●一ノ谷の戦い【いちノたにのたたかい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
一ノ谷の戦い
いちノたにのたたかい
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デジタル大辞泉
いちのたに‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【一ノ谷の戦い】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
一ノ谷の戦い
いちのたにのたたかい
1184年(元暦1)2月7日、摂津国一ノ谷(神戸市須磨(すま)区)で起こった源平の合戦。前年7月、安徳(あんとく)天皇を擁して西海に走った平氏一門は、源頼朝(よりとも)、義仲(よしなか)の確執に乗じて勢力を挽回(ばんかい)、このころには旧都福原(ふくはら)に東進し、東(生田森(いくたのもり))、西(一ノ谷)に軍陣を構えて要害を固め、京都回復を目ざすに至った。頼朝は義仲を倒すやただちに平氏追討の院宣(いんぜん)を請い、弟範頼(のりより)に大手を、同義経(よしつね)に搦手(からめて)をつかせた。一ノ谷は背後に険しい山峰を連ねて入口が狭く、もっとも堅牢(けんろう)な陣地であった。戦闘は一時混戦状態になったが、結局、義経の鵯越(ひよどりごえ)の奇襲により、平氏軍は四国屋島(やしま)に敗走した。この戦いで平氏一族の多くが討たれ、とくに熊谷直実(くまがいなおざね)に殺された平敦盛(あつもり)の話は有名。また清盛の息重衡(しげひら)も須磨で捕らえられた。
[杉橋隆夫]
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