●レジェ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
レジェ
Léger, Fernand
[没]1955.8.17. ジフシュルイブット
フランスの画家。建築家を志したが,1900年パリに出て画家に転向。 10年頃からキュビスムに傾倒し風景,人間を円筒形 (チューブ) に還元して描いたためチュビストとも呼ばれた。 17年から機械文明のダイナミズム賛美が顕著となり,25年ル・コルビュジエによるエスプリ・ヌーボー館に壁画を制作。さらに版画,モザイク,タペストリーなども精力的に手がけた。第2次世界大戦中はアメリカに住み,ジャズや都会生活の活気を好んだ。戦後は人物群像が多い。前衛映画『バレエ・メカニック』 (1924) の作者としても知られる。 60年ビオにレジェ美術館が設立された。主要作品『室内の女たち』 (22,パリ国立近代美術館) ,『3人の構図』 (32,同) ,『閑暇』 (48~49,同) 。
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レジェ(Fernand Léger)
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レジェ
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世界大百科事典 第2版
レジェ【Fernand Léger】
フランスの画家。キュビスム運動に重要な役割を果たした。ノルマンディーのアルジャンタンArgentan生れ。最初カンで建築を学んだ後,1900年にパリに出,装飾美術学校,アカデミー・ジュリアン等で絵画を学ぶ。07年よりセザンヌに傾倒し,それは《森の中の裸像》(1909‐10)に結実する。やがて《青衣の女》(1912)によって彼のキュビスムは幾何学的・抽象的傾向に向かう。第1次大戦の従軍体験(1914‐16)を通じて庶民の精神の強靱さと機械文明の機能美を発見する。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
レジェ
れじぇ
Fernand Léger
(1881―1955)
フランスの画家。キュビスム運動の一員としていわゆるダイナミック・キュビスムの開発に重要な役割を果たし、のちには機械と人間とが調和する現代生活を描くユニークな画風で20世紀美術に独自なイメージを生み出した。ノルマンディーのアルジャンタンに生まれる。カンで建築を修業、1900年パリに出、やはり建築家、写真家のもとで生計をたてつつ、1903年兵役終了後パリ装飾美術学校に入学、同時にエコール・デ・ボザールのレオン・ジェロームの教室、アカデミー・ジュリアンにも学ぶ。1904年および1907年のサロン・ドートンヌのセザンヌ展に刺激され、他方、ロベール・ドローネー、アポリネールたちとの接触によってキュビスムにも接近し、その成果が1909~10年制作の『森のなかの裸体』(オッテルロー、クレラー・ミュラー美術館)として発表される。その後も、色彩とダイナミズムを重視するキュビスムをドローネーたちとともに展開させる。
1912年カーンワイラー画廊で最初の個展、第一次世界大戦に従軍、毒ガスのため入院。戦後の1918~23年は「メカニックな時期」と名づけられるロボット風の形、歯車などの機械的なイメージによる形態と色彩の対照と調和を求める。1919年の『都市』(パリ市立近代美術館)がその代表作。その後、しだいに彼の抽象的な形態に人体が入り込み、作風もモニュメンタルな大きさを求める。1924~27年はオザンファンたちとともにピューリスムを追求、1925年にはピューリスムの創始者の一人ル・コルビュジエのエスプリ・ヌーボー館の壁画を制作。また映画、写真に興味をもち、マン・レイたちの協力を得て映画『バレエ・メカニック』(1924)を制作、純粋に造形的な関心、とりわけ「オブジェ」への関心を示している。
第二次大戦中の1940~45年には、フランスを離れアメリカで制作、戦後フランスに帰国、サイクリスト、サーカス、ピクニックなど、現代生活の明るさをテーマに、平たい色面、太い有機的な曲線、明快な色彩の対照によって構成される大画面を数多く制作、そのなかにはニューヨークの国連本部大ホールの壁画(1952)がある。陶器、版画、モザイクなどにも多彩な活動を示し、パリ近郊のジフ・シュル・イベットに没。1960年、彼が陶芸のアトリエを構えていた南仏ビオにレジェ美術館(1967年、国家にコレクションとともに寄贈され、現在国立)が設立された。
[中山公男]
『W・シュマーレンバッハ著、八重樫春樹訳『レジェ』(1978・美術出版社)』▽『瀬木慎一解説『現代世界美術全集15 ブラック/レジェ』(1972・集英社)』
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レジェ
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