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ローマ法【ローマほう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ローマ法
ローマほう
Roman law
前 753年の建国以来,ビザンチン (東ローマ) 皇帝ユスチニアヌス1世 (在位 527~565) の大立法事業にいたるまでのローマにおいて形成され,進歩発展した法の体系。ユスチニアヌス1世以後のビザンチン帝国の法は,「ギリシア=ローマ法」あるいは「ビザンチン法」として別個に取扱うのが通例である。すでに,前3~2世紀において軌道に乗ったローマ法,特に私法の発展は,1~3世紀の法学者によって,より学問的に緻密かつ精細に展開され,ローマの征服した諸民族に等しく適用される世界法として組織立てられた。その成果はユスチニアヌス1世の立法事業,『ローマ法大全』により後世に伝えられる。そのため,この『ローマ法大全』を目して,ローマ法と称する場合もある。ローマ法は,その後,ローマ教会の世界支配の理念に裏づけられ,中世以来ヨーロッパ諸国に継受され,ヨーロッパ大陸共通の法として各国の法生活を支配しただけでなく,各国法はもとより国際法の形成,発展および法理論や法律学の創造に指導的役割を演じ,近代市民法の創設に重要な貢献を行なった。ローマ法の継受 (Rezelotion) ,特に近世初頭のギリシア=ローマ文化の復活を基盤としたローマ法の継受は,人々の社会生活のあらゆる領域で破壊と混乱と変化を促し,旧来の中世的社会の根本的変革をもたらした点において,ルネサンス Renaissance,宗教改革 Reformationとともに,近代社会の誕生を示す「3R」の標語で呼ばれる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ローマ‐ほう〔‐ハフ〕【ローマ法】
古代ローマ時代に制定された法律の総称。ローマ市民だけに適用される市民法として制定された十二表法に始まり、領土拡大とともに万民法を形成、6世紀ユスティニアヌス帝によって集大成された。ゲルマン法とともに近代ヨーロッパ諸国法の源流となった。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

ローマほう【ローマ法】
ローマにおいては,はやくも前5世紀中葉に包括的法典として十二表法が制定され,その後,ローマ人の実際的性格および長期にわたる政治的安定の中から独創的な形で法および法学が発展し,とりわけ,元首政の時代にきわめて高い法文化の花が咲いた。後6世紀東ローマ皇帝ユスティニアヌス帝によりそれまでの1000年を超える法発展がローマ法大全として集大成され,これによってその内容がわれわれに伝えられる。ヨーロッパ大陸の多くの国の中世・近世において,ローマ法大全が実定法の効力をもって広く妥当すると同時に,法学研究の最も重要な対象とされ,そこから近代法の基本的概念の数多くが形成され今日に及んでおり,このことからローマ法は,ローマ社会とその法のあり方を知るためのみならず,近代の法概念に対する理解を深めるためにも重要であるとされている。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ローマほう【ローマ法】
古代ローマ時代に制定された法規。十二表法に始まり、ローマ市民に適用される市民法のほかに万民法も形成され、「ユスティニアヌス法典」によって集大成された。中世イタリアを経てドイツ・フランスに継受され、ヨーロッパの法制に大きな影響を与えている。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ローマ法
ろーまほう
ローマ建国から6世紀のユスティニアヌス帝(在位527~565)による法典編纂(へんさん)までの約1200年にわたって展開された法。後世に計り知れないほどの大きな影響を与えたことから、継受されたローマ法を古代のローマ法と対比して、中世ローマ法、近世ローマ法などとよぶ用い方もある。古代の本来のローマ法は普通三期に分けて説明される。[佐藤篤士]

第一期

ローマ建国から紀元前202年までで、十二表法に典型的に表れているように、家父を中心とした小家族(夫婦と子供)の農業生活を規律する狭い都市国家の法であった。したがって、法は家父の強力な権力patria patestasを中心として構成されている。土地や奴隷や牛馬など、家族生活を支える特定の重要な財産の譲渡のような法律行為を行うにも、また訴訟を行うにも定まった厳格な方式があり、それを守らないと効力が認められず、目的を達することができなかった。これらの法は市民法(ユス・キウィレius civile)とよばれ、神官によってローマ市民にだけ適用される(保護を受ける)属人法であり、ローマ市民以外の人々にはとくに取引権、通婚権を認めた場合にだけ法的保護を与えるものであった。狭い都市生活を規律する古代の法として、階級刑法やタリオ、債務奴隷制など他の古代都市国家の法と共通する仕組みが多くみられる。[佐藤篤士]

第二期

紀元前201年から後235年までで、前古典法と古典法の時代である。ローマが第二次ポエニ戦争で勝利を得てその支配領域が飛躍的に拡大し、その結果ローマ人と外国人、外国人相互間の法律問題に対処しなければならなくなった。これらの諸問題を処理するために外人係法務官を設置し、取引法を中心として、方式にこだわらない柔軟な、外国人にも適用される万民法(ユス・ゲンティウムius gentium)が形成され、第一期の市民法を改廃・補充した。法務官は世俗の法学者を顧問として告示を発し、訴訟のための方式書をつくって保護すべき場合には訴訟を通じて積極的に救済した。このようにして、所有と占有との区別が現れ、債権・債務関係の法が多様化して、単なる意思表示だけで成立する諾成契約(売買、賃約、組合、委任)が現れるに至った。これは他の民族では近代法の形成までみられなかった現象である。法の多様化はこの第二期前半までにほぼ成し遂げられた。
 元首政期Principatusに入ると、初めのうちは共和的政治体制を維持していたが、ハドリアヌス帝(在位117~128)のころから元首の一人支配の傾向が色濃くなり、元首の官僚制がつくられるようになった。元首の提案による元老院議決がなされ、やがて勅令が発せられるようになる。訴訟も、従来の方式書訴訟とともに元首の権力に基づく特別訴訟手続が現れた。このような法活動を支えたのは法学者であった。法学者たちは、サビーヌス学派とプロクルス学派というように学派を形成し、元首のためばかりでなく、一般市民の法律相談にも活動したが、しだいに特定の法学者が選ばれて元首の顧問として顧問会を形成した。顧問会は具体的な法律問題に回答を与え、ハドリアヌス帝以降、勅許回答権を与えられた法学者の回答が法的拘束力をもつものとされ、法創造に寄与した。法学校も数多く開設されて法学は隆盛を極め、ヘレニズムの影響を受けて、法を洗練し緻密(ちみつ)な理論を展開した。ある者は従来の法律を編集してこれに注釈を加え、また、ある者は初学者のために『法学提要』Institutionesを著して、これを教授した。ユスティニアヌス帝の法典『学説彙纂(いさん)』Digestaに引用された40人の法学者のうち、この時期の法学者は35人にも上っている。このような高度の理論も、自己完結的、体系的、抽象的な近代法とは異なって、非常に具体的であり、個々の事件に対する法的解決という方式をとっている。[佐藤篤士]

第三期

236年からユスティニアヌス帝の法典編纂まで。ディオクレティアヌス帝(在位284~305)は帝国を東西に二分し(395)、それぞれに正帝と副帝を置き、専主政Dominatusを確立して中央集権的官僚国家をつくりあげた。法学による法創造にかわって皇帝の発する勅法constitutioがほとんど唯一の法源となった。法の担い手は単に読み書きのできる官僚となり、彼らは古典法の緻密(ちみつ)な法技術を理解することができず、法運用のよりどころとして法典を求めた。引用法や『テオドシウス法典』の編纂はこれにこたえたものであった。法は西部でも東部でも土着文化の影響を受けて多少の変容を遂げるに至った。また、キリスト教の影響も無視できない。6世紀前半ユスティニアヌス帝は、ローマ帝国復活の理念に基づき、すべてのローマ法源を精査し、現行法とすべき法の編纂を行った。これが中世のボローニャの注釈学派や、人文学派、近世の啓蒙(けいもう)期自然法学、パンデクテン法学などを通じて受け継がれ、ヨーロッパの近代法の形成に法素材として決定的影響を与えた。[佐藤篤士]
『船田享二著『ローマ法』全5巻(1968~72・岩波書店) ▽原田慶吉著『ローマ法』(1949・有斐閣) ▽原田慶吉著『ローマ法の原理』(1967・清水弘文堂書房) ▽吉野悟著『ローマ法とその社会』(1976・近藤出版社) ▽柴田光蔵著『ローマ法概説』(1979・玄文社) ▽佐藤篤士著『ローマ法史』(1982・敬文堂)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ローマ‐ほう ‥ハフ【ローマ法】
〘名〙 古代ローマにおいて行なわれた法。はじめ、ローマ市民にだけ適用される市民法から出発し、領土拡大とともに万民法に発展、紀元六世紀、ユスティニアヌス法典(ローマ法大全)により集大成された。中世の教会法やゲルマン諸民族の成文法に大きな影響を与え、さらに近代西ヨーロッパ諸国に受け継がれて、各国の法の共通の法源となっている。
※輿地誌略(1826)五「其行ふ所の法は、当時仍多く羅瑪法に因循す」

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旺文社世界史事典 三訂版

ローマ法
ローマほう
古代ローマ人がつくった法律の総称
ローマでは,前450年に最初の成文法である十二表法がつくられたといわれ,共和政の進展とともに家族法中心の市民法が発達した。さらに共和政の末期には,ローマ版図の拡大とともに万民法が成立し,普遍的法律としての性格をもつようになった。ユスティニアヌス帝のとき編修された『ローマ法大全』は,ローマ法の集大成である。私有権を認めた個人主義的自然法としての性格により,ローマ法は中世の教会や慣習法に代わって,特にナポレオン法典など,近代西ヨーロッパ各国法の法源となった。日本でも,特にドイツ民法草案を通じて,間接的にローマ法を受け継いでいる。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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