、堅信(けんしん)、聖餐、悔い改め、終油(しゅうゆ)、叙任、結婚)も、洗礼と聖餐のほかは聖書的根拠を欠くものとして否定された。なお、ルターは、聖餐のパンとぶどう酒のなかに神の言と信仰によりキリストが現在すると説いたのに対し、スイスの宗教改革者ツウィングリは、聖餐はキリストの体を象徴しその受難を記念して行うと主張したため、その他の点では合意に達していたにもかかわらず、両者は分裂し、ヘッセン方伯フィリップPhilipp von Hessen(1504―1567)によるプロテスタント同盟は成立しなかった。[金子晴勇]
『徳善義和他訳『ルター著作集』(第1集全12巻・1963~ /第2集全12巻・1985~ ・聖文舎・リトン) ▽石原謙訳『キリスト者の自由』(岩波文庫) ▽ローランド・ベイントン著、青山一浪・岸千年訳『我ここに立つ――マルティン・ルターの生涯』(1954・ルーテル社/1962・聖文舎) ▽L・ピノマ著、石居正己訳『ルター神学概論』(1968・聖文舎) ▽金子晴勇著『ルターの宗教思想』(1981・日本基督教団出版局)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ルター
(Martin Luther マルチン━) ドイツの宗教改革者。アウグスティヌス会の修道士から、ウィッテンベルク大学教授となり、一五一七年、免罪符発行を批判する「九五箇条の意見書」を発表して宗教改革の口火を切り、二〇年破門されたが、ザクセン選帝侯の庇護の下に聖書をドイツ語訳。農民戦争では諸侯に協力し、のちルター派教会の確立に努めた。(一四八三‐一五四六

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旺文社世界史事典 三訂版

ルター
Martin Luther
1483〜1546
ドイツの宗教改革者
北ドイツの鉱山業者の子。初め法律を学んだが,回心してアウグスティヌス修道院にはいり神学を深め,ヴィッテンベルク大学神学教授となる。1517年贖宥状(免罪符)販売に抗議して九十五か条の論題を発表し,宗教改革の発端となった。1519年ライプチヒ討論でローマ教皇・宗教会議の権威を否定し,破門される。1520年『キリスト者の自由』を公刊して信仰義認説を主張。1521年皇帝カール5世によってヴォルムス帝国議会に召喚されたが,自説の取り消しを拒否。その後,ザクセン選帝侯のワルトブルク城に保護されて『新約聖書』のドイツ語訳を完成した。1524年にドイツ農民戦争が勃発すると,初め農民に同情的だったが,農民の農奴制廃止運動に反対し,諸侯による鎮圧を支持した。また,ルター主義の成立は,ドイツ内における領邦教会制の確立を促すことになった。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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